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「七倉の噂なんだけど」


それは噂と言う名の事実となって、メッセージツール、SNS、口コミ等で一晩にして広まった。
七倉はあまりに有名人過ぎる。
学園はじまって初の全国模試一位を獲り、T大確実の生徒会長で、所属していた陸上部は個人名義でのトロフィーを幾つも校長室に並べている。男子達からの信頼は厚く、女子達の憧れで、教師からも一目置かれる、学園のスターそのものだった。



──ねえ待って!今プリンスっぽい人が男の人と腕組んで歩いてたんだけど!!

ある日の夜、七倉と同じ学園に通う塾帰りの女生徒がSNSでそう呟いた。
プリンスは学園の女子達が使う七倉への密かな愛称で、男女問わず学園の生徒、なんなら七倉本人ですらすぐに七倉だと解る呼び名だ。
SNS投稿時刻は22時近く。
何処とは書かれてなかったが、何処かの駅の裏路地方面を映した画像が添付されていた彼女の発信は、学園内の友達位しか繋がっていなかったにも関わらず、七倉ファンへ広まり、一般生徒、他校生へと様々なユーザーへ瞬く間に広がってしまった。
男の人はおじさんに、街灯の映る夜道はラブホ街に、プリンスっぽい人は七倉確定に、いつの間にか自然に置き換わっていた。

──え、プリンスホモ?
──マ?これってラブホ街?エンコ?ヤバくね?
──あ〜終わりましたな。これは。

さすがに発信者も予想外の拡散数とコメントに投稿を数時間後に削除したが、それはあとの祭りだった。








「──では、以後SNSでの発言は充分気を付けるように」

泣きながら頭を下げる件の女生徒と、涼しい顔で一礼するプリンスこと七倉。
校長室から出てきた二人の様子からして、遠巻きの野次馬達は一目に「やっぱりデマか」と口々に呟いては面白くなさそうに蜘蛛の子を散らすように退散していった。その姿を横目にした七倉は心底思う。

(殺す)

そして隣で保険医に支えられ、グズグズ泣きながらひたすら自分へ謝罪をする女生徒へも、上っ面は「気を付けようね」と困ったように笑うだけにしているが、内心は舌打ちをつきながら(殺す)とどす黒い憎悪が渦巻いている。

──案の定教師陣から呼び出しをくらった発信者の女生徒と七倉は、校長室にて事情聴取を行われるはめになってしまった。
投稿内容が事実──本当に援助交際、しかも未成年が同性相手に──ともなれば、停学どころか退学処分すらあり得る話だ。地方の新聞やニュース番組にだって出るかもしれない。
教師にぐるりと囲まれた女生徒はことの大きさに改めて直面すると途端に泣き出し、肩を震わせ始める。対して七倉は、まるで全校集会でスピーチをするかのごとく、いつも通り、堂々とした後ろめたさが一切ない姿勢を貫いているので、教師陣も既に答えは明白だと、形だけの問いを二人に投げ掛けた。
SNSでの内容は事実なのかと。

「いいえ。違います」

一刀両断。
気持ちのいいくらいハッキリとした否定に、いよいよ隣の女生徒は教師と七倉からの視線から感じる恐怖と罪悪感、軽はずみな発言をした後悔の念に苛まれて大泣きしてしまった。

「ごめんなさい。っぽい人だと思っただけで、七倉君じゃありません。ごめんなさい。ごめんなさい」

何度も頭を下げる彼女は過呼吸気味で、慌てて同席していた保険医に身体を支えられ、校長室を出ると保健室に向かってしまった。
この場合、好奇の目に晒されて保護されるのは自分の方だろうと、七倉は大きな溜め息をはいて前髪を掻き乱す。

(誰が堂々と“はい、あれは僕です”とか言うかよ。アホかよ。つーか何勝手に呟いてんだよ。プライバシーの侵害だろが。クソ女)

今度は表に出してしまった盛大な舌打ちだが、それを聞く者も咎める者もいない。

(まあ、遊びもほどほどにって教訓にはなった)

