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「彼が最近冷たくて」

カフェ内はBGMや客の会話で程よく賑わっているのに、なぜその会話だけを拾ってしまったのか。
ホットコーヒーの入ったカップを持つ隼人の手が強張った。隼人の座った大きな窓から街並みを眺める事が出来るカウンター席の数席先に、女性が二人、トレイに乗ったドリンクやスイーツに手もつけず、互いにスマホを弄りながら話している。

「は?付き合ったばっかじゃない?」
「そ。向こうからラインしつこくてコクってきたから付き合ったのに、付き合った途端これよ」
「えー。釣った魚に餌やらないタイプってやつ?やばくね?」
「な。愛情くれなきゃ別れる一択よ」

それな〜、と同意する彼女の友達に、隼人も心の中で同意する。うっかり頷いていたかもしれない。なぜならその問題は他人事ではないからだ。
(竜二と一緒だ)
竜二とは、隼人と同類──同性愛者がパートナーを探すコミュニティサイトで知り合った現在の彼氏だ。カミングアウトして気心しれた友達が出来ればとお互いが思っていただけに、年齢も近く地元も同じで意気投合した隼人と竜二が距離を詰めるのに時間はかからなかった。二人で温泉目的に一泊二日の旅行にも行ったし、お互いの家に寝泊まるのもしょっちゅうだ。楽しい。隼人の休日の予定はほぼ竜二で、それは多分向こうも同じだと思う。大学生になって親友が出来たことに喜んでいた隼人に対し、出会って一年にもまだ満たない、先月の頭。竜二から「進んだ関係になりたい」と言われたのだから、一瞬意味が解らなかった。

「って言うか、ずっとパートナーでいて欲しい」

竜二の家で遅くまで飲みながらバラエティー番組を見ている途中だった。コアより王道が好き。竜二は自分みたいに大きな声を出して笑わないけど、笑いのツボも一緒。気の緩みきった隼人が、無骨で大きな手を自身の手に重ねてきた竜二をまじまじと見やる。酔ってはいなさそうだ。そもそも竜二が酔ったところは見たこともない。自分達みたいな間柄で、その手の冗談を言うのは有り得ない。と言うか竜二は隼人と違って口数が少なく冗談なんてあまり言わない。
(あ、これマジなやつだ・・・)
自覚すれば、じわりじわりと体温が上がってくるのを感じた。手に汗をかいた感触を、今でも思い出せる程だ。お互いの恋愛遍歴も生き辛さも明け透けに話してきてる。相談も共感もして、お互いに過去の自分を慰めあって、笑い飛ばした夜もある。

「えっと・・・」

走馬灯のように、グルグルと竜二と過ごしてきた日々の映像が脳裏に浮かんで隼人の目が泳ぐ。自分より体格も見た目もよくてはじめは圧倒されたけど、女とも男とも付き合っても何かが上手くいかないとぼやいて寂しそうに笑っていた竜二。そんな彼が、一時ではなくパートナーとして隼人を選んだのだ。急にきゅううっと心臓が痛くなる。彼ほど経験豊かでもなく、成就した恋愛もない隼人に、これから先、竜二以上に居心地のいい男性が現れるかも解らない。いや、もう自分だって、最後にするなら竜二がいい。

「うん」

間を空けたくせに思いとは裏腹な随分と素っ気ない返事をしてしまったが、その間に竜二が隼人から目をそらすことも手を離すこともなかった。それでもきっと、赤くなっているであろう自分の顔を見れば、真意は伝わったはずだ。次に何を話せばいいのか解らずに、気恥ずかしさから隼人が視線を落とすと、竜二が長く息を吐いたのが聞こえた。

「緊張した」

ボソッと呟く竜二の声に釣られて顔を上げると、困ったように、けれど嬉しさを隠すように、笑顔を歪めた見たことのない表情の竜二がいた。何事にもあまり動じない竜二から聞く緊張と言う言葉に、つい、隼人の本音がポロリと溢れる。

「竜二、緊張することあるんだ」
「するだろ。普通に」

ふぅん、と一度頷き、そうかぁ、と二度三度小さく頷いた。経験豊かでも、こういう時は緊張するのかと新たに知って、それなら自分が返答に時間を要したことも仕方がないのだと納得する。

