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真知の綺麗な目も長い髪も好きだけど、見た目が好きって訳じゃない。
いつまでも作品に真っ直ぐ向き合う心の持ちようも好きだけど、性格が好きって訳じゃない。
例えば真知がカラコンをいれたり、髪を切ったり、なんやかんやあって性格が180度変わっても、真知の事が好きだって断言出来る。
この気持ちはなんだろうなって、隣で夢うつつな俺の前髪を弄りながら困った顔して笑った雷音が、事故に遭って俺を忘れた。
俺の事だけを忘れた。

美大生の優等生と落ちこぼれ、日向と影、天と地みたいな俺と雷音。
注目と光が当たる場所にいた才能溢れる彼は、ボサボサでキャンバスとしか向き合っていなかった俺をある日見つけて掬い上げた。
両頬を捕まれて無理矢理顔を上げさせられた先にあった雷音の輝くキラキラの目にの奥に、ギラギラと燃えるような熱を見た。

「真知君が一番綺麗だ」

爛々と輝く雷音の瞳に間抜けに映る俺は何も言えなかった。
ただ、天才的な芸術家は嗜好もぶっ飛んでいることは、雷音の猟奇的にも感じる熱のこもった目をみれば身をもって知ることになる。
俺も綺麗なものは好ましいし、神の作った造形物みたいな雷音は華やかで、美しい。その癖自分の作品には妥協点を作らず、一心に愛情を注ぎ、見る者に圧倒するほどの感動を与えるのだから、もはや妬みすらも沸いてこない。

そんな彼が、俺の明確な理由はなくただただ好きなんだと告げて、付き合い始めたばかりだった。
ここ数ヵ月分の記憶だけが、ぽんと抜けているらしかった。その数ヵ月の間の出来事だけを、雷音は覚えていない。
雷音が俺を見つけたのが三ヶ月前。
雷音に口説き倒され付き合い始めたのが一ヶ月前。
初めてセックスしたのが昨日。
俺の事を知らないのだから、俺と出会ってからの怒涛の三ヶ月全ての行為は、雷音にはなかった事になっている。
事後のベッドで寝こけてる俺の事散々好きっていって、始発で帰るからってそっとベッドから出てって、その帰り道、事故。

急に連絡が取れなくなり、学校でも姿を見せなかった雷音に不安を覚えたものの、学校で話題の人物が交通事故にあったと言うのはすぐに俺の耳にも入ってきた。
雷音と同じ彫刻専攻の友人が、俺と雷音の関係は知らないだろうけど、友達としてそれなりに話していたのは知っていたので「見舞いに行くか」と声をかけてくれたのは、それから二週間後だった。
それから雷音のスマホがバキバキに粉砕したので誰とも連絡が取れなかった、連絡がいった親が学校関係者に一報入れたから同じ専攻の自分達も知った、容態は安定しているし身体もリハビリしたら回復は見込めると聞いたので、ほっとしたのもつかの間。

「でも事故の三ヶ月前くらい、記憶が飛んでるらしい」

ヒュッ、と、食道に冷たい空気が落ちた気がした。



雷音の病室。
痛々しい姿の割りにいつも通りの人懐っこい表情を浮かべていた雷音は、友達の後ろに立っていた俺を見つけると、身を乗り出すように首を傾げて「えーっと?」と疑問符を頭に浮かべていた。そりゃ、知らない奴が見舞いに混じってたら不思議だろう。

「雷音、ほら、お友達の真知君」
「え?」

雷音の友人と雷音の、そのやり取りだけで、全てを察した。それは雷音を除く全ての人物も同じで、病室が一気に気まずい空気に包まれる。

「あの、でも友達って言っても俺は専攻も違うし、そんなに話す仲でもなかったから・・・」
「そうなの?」
「ただの顔見知りって言う方が正しいみたい。三ヶ月前までは他人だったから」