もしもに備えてアリバイと証人の偽装も用意はしていたが、それまでには及ばなそうだ。
しばらくは受験に専念する素振りを演じて、今後遊ぶ場所ももっと考えよう。

(昨日の人、顔も良かったし二十代の割に羽振り良かったのに、惜しいなあ)

あーあ。
と俯き嘆く七倉を遠目に見ている人物がいたら、きっと「面倒ごとに巻き込まれて落ち込んでいる」と思うだろう。

しかしその実、優等生の彼の素行はとても悪かった。
彼女の目撃した男は七倉本人で正解だ。
ネットで書かれた通り、ホモで援交相手とホテル街に向かっていたのだから、大正解だ。
普段使わない駅で落ち合ったが、まさか在校生の目に止まるとは思わなかった。これには七倉も少々焦ったが、普段が普段の行いだ。教師からの信頼なんて、はじめから自分に向けられているのは自覚している。
そしてその優等生でいることへのストレス、セクシャリティの発散、お金は無いよりあった方がいい、そして自分は周囲からの好感を得るのがうまいので人生はイージーだと歪みまくっている七倉街道を、彼は今日も突っ走っている。

そして何より。

(ネットで拡散したやつ、全部探して殺す)

何が彼をそうさせたのか、元からそういう性格なのか、とにかく性格がとても悪い。




「───ヤバくね?七倉」

教室に戻る途中に、自分の名前が聞こえたので足を止めた。
第二多目的室。今はほぼ使われることのない備品や机が雑に置かれている物置と化した空き教室だが、生徒のサボり場にも使われている。文化祭の看板や体育祭の門柱が、秘密基地よろしく、外からのいい死角を作ってくれるのだ。
そしてそれは中からも同じで、足音や声に気付かなければ、外の人物にも気付かない。
七倉は教室の方をじっと見た。姿は勿論見えないが、声はよく聞こえる。

「ヤバいって?」
「だっておっさんとラブホとかエンコーしかないじゃん。マジきめぇ」
「ええ、あれ嘘だったんじゃないの?」
「嘘って確実な証拠もねぇじゃん。つかホモってだけでキモくね?七倉の側とか絶対寄りたくないわ。皆そう言ってるし」


殺す。
全員、将来、社会的に殺す。

ブチブチと血管が切れる音がする。
指先がワナワナと震えてしまう。

伊達に優等生を演じてるだけあって、元々七倉は地頭が良い。高校卒業後は大学在学中に起業して社長となり、若くして財を得たいという願望もあるし、実際それを実現できる能力も充分ある。
だから将来、誰よりも早く出世し、社会を味方に付け、同期が世に出始め、または家族を作ろうとしたり社会的地位を築こうと、機が熟したその人の人生最大のタイミングで地獄に落としてやろうと沸々計画中なのである。
まさに陰湿。性格が悪い。悪過ぎる。
しかし自分の人生に汚点をつけた相手を許せるほどの器量も持ち合わせていないので、目下殺人リスト絶賛量産中なのである。

そのリストに学園の全生徒の名前が上がったのと同時に、教室から盛大な笑い声が聞こえてきた。

「ちょっとちょっと〜!七倉君がお前のこと選ぶと思ってんの〜!?いやいやいや〜、七倉君だって選ぶ権利あるだろ〜!やだ〜俺が女でもそんなこと言っちゃうお前無理〜!!」
「は、はあっ!?」
「は〜、面白い。ギャグは顔だけにしとけって。お前の好きな子が七倉君を好きだって、七倉君はなにも悪くないんだよ。誰が誰を好きでもいい時代なんだからさぁ。そして俺達はハートで勝負するんだよ。そんでまず童貞卒業だけ考えときゃいいんだよ。な?」
「う、胸を抉られる・・・」
「男の僻みはみっともないぞ〜」
「わかった、わかったから。柳井もう黙って・・・」
「わははは」


教室の中は見えないので、七倉はただぼんやりとガラス窓から見える入場門と書かれた体育祭の看板を眺めていた。

(やない)

もう一度心の中で繰り返す。

(やない)