「俺も緊張した」
「隼人、緊張とかするんだ」
「するよ。普通に」

良くも悪くも男子なノリが抜けない隼人と、落ち着いた大人のような竜二だが、根本的に波長が合う。真面目な空気から一転、少し柔らかくなった表情と雰囲気の中、隼人は握られたままだった拳を引き抜いて手の平を竜二に差し出した。

「じゃあ、これからも、よろしく」
「ん」

しっかり握手して、お互いの手汗を指摘しあって、夜も遅いと言うのに爆笑してしまった。声が大きいのは隼人だけで、竜二は奥歯を噛むように小さく笑っただけだったが、これが竜二のクセなのは知っている。
それから。休日だけでなく毎日は楽しいし、恋愛面でこんなに充実したことはない隼人はふと我に返って、気付いてしまった。

(ってか、ちゃんと好きとか愛してるとか言ってもらった事なくないか?)

告白された時も、それに気付くまでも、今日に至るまで、言われたことがない。隼人からはある。コンビニでアイスを買ってもらった時や、夜のドライブでちょっといい雰囲気になった、大なり小なりの出来事毎に言っている。そしてその都度、竜二は唇を噛んだり顔を反らして、「うん」だの「ありがと」だのをゴニョゴニョ言うのだ。

(あの竜二に俺から言ってやったった感に満足してたけど、いや、言えよ。言ってくれよ)

それに、態度もよそよそしい。
お友達をしていた頃は、筋肉をベタベタ触っても鼻で笑われはしたが今みたいに避けられることもなかったし、出掛けはするが沈黙も多くなった気がする。いつも隼人ばかりが話して、竜二は簡単な相槌をうつだけだ。
・・・あれ、プラスどころかマイナスになってないか?もしかして、付き合ってみて何か違うって思われたか?告白した手前、別れ話しにくいから察しろってか?
ひとつ不安要素が生まれれば、それは次々と広がってしまう。

「──ま、舐めんじゃねぇぞって一回シバくかな」

景気のいい台詞にハッとした。
(うわ・・・)
何を二人のなれそめを回想しているんだと自分自身に笑えてしまう。数席離れた彼女達は既に話を終えたようで、トレイには確かに大きなシナモンロールが丸々皿に乗っていたはずなのに、すでに跡形もなく、グラスにも氷しか残っていなかった。自分のホットコーヒーはとっくに冷めている。・・・笑いを通り越して引いてしまった。

「初回が肝心よ。ガツンといったれ」
「さんきゅー!」

そうだ、俺もガツンと言うべきだ。隼人はまた一人頷いて、トレイを持って立ち上がり去っていく二人の姿に小さく頭を下げる。ありがとう、名も知らぬお姉さん達。後ろ姿がたくましい。
そして隼人も、そろそろ待ち合わせ場所に向かおうかとスマホで時間を確認した。冬用に暖かいラグを買いにいくと言えば、竜二が着いていくと言ったのではからずも買い物デートになってしまったが、それでも嬉しい。

──そろそろ着くけど、もういたりする?

スマホを触っている途中でタイミングよく竜二からメッセージがきた。時間前行動厳守の隼人に竜二も合わせ、二人の待ち合わせはいつも当初の予定より早くなる。

──駅ナカのカフェ入ってる。今からそっち向かう。
──いい。そっち行く。

メッセージ画面ですらクールな竜二に、隼人は流行りのキャラクターの了解スタンプを送り返した。とは言え、隼人もトレイを片付けて外には出る。駅にはキャリーバッグを引いて歩くサラリーマン。手を繋いでデートを楽しむ若者。似た格好で楽しそうな女の子と、さまざまな日とで溢れ返っている。その中をぼんやり眺めていると、頭ひとつ抜けた身長の竜二を先に見つけた。向こうがこっちに気付いた時に胸まで上げた手を小さく振れば、口角を僅かに上げて、ふ、と笑った。
───う。
柄にもなくときめいてしまう。きちんとお付き合いと言う形になってから、自分はこんなに好きになっていると言うのに。

「おはよ〜」
「おは、よう?」

午前十時はおはようではないが、さっきまで九時だったのでおはようでいい。竜二が一応挨拶を返したので隼人は目星をつけたインテリアショップに向かうことにした。近いところから数件見て回るつもりだ。

