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桃山信太郎の名が略して桃太郎だと気付いた小学生達は、それはそれは面白がった。
でもそれはバカにして茶化すのではなく、小学校一年生ながらにして桃山が勉強も体育も出来て、男子にも女子にも平等に優しくて、発言力も統率力もあるリーダー気質な生徒だったからで、「正義のミカタだ!スゲェ!」という意味で盛り上がった話だ。
対して俺、犬井駆。犬という字面から誰かが安易に「じゃあ犬井は桃山の家来じゃん」と言ったのが事の始まり。
もとい、悪夢の始まり。







「あれ。駆、どこ行くの?」

ギク。
高校生になった俺は、今だこの悪夢から覚めないでいた。
信太郎の視界の隅でこっそりと帰宅の準備をしていたのに、教室から出る直前に捕まってしまった。背負っていたリュックの持ち手部分を人質のように握られて、まさか貴重品や勉強道具の入ってるそれらを置き捨ててまで逃亡をはかるわけにもいかず、俺はせめてもの反抗として振り返って信太郎を睨み上げた。

「か、帰るんだよ」
「は?一人で帰んなっつってんじゃん」
「いや、帰るし」
「ふぅん。鞄とってくるから」

ボン、とリュックを一叩きされてつんのめる。
これは「逃げるなよ」の意味を込めた一撃だ。
なんだクソ。偉そうに。
俺の恨みがましい視線の先では、信太郎の机の側で駄弁っていた女子達が名残惜しそうに手を振っていた。

「桃くーん、バイバーイ」
「うん、バイバイ」

ヒラヒラと指先を動かすだけの笑顔ひとつない挨拶なのに、それでも彼女達は「キャー!」だなんてアイドルにファンサービスをもらったかのように喜んでいる。いやいや、そいつ信太郎だぞ。マジかよ、おいおい。一生解り得ないだろう現象にドン引きしつつ、今の内に踵を返す。俺は一人で帰りたいのだ。信太郎なんてお呼びでない。

「よぉ、犬井〜。お前相変わらず桃山の追っかけしてるね〜」
「はあ〜?」

教室を出る手前、中学から一緒の奴に聞き捨てならない台詞を吐かれて足が止まった。
何で俺が信太郎を追っかけてる事になってんだ。お前三年間何見てきてんだコラ。
自分の名誉もあるので、俺は信太郎から逃げるという名目を忘れてつい、噛みついてしまった。

「違うし。俺じゃなくて」
「俺の犬にちょっかいかけないでね」

背後からリュックを引っ張られ、その犯人である後ろに立つ人物にぶつかった。ぞわわわっと鳥肌が立つ。錆び付いたブリキの人形のみたくギギッと振り向くと、笑ってるようで笑ってない目をしている信太郎が俺に絡んできた奴に見せ付けるように肩に腕を回してきたからだ。
そんな信太郎の醸し出す空気なんて一向に読まないそいつは「ごめんて。じゃあな〜」とケラケラ笑って俺達に手を振るだけだから、そりゃあ三年間気付かないはずだと落胆しながら納得してしまう。

「さ。帰るよ、駆」

横を向けば鼻が信太郎の頬に触れてしまうくらいの距離で低く囁いてくるもんで、俺はウッと言葉に詰まって頷いた。
信太郎の側にいると、それこそ犬のように見えない首輪を付けられている気分になる。


「駆のくせに俺を置いて帰るとか生意気」
「いてっ」

校門を出たところで、信太郎が俺の耳たぶを引っ張って無理矢理言い聞かせてきた。耳たぶだからそんなに痛くないけど、その手をひっぱたいて労るように耳をさする姿を見せつける。

「お前いじめっ子だから嫌いなんだよ」
「・・・へぇ?」
「こわ!顔こっわ!!」

さっきの女子達がみたら百年の恋も冷めるやつ!
信太郎は「桃太郎」なんて言われてきたけど、俺からしたら全然主人公じゃない。小さい頃から俺にだけずっと意地悪で、偉そうで、なんでか支配下に置きたがる。ガチ苛めじゃないけど、やたら俺にちょっかいかけて突っ掛かる。小学校でも中学校でも、そんな信太郎に勘違いした奴が俺をパシろうとしたり下手に弄ろうとすると、信太郎は表情には出さないけど静かに怒ってストッパーになってくれたものの、元々の原因はお前だろうがって言う訴えは聞き入れてもらえない。
俺だって言い返したり、どつき返したりはするけど、信太郎はそれでも俺に構うのを止めてくれないからどうしたものか。

「駆、俺の事いじめっ子とか思ってたんだ」
「似たようなもんだろが」

俺より顔が高い位置にある信太郎が、不満と苛立ちを込めて見下ろしてくる。その視線をバシバシに受けながら、俺だって何でそんな不服そうな顔してるんだって顔を歪めた。まさか俺が苛められて喜ぶタイプとでも思ってんのか。