包帯をグルグルに巻かれて腕にギプスをつけた雷音に対し、自分でも驚くほど静かに話せていた。
涙を流したり、腹が立ったり、そんな感情は沸いてこなかった。
ああ、そうなんだ。じゃあ、今まで通りの日常に戻るだけなんだ。ふぅん。
自分がいても皆が気まずくなるだけなので、「心配だったから顔をみに来たけど、元気そうでよかった。お大事に」と元々笑顔を作るのは苦手だけどぎこちなく笑って、病院を後にした。病室のある棟に振り返ることもなく、俺は家に帰った。帰るしかなかった。





「雷音、大丈夫だよ。リハビリ頑張ってるし、前と特に変わりないみたい」

雷音とよく一緒にいる本当の友達が、度々現状の報告をくれた。俺達が付き合っていた事は知らないけれど、雷音がやたら俺に構っていた時期を知ってはいるから、「雷音の記憶から消えた友達」を心配してくれているのだ。雷音の周りは優しさで溢れている。
「そうなんだ」と返すしかない俺に、彼らは勝手に悄気ていると勘違いしてくれたようで深入りはしてこなかったのが有り難い。スマホも復旧出来ないのなら、俺とのやり取りも第三者にも、当人にも見られることはないだろう。元から誰にも話していない関係だ。本当に跡形もなく、俺達の仲は元通り、何もなくなってしまった。

身体の回復とリハビリ、検査を終えた雷音が退院したと聞いたのは、それからまた三ヶ月後だった。病室でみた雷音はけろりとしていたようだけど、やはり見た目通りに重症らしかった。見舞いにもう一回くらい行けば良かった。行ったところで、雷音が困るだけか。

嵐のような雷音が俺の日常を荒らして通り過ぎ、台風一過のような凪いだ毎日に戻るだけの話じゃん。








「真知君」

呼ばれてギクリとしたのは、呼んだ相手が雷音だったからだ。作業着のラフないつもの格好だけど、顔とか捲った腕からは見たことのない傷が残っていた。
中庭で創作している人の作品をぼんやり眺めながらベンチに座り、手に付いた油絵の具を弄っていたので完璧に油断していた。勝手に隣に座った雷音はペットボトルを二つ持っていて、明らかに俺を探していたのが解る。俺の手に付いていた絵の具に気付くと、雷音はキャップを弛めて渡してくれた。

「ありがとう。と、退院おめでとう」
「ありがとう」

雷音が自分のボトルを傾けてくるので、遅れて自分もボトルを傾けて小さな乾杯をした。この場合、退院した雷音に俺が奢るべきなんだろうけど、今のは不可抗力だから仕方ない。
ひとくち飲んで喉を潤すが、潤した喉から発する言葉はない。俺達はいま「特に接点のない二人」なのだから、話す言葉がてんでない。雷音に至っては俺なんて目にも入ってない存在だったのだから、なおさら何しに来たのかも解らない。
横目にその雷音を見れば、予想外に顔ごとこっちを向いてたんでかなり驚いた。

「え、何?」
「この前病院で、真知君は僕のことただの顔見知りって言ってたけどさ、僕は真知君のこと知ってたって、知らなかった?」

・・・初めて聞く言葉に、ん?と眉間に皺が寄ってしまった。その顔が返事となったのか、雷音は口をへの字に曲げると膝の上に置いた手で顎杖を付き、落胆するようにため息を吐き出した。

「実は中学の時、県の美術コンクール、真知君と同じ油絵で出したことあるんだよね。その時に真知君のことも、真知君の作品も、両方が印象的だったからずっと覚えてた。・・・って話、前の僕は話してない感じ?」

思いもしなかった初耳の内容にコクコク頷くと、雷音は顔をしかめて過去の自分への叱咤だろうか、少し開き直ったように「マジか、くそ」と吐き捨てた。

「まぁ、その後僕は彫刻の方が楽しくなってそっちに移ったけど、コンクールに出展した部門別で真知君の作品はずっと見てたよ。高二の夏、入賞してたのも勿論知ってる。そしたらここに入学して、その人がいるって知って、低迷してる時期に入っても真っ直ぐ絵を描いていてかっこいいなって・・・本当は、うん、真知君は僕のこと知らなかったろうけど、僕は結構真知君のこと知ってたよ、実は」