「ネットで注文もいいかなーって思ったんだけどさ、やっぱり手触りとか色味って実物見なきゃ解んないからさ」
「うん」
「こないだネットで買った服、色が微妙だったから余計に気になるし」
「うん」
「うん」

自分をしっかり見ている割りに、返事はラリーの気配がない。前はもっと話してくれてたよなぁと、改めて実感してしまう。
──ガツンといったれ。
強めなお姉さんの台詞が浮かんだ。一発シバくのは性格的に無理そうなので、ガツンと、ここは言うべきだ。

「竜二さ、あんまり喋んないよね」
「ん?」
「や、そういうタイプって解ってるし、竜二との沈黙苦じゃないから全然いいんだけど、えーっと、前と比べて無口になったかなーって言うか、クールさ増したかなーみたいな」

切り込んだのは自分のくせに、いざ話し出すと竜二の気持ちを聞くことも、別れ話をされることにもビビってしまう。気まずさから目をそらすのは悪い癖だ。歩きながら見てしまうのは自分のスニーカーの先っぽだ。

「・・・ごめん」

そうして待った竜二の台詞にぞわっと背中が冷たくなる。恐る恐る隣を見ると、眉間にシワを寄せた竜二がこっちを見ていた。その顔で自分を見る理由も解らず、つい声が震えてしまった。

「ご、ごめんとは・・・?」
「緊張、してるから、上手く喋れない」

はぁぁ、とあの日みたくあからさまな溜め息をついた竜二が頭を振った。綺麗な黒髪が揺れるのを見ながら、言葉の意味をゆっくり咀嚼した隼人の目が丸くなる。

「え、えぇっ、竜二まだ緊張してんの?俺に?俺だよ?今まで普通に遊んでたじゃん。それこそお互いの家行ったり、二人で遠出したりさぁ」
「あのさ」
勢いよく捲し立てる隼人に竜二の静かな声が遮る。
「俺ら、もう友達じゃないってこと、解ってる?」
「解──」

──ってる、と続けたいはずなのに、黒髪の間からジッと自分を見つめてくる非難めいた視線の奥に熱を感じて隼人が閉口する。
あれ、と思った。
竜二はこんな目をする奴だったかと、最近知らない顔をするとは思っていたけど、友達の延長線上が恋愛の果てだと思っていたけど、あれ、そう思っていたのは自分だけなのか。

「・・・俺は、竜二が素っ気なくなったから、興味なくなったかと思って」
「それは本当にごめん。でも俺、隼人のことちゃんと好きだから」
「ひえっ!ちょっと待って。あんまそういうこと言わないで。急に恥ずくなってきた。なんだこれ」
「だと思った」

自分の頬や額をベタベタ触って熱を確認する隼人に、竜二はようやく眉間を柔らかくして笑った。気軽に自分から言っていた言葉は、竜二から聞きたかったはずの言葉は、こんなにも熱くて重くて震えるものなのか。

「あの日からずっと緊張してるよ。下手して嫌われて別れたくないから。隼人のこと好きだから、慎重になってる」
「あ、ああ」
「隼人、恋愛経験ないみたいなこと言ってたから、余計に手出しできなかったって言うか。でも扱い方が解んなくなって、結局不安にさせてたから、ごめん」
「・・・え、手ぇ出したかったの?」

聞き流せなかった引っ掛かりを問い返せば、じろりと竜二にねめつけられる。けれど顔が赤ければ何の威圧もあったものじゃない。笑ってやろうと思ったけど、今の自分も竜二と負けず劣らずの赤さだろう。冷たい風が気持ちいい。

「あんまこういう話させないで。死にそう」
「お、俺も恥ずかしくて死にそう」

自然と歩く早さが上がってくる。今日はラグとか見てる場合じゃないのではと思うけど、来るべき冬に備えは必要だ。
(不器用だったな、お互いに)
せかせかと目的地まで歩きながら、あのお姉さんはどうなっただろうかと思い出す。こっちは貴女のおかげで上手くいけそうです。

「なんか、ようやく竜二と付き合えた気がする」
「な」

隼人の呟きについた返事に顔を上げた。今日ばかりは、竜二の返事が一文字でも俄然許せた。



おわり



恋愛経験者と初心者。

小話 168:2022/10/30

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