「何だよ、俺に好かれたいんなら優しくしろよ」
「はあ?駆が大人しく俺に従えばいいんじゃん」
「お前マジムカつく。俺お前マジ嫌い。大嫌い。バーカ!」

語彙力のなさが知力のなさを表してるようで恥ずかしいところだが、感情任せの言葉に嘘はない。
いつもクールぶってる信太郎の目尻がピクッと動いたのを見て、俺はダッシュで逃げ出した。学校内なら捕まるけど、街中ならなんとかなる。振り返らずに人混みの中を駆け抜けて、走って曲がって走って、目についた書店の二階の文房具売り場で足を止めた。
振り返っても、辺りを見渡しても信太郎はいない。
心の中でガッツポーズをして、信太郎に言ってやった達成感からニヤニヤしてしまう。俺の脳内で天使がお祝いのラッパを吹いて、紙吹雪を散らしてくれた。
明日からのことは・・・明日考えよう。
文房具売り場と書店で時間を潰して、俺は晴れ晴れとした気持ちで普段より遅い時間に帰路に着いたのだった。








翌朝、いつも勝手に俺の最寄駅で待っている信太郎は果たして──。

「おはよう、駆」

いた。
いんのかい。
昨日の俺の発言をどう捉えたのか、堪えた様子も反省した様子もなく、いつも通り信太郎は駅にいた。

「お、おぉ、おはよう」
「行こう」

しかしビビりまくってしまった俺を一瞥しただけで、信太郎は特に何かを言うわけでもなくホームへ向かう。てっきり嫌味を言われるか、小突かれでもするか身構えていた俺は、呆気にとられて立ち尽くしてしまう。
後ろに俺がいない事に気付いた信太郎が振り返り、いまだ歩かないでいる俺を見つけると大股で戻ってきて手をとってきた。

「あ?」
「時間ないから、急ごう」

そうして少し早めに歩きだす。
繋がれている手に釘付けになりながら、もつれそうな足を信太郎に合わせて何とか着いていけば、改札口もそのまま通っていくのでリュックにぶら下げていたリール式のパスケースを慌てて手繰り寄せた。

「おい、おいおいおい」

ホームで列の最後尾に並んだと同時に、強引に繋いでいた手を思い切り振りきった。俺を連れて回る時、たいてい肩に腕を回すか腕を掴むか、俺の意思なんて関係なく信太郎の行きたい所やりたい事に付き合わされるだけ。手を繋がれるのは初めてだ。

「何手なんか繋いじゃってんのよ」
「・・・」
「・・・え、何?」
「別に」

しらっとした目で俺を見下ろす信太郎は、何か言いたげに間を作ったくせに結局視線をホームに入ってきた電車に移してしまった。
歯切れの悪さにモヤモヤする。

「人、多いから気を付けて」
「は?」

人が多いのはいつもの事だ。朝の電車なんて毎日こんなもんだろう。気を付けて、なんて初めて言われたんだけど。

「駆、こっち。大丈夫?」
「えぇ?」

それに毎日リュックを前に回して体幹を頼りに耐えるように車内を過ごしてるけど、今日はなんでか信太郎が奥の扉まで背中に腕を回して誘導してくれた。信太郎は俺の前に立って、人混みを背中に受けている。今までだって、知らない人にぶつかって迷惑かけるよりは信太郎に迷惑かけるように寄り掛かっていたけど、信太郎が俺を匿うなんてのはこれまた初めてだ。

「だ、大丈夫だけど、お前が大丈夫かよ」
「全然平気」

いつものクールな信太郎が揺れにも人混みにも動じず、何でもないように言った。
いや、今のはお前の頭大丈夫かよって意味だったんだけど。だって信太郎、今まで俺に「大丈夫?」って聞いたこと無かったじゃん。俺が体調悪そうにしてた時だって「変なもん食べたんでしょ」とか「馬鹿は風邪引かないはずなんだけどね」とか、思い出すだけで足を踏んじまいたい腹立たしさだけど、何で今、俺を気づかったのよ。

まじまじと信太郎を見てしまったけど、それに気付いてる信太郎も何も言わない。
奇妙な電車での時間を過ごして、体感三時間程の乗車をやっと終えた。実際は三十分だ。
降車の際は信太郎に肩を抱かれて人混みを難なくすり抜ける。なんだこの、スマートな技術は。人混みの隙間が見れる千里眼でも持ってんのかって疑いの目を向けてしまった俺に、信太郎はまた手を伸ばしてきた。