接点のない生徒だ。
名前だけじゃ顔も学年も解らない。
しかし自分のことを「七倉君」と言っていたから同学年だろう。
それだけ解れば充分だ。

(やない君ね、ふぅん・・・)

まだ何か話していたようだが、もう七倉の話題は終わったらしい。
静かに通り過ぎた七倉の表情は穏やかに微笑んでいて、すれ違った女生徒達はまた彼に熱い視線を送るのだった。


単純に、嬉しかったのだ。
ガセネタ(※しかし事実)に飛び付かず、セクシャルな部分にも否定はせずに、自身の人権だって尊重してくれた彼が。
柳井の顔も性格も知らないが、あの発言が柳井の全てで、七倉の救いだったのだ。




「だから僕、柳井君だけは殺さないでおこうって決めたんだよね」
「はあ・・・」

色々と衝撃的な思い出を語られた柳井は、そう返すしか言葉がなかった。

──柳井が大学を卒業して、教授にチラと知り合いの会社を受けてみれば?と持ち掛けられ、特に苦もなく就職できた新設の会社の社長は、蓋を開ければ高校時代のプリンスこと七倉であった。
気付かなかったのは、柳井が本当に入社したのは七倉の設立した会社の傘下だったからで、入社当日に異動を言い渡されると言う珍事を体験した翌日、出向いた会社に笑顔の七倉がいたのだから驚いた。七倉が大学在学中に起業し社長になったのは同期じゃ知らない人間はいない話で、柳井も「すごいなぁ」と思った位には頭の隅に置いてる記憶だ。どこの何て言う会社かは覚えていなかったが。

「僕の鬱屈した学園生活で心の支えとなってくれた柳井君だけは、僕の側に置いて大事に大事にしようと決めたんだよね」
「俺の知らないところで、そんなこと決めてたの?」

結構大事な内容だとは思うけど、とぼやく柳井は目の前の七倉に目眩がした。
着なれないリクルートスーツの自分に比べ、七倉なんてもはやスーツに遊び心をいれてるような完璧な出で立ちだ。オーダーメイドか、七倉の身体の為のスーツに身を包む七倉は、まさに成功者だ。同期の、いや、これからは更に業界での頂点にも上り詰めるような男は、柳井に思い出を語る傍らで暴露した「社会的抹殺計画」を実行できることだろう。それこそ、様々な人脈──柳井一人を簡単に自分の会社に誘導できるような人脈を用いて。

「あの、でもやっぱり、誰かを不幸にするようなやり方は・・・」

そろりと挙手した柳井に、七倉は満足げに頷いた。
あれから七倉が徹底的に調べた上げた柳井なら、七倉以外の他人にだって優しさを向けるだろうと知っている。それでこそ七倉の柳井だ。

「でも柳井君はどう思う?誰にも迷惑かけずに優等生でいた僕のセクシャリティーを勝手に全校生徒、いや、ネットだから全世界にばらされて、もし誤魔化すことか出来ずにいたら、十代の僕はあのままだと一体どうなっちゃってたんだろう」
「そ、そうね、そうね〜、う〜〜ん?」

件の女生徒は、一週間ほど学校を休んだが、次に登校した時は「やっちゃった」と反省をしたのかしないのか、舌をだして笑っていたらしい。控えてたSNSも完全復活して、自撮りとマウント取りに勤しんでるようだ。
しかし七倉への「噂」は、嘘だったと広まったもののいまだに同期と集まれば「そう言えば」と思い出話の一つとして面白おかしく花を咲かせる事もある。
被害者は完全に七倉だ。
そう結論が出て、柳井はまたそろりと挙手をした。

「じゃあ七倉君は、俺をこの会社に置いてどうしたいの」

そしてまた、七倉は満足げに頷く。

「文字通り、側に置いておきたいんだよね。朝から晩まで顔を見ていたい。一緒にお話もしたい。僕と言う人間を解って欲しいし、僕も柳井君の口から君の事を知りたい。あ、お給料はちゃんと出すよ。役職は、そうだね、僕の秘書として、仕事の全てに同行もしてもらいたい」
「ええぇ・・・」