中学から知ってたなんて、聞いたことない。
急に話しかけてきて、てっきり奇才の目に止まった一目惚れと言う名の気狂いかと思ったけど、え、中学て、五年以上前からじゃないか。いやでも、知名度と恋愛感情は別物だ。今の雷音が俺を知ってるからって、今も好きとは限らない。
雷音の目を見れなくて、無駄にキョドってしまう。

「あのさ、三ヶ月前までは他人だったって真知君が言ったから、もしかしてこの三ヶ月で僕達友達にはなれてたんじゃないかって思ったんだけど、違う?」
「・・・そだね。仲は、良かったよ。周りは知らなかったけど」
「ああ!やっぱり!真知君がお見舞いに来てくれたとき何でいるの!?って思ったんだよ!」

ほっとした顔の雷音は、俺の絵の具まみれの手を掴んで握手のように握ってきた。あの時の戸惑いの表情の意味を知って、目頭が少し熱くなる。

「三ヶ月分の真知君のことはごめんけど思い出せないから、その分もっと前から真知君のこと知ってた話はしたかった」
「うん」
「あ〜。前の自分がなんで話さなかったか解るよ。だって何年も前から今の今まで一方的に君のこと知ってたなんてちょっとキモいもんね。でももう空白期間が解らないから形振り構ってらんないよ。そう言えば真知君が夏に作ってた作品は完成したのかな!近くで見たかったなぁ〜!」

よく喋り握った手をブンブンと手を振る雷音ははしゃぐ子供みたいで、つい、つられて口元がゆるんでしまう。

「作品を作る為に色んなものを見てきたけど、作品に向き合う真知君が一番綺麗だよ」

その台詞は、雷音が俺に初めて会った時に言った台詞だ。
急に呆けてしまった俺に、雷音は手は握ったまま顔を覗き込んでくる。

「え、何?恥ずかしい台詞だった?」
「・・・綺麗って、俺の何が」
「そうだな。真知君の綺麗な目も長い髪も好きだけど、見た目に惹かれたって訳じゃないんだよ。作品に真っ直ぐ向き合う姿勢も真面目さもいいけど、性格が好きって訳でもないしね。それでも、君の事が好きだって断言出来るよ」

その台詞だって、初めてやることやった後に言ったやつじゃんか。

「お前、何でまた同じこと言ってんだよ・・・」
「え、僕、君に同じこと言ったの?それは恥ずかしいね」

本当に恥ずかしそうに笑う雷音が、鼻の頭を掻いて、少し考えるように空を見上げた。

「え、じゃあずっと前から好きだったって話はもうした?」
「はあっ?」
「あっ、嘘、してないの!?いやもう言っちゃうけどずっと真知君が好きでした付き合ってください!」
「えっ」
「ってゆうか、真知君と三ヶ月間も大人しく友達として我慢出来てた気がしないけど、僕達何もなかった?」
「えっ」
「何かあった!?」
「えぇ・・・」

言っていいのか、悪いのか。
一目惚れとか綺麗とか歯の浮くような台詞ばかり言ってきた雷音の目が覚めて、俺に飽きるんじゃないかとか、そもそも遊びだったんじゃないかとか、色んなことを考えて、結局は俺の保身の為に傷付かないように全部を諦めたふりして、無かったことにしようとしたのに。

「言ってよ、真知君。俺達、何なの?」

期待と不安で揺れる雷音の瞳の奥の炎が消える前に、俺はおずおずと、唯一この世に残っているメッセージのやり取りや俺のカメラで雷音が勝手に撮ったツーショットの入ったスマホを差し出した。
すっかり雷音の熱に魅了された俺は、その熱さを忘れることなんて出来なかったのだから。





おわり



記憶戻らないエンドだけどその分一気に取り戻すので大丈夫です。

小話 163:2021/12/19

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