「どうしたの。ほら、そこ危ないから行くよ」

信太郎の指先が、いまだ人が行き交うホームで立ち尽くす俺の指先に触れる。
でもその寸前に、俺は手を宙に上げた。ギブアップだ。今日の信太郎、すごく変。

「どうしたのって、お前がどうしたの」
「俺?別に、何ともないけど」
「え、なんか優しいじゃん。怖いってかキモいんですけど・・・ひえっ!」

クール通り越して極寒。
背景に氷河と猛吹雪が見えるほどの冷たい目付きの信太郎が俺を睨み付けたと思ったら、耳たぶをぎゅうっとつねられた。

「駆が好かれたかったら優しくしろって言ったんじゃねーか!」

耳に直接怒鳴りこんだ台詞に、耳がキーンとなる。信太郎の手が耳から離された隙に、両手でつねられた耳を庇う。
え、俺が、言ったやつ?
今日の信太郎の行動と台詞と、昨日の俺がリフレインする。
俺に好かれたいんなら優しくしろって言った。そして今日の信太郎は怖いほど優しかった。

「・・・優しくって、普通はあんなんしねーよ。両極端だな、お前」

呆然としながら、合点がいった信太郎の謎行動に乾いた笑いが出てしまう。ハハッと小さく、そして今このおかしな空気を茶化すように笑えば、信太郎は珍しく目尻を赤くしてそっぽを向いた。えー、何その反応。

「信太郎、俺に好かれたかったの?」
「・・・」
「もしかして、今まで構って欲しかったから構ってきてた、的な?」

まさか、まさかだろうと思いながら恐る恐る問いかければ、そっぽを向いたままの信太郎はもう首まで赤かった。
まじか。
あいた口が塞がらない。
小学校から今の今まで?ずっと?そんな小学生の男子が好きな子にちょっかい掛けちゃうみたいなやつ?俺達もう高校生よ?
小学生の時、信太郎が桃太郎で、俺は犬だって言われた時、信太郎はキラキラした目で、いいおもちゃをみつけたみたいに、にやあって、思い出の中で一番の笑顔を見せてきたけど、あの時から?

「え、えっと、あの、えーっと」

なんて言えばいいのか、俺は自分から答えを導こうとしたくせに、いざその答えに直面すると何の反応も返せなかった。

「ああもうっ、うるさい!そうだよ!駆が好きだよ!馬鹿馬鹿しいけど名前で縛っとかないと関係性なんてなんもないじゃん!」

一人でわたわたしている俺に痺れを切らしたのか恥じらいの頂点に達したのか、信太郎はまるで俺の脳内を読み取ったようにワッと叫んだ。
信太郎、大声出るのか、なんて別の事を考えてしまうくらい、若干現実逃避をしている俺がいる。

「ふ、普通に友達でいいのでは・・・」
「ダメだっ!」
「お、おぉ・・・」

勢いのいい返答に背筋がピンとなる。
ホームは一時閑散としているが、もうすぐ次の電車が到着するし、乗り換えや次のタイムテーブルにあわせた乗客達でごった返しになってしまう。学校にも行かなくては。チラチラと辺りを見渡している俺に、足元に視線を落としている信太郎は気付かない。

「俺が駆の側にいれるのなんて、名前が桃太郎に似てるってことだけじゃん。だから、ずっと駆を俺の犬だって言って周りに牽制してたよ。きびだんごなんて、手に入らないからね」
「お前、頭いいのに何で馬鹿なの・・・」

もしかして頭よすぎて逆に馬鹿になったのかもしれない。いやでも小学生の時からこれだったと思えば正直ゾッとした。

「うぅ〜〜ん。でもとりあえず、信太郎はいつも通りでいいよ。今日の信太郎、やっぱり何かちょっと変だったし」
「ああ。駆の言う通り、駆に対して優しくするって一晩考えてみたけど、段々とゲシュタルト崩壊してきて優しさの意味がわからなくなってきたとこだよ」
「俺に対する扱い謎過ぎるんですけど。まあ、信太郎はちょっと感じ悪い嫌な奴があってるよ、うん。あいたっ」

俺がうんうんと頷くと、信太郎がビシッと頭頂部に手刀を食らわせてきた。油断していたからノーガードでダメージを受けてしまったけど、顔を上げればいつも通り、ちょっと嫌みったらしく、でも楽しそうに口角を上げている信太郎と目があった。
ああ、うん。信太郎はそういう風のが似合ってるよ。
つい笑ってしまえば、信太郎は俺に背中を向けて手をヒラヒラと振って歩き出した。

「いいよ。駆がいじめられる方が好きって言うなら、今まで通りいじめてあげる」
「は?ちょっと待て。人をドMみたいに言うんじゃねえよ」
「ああ、ほら。急がないと遅刻しちゃうよ。全く、駆に気を遣うなんて馬鹿らしい。駆は今の俺のが好きみたいだし、杞憂だったなあ」
「す・・・っ、いやそれはまた話が違うだろ!」

バタバタと信太郎を追い掛けながら、鬼ごっこのように学校まで走っていく。
でも俺がちゃんとついてきてるかとか、人にぶつかんないようにだとか、時折振り向いてはニヤッと笑う辺り、変なところの気配りはいつも通り完璧な信太郎、こいつはただ不器用なだけなんじゃないかと俺は今日の答えを見つけてしまった気がした。




おわり



好きな子に優しく出来ないっての可愛いよね。


小話 161:2021/11/27

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