それは急に荷が重い。
学生時代に仲が良かったならまだマシも、二人はお互いに在学中は、それどころか今日の今日まで、顔を見合わせて話したことはないのだから。
柳井の顔があからさまに曇ったので、七倉は社長机に頬杖をつき、悩ましげな溜め息を吐き出した。

「実はね、僕達の母校から、スピーチの依頼が来てるんだよね。若くして成功した僕の、学生時代の在り方、そして在校生へ未来の為の助言を、とね」
「あら。すごいじゃん」
「僕、そこで学生時代はゲイだと噂され、学校側は満足に火消しもしてくれず、陰口を言われ、好奇の目で見られ、反骨精神で成り上がりましたって、話そうかなぁって思ってるんだよね。当日はニュース番組のカメラが入る予定だし、僕の動画チャンネルのライブ配信もするつもりなんだけど」
「えっ!!?」
「でも嘘じゃないからねえ。面と向かって僕に悪くいう人はいなかったけど、誹謗中傷は本人にしっかり聞こえるものだよ。ああ、こんな話したら、あの学校は大変な事になっちゃうかもね。ただでさえ僕の出身校として有名なのに。・・・でも僕、あの学校だって許せてないからね」

本音半分、脅し半分。
柳井が「そんなこと止めてくれ」と懇願すれば、七倉はその願いを聞き入れる条件に、柳井の入社をぜったいのものにする。引き止めなければ実際に暴露スピーチしたって構わないし、母校で無理なら柳井の友人をネタに手篭めにすると言うカードもある。
どのみち、七倉には柳井を手放すと言う選択肢はないのだ。

さて、彼はどんな顔で何と言うだろう。
逸る気持ちを抑えつつ、七倉はチラリとアンニュイな表情を作って柳井を窺った。

「・・・そんなこと止めてくれ!」

ほら言った!

予想通りの柳井の発言に、七倉の口角が上がりそうになる。

「七倉君がまた傷付く必要はないだろ!?」

そして続いた発言に、七倉は理解が出来なかった。

「全校生徒とか、カメラの前とかで昔の話を蒸し返したら、また面白がって広める奴はいるよ。悲しいけど、多分・・・絶対。七倉が、ゲ、ゲイってのが本当だとしても、変に言う奴がいるって解ってるなら、そういうの俺は言って欲しくない。それだと前と同じだし、学生時代の七倉君だってかわいそうじゃん」
「・・・僕が?」
「だって、抹殺リスト作る位、嫌な思いしてきたんだろ?あの頃と同じ思い、今する必要はもうないじゃんか」

ややあって、七倉は理解した。
そうだ。根本的な理由は、自分が嫌な思いをしたからだ。性格的な問題はあるけれど、それでも嫌な思いをしなければ、学生時代の僕はこんな復讐に囚われるような生き方をしなかっただろうに。

「・・・はっ、はははっ!あははははっ!」

そしてそうやって七倉を解ってくれるのも、やはり柳井だ。柳井だけなのだ。

(だから僕、柳井君が大好きなんだよ)

壊れたように笑い狂う七倉に柳井がぎょっとしていると、ゆらりと席から立ち上がった七倉が近寄り肩を抱いてくる。離れたいが、力が馬鹿みたいに強い。あと立派なスーツに皺を寄せるのが恐れ多くて無下に扱えない。

「やっぱり、僕の側にずっといて欲しいなあ」
「普通に仕事をさせてくれ・・・」

僕が悲しむことは柳井君も悲しんでくれる。

(あーあ。延命されちゃったねぇ)

だから柳井君の悲しむことは、僕も避けてあげる。
リストに記名されている人達は、僕の寛大さと柳井君の優しさに最大限感謝すべきだろう。
そのお陰で、今ものうのうと社会で生きているのだから。

(まあ、まだしばらく泳がせておいてあげよ)

社会的制裁になるネタは、大きく多い方が楽しいだろうしと、七倉はにんまりと笑って、自分が七倉を含め誰かの危機を救っているとは微塵も思ってないだろう柳井の髪に頬を擦りつけた。





おわり

小話 167:2022/04/28

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