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「お兄ちゃん、これどうするの」

シューズインクローゼットから今年の夏用のパンプスを漁っていたはずの誠の妹が、目的の物とは別の物を掲げてリビングに戻ってきた。
家庭用手持ち花火、しかも大袋。
それを見た誠は、エアコンの効いた涼しい部屋で快適に過ごしているくせに盛大に顔を歪め、眉間を押さえてうつ向いてしまった。

「これ去年買ってたよね。去年の花火って使えるのかな?」

そんな兄の様子を気に止めることもなく、妹はパッケージを裏返して注意書をまじまじと見やり、首をかしげる。しかしどうも理解しがたいようで、文明の機器であるスマホを持ち出し「去年の花火、使える」と音声を吹き込んだ。ピコン、と音がして、すいすいと指を動かし検索結果からお目当てのページを選んでいく妹の姿に誠は訴える。

「・・・それはもう、捨てよう・・・」
「捨てるにしたって捨て方がわかんない。爆発したら怖いし。あ、使えるっぽいよ。ちゃんとしまってたし湿気てないから大丈夫じゃない?勿体ないから使えば?」
「じゃあ、あげる」
「え、マジ?」

去年の夏、誠が夏に浮かれてファミリー向けの大袋を購入したので、なかなかにボリューム満点、友達を何人か誘っても皆が充分楽しめる容量だ。
ただしそれは家族と楽しむ為に買った花火ではない。恋人と楽しむ為でもない。友達改め、片想いの相手と楽しんで、その場の雰囲気で告白しようと思い、購入したのだ。 だと言うのに。
「明日からずっと、泊まりがけで海の家のバイト入ってる」
予定を立てようとすれば、けろりと相手から返された言葉に絶句した。しかしわりと裕福な実家でぬくぬくと大学生生活を満喫している自分が、親からの仕送りとバイト代でやりくりして生活している相手に対し、花火をしたいから一日くらい休んでも、とはとても言えない。絶対に言えない。
言葉にはしないが明らかに意気消沈した誠に、相手は怪訝そうに頬をかいた。
「え?もしかして何かあった?」
「ない。何も、ない・・・バイト頑張ってね」
「おう!苦学生は大変よ」
「ハハハ・・・」
と言うわけですっかり用無しとなってしまった花火セットは、自分の気持ちと共に暗い場所にしまい込んでいたのである。友達と言う関係から進みたいとか、この夏の思い出が欲しいとか思っていたのは自分だけだと、思い上がっていたのも恥ずかしい。
この花火は馬鹿げた自分を具現化したようなものなので、出来ればもう二度と見たくなかった。


──家のインターホンが鳴った。
兄妹揃って顔を上げ、腰も上げたのは誠が先だった。

「俺、ちょっと出掛けてくるから、ごめんけど一人で留守番しといて」
「オーケー、オーケー。いってらっしゃい」

親指と人差し指をくっ付けて丸を作る妹に頷いて、誠は玄関の扉を開いた。夏の陽射しと熱気と共に、「や」と小さく手を挙げる、彼の友人が現れて僅かに口角が上がる。今日は山に行きたいと言う相手の意見を聞いて、自分のバイクで少し遠出をする予定だ。しかしふと、そういえばバイクのキーは大学用のリュックに入れていたのを思い出した。今肩に掛けているのは軽装用のボディバッグだ。

「ごめん。キー取ってくるから、ちょっと上がって待ってて」
「りょ」

階段をのぼる誠の後ろ姿を見送りながら、広々とした上がり框にてポツンと手持ち無沙汰に佇む彼は、暑さで襟元を煽りながら風を送って静かに待つ。すると、リビングに繋がる扉から顔を出していた妹と目が合い、二人揃って破顔する。もはや顔見知りの関係である。

「紘一さん、こんにちは!」
「こんにちは〜!お邪魔してます」

兄の不在を確かめた妹は、小さな足音を立てて彼──紘一に近寄ると、ニッコリ笑って後ろ手に持っていた花火セットをじゃーん!と掲げて見せた。

「お、花火。でかいね〜」
「ふふふ。これ、お兄ちゃんから貰ったんですけど、せっかくだから二人で楽しんでください」
「え?貰ったのにくれるの?」
「うーん。この花火はきっと、二人で消化してくれないと報われません」
「よくわからないけど、ありがとう」
「・・・何してんの」

押し付けられるように渡された花火を眺めていると、二人の頭上から低い声がした。ハッとして両者揃って顔を上げると、胡乱な目付きの誠がいつの間にか立っていた。彼と妹が仲良さそうなのは問題ないが、例の花火を紘一が持っているのは何なのだ。

「誠、妹さんから花火貰った。今度やろうぜ」
「うふふ。彼ピと楽しんできてね、おに〜ちゃん」

語尾にハートマークをつけるように悪戯に笑って耳打ちした妹に、誠は顔を赤くして絶句した。





「誠も暇なら、一緒にバイトする?」

昨年の夏、意気消沈していた誠に紘一が掛けた台詞は、的外れで魅力的なものだった。

「海の家、俺が今バイトしてる居酒屋の系列が出すやつで、フェスも開催するから男の人手はたくさん欲しいって。今からでも話通じると思うよ、どう?」
「え、マジ?」
「マジマジ。夜は海からどっかの祭りの打ち上げ花火見えるんだって。ひゅ〜ロマンチック〜」

バイト云々より、まだ紘一と一緒に夏を過ごせるチャンスがあることに誠は仕事内容の確認をするまでもなく飛び付いた。
肉体労働と日焼け、加えて逆ナンに追われる毎日のバイトは後悔する程忙しかったが、宿泊施設の安い民宿で隣に眠る紘一を見たら弱音なんて言ってられない。むしろご褒美。寝顔を眺めていると封印したはずの告白の台詞が飛び出しそうになるが、相手にその気を望めないのなら、こんなところで失敗して気まずい日々を送りたくない。
気を引き締め直した誠は紘一と共に迎えたバイト生活最終日の夜、この場限りのバイト仲間達と浜辺で件の打ち上げ花火をバイトの打ち上げと共に楽しんでいた。酒を飲む者、海にもつれあって入る者、砂浜に転がる者。解放感から様々である。誠と紘一は離れた場所から彼らと花火を見守って、互いに労いの言葉を掛けていた。夜の海は暗く、遠くで仲間がはしゃいでるとは言え、花火を眺めつつ二人きりでいられるのは絶好のシチュエーションで誠の心はそれだけで満たされてしまう。


「つっかれた〜!明日は丸一日寝る以外したくね〜!誠マジおつかれ!」
「紘一もお疲れ様。すっげぇ焼けたわ。俺史上初の黒さ」
「どれどれ。って、夜だからわかんね」

ケラケラ笑う紘一の笑みが一際大きな花火で明るく照らされた。誠が見とれてる間に、紘一はその花火に瞳を輝かせ、そして言ったのだ。

「バイトきつかったけどさ、やっぱり俺、誠が好きだからここでも一緒に入れて嬉しいわ」


その時の誠と言ったら、物凄く気の抜けた「へぇ?」と言う言葉にならない返事しか出来なくて、紘一の爆笑を掻っ攫ったのだった。




紘一による夜空の大輪の下での告白に比べたら、自分の手持ち花火の何とちっぽけなことか。

「この花火は燃やしつくそう。跡形もなく、灰になるまで」
「うん? 花火だからな!」

真意を知らない紘一は、誠とは打って変わって親指を立てて清々しく笑った。



おわり


小話 156:2021/08/08

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