149



生きづらいのは世の中なのか、自分自身か。



「うーわっ、マジでうぜぇ!リア充爆発しろってやつじゃん!!」
「もうお前ら死ねよマジで!」
「はぁ?僻むなし。お前らが死ねし」

次いで沸いた笑いに、志原も場に倣って顔を無理矢理ひきつらせた。
友人が最近出来た彼女との惚気話を延々と繰り返すのを、また別の友人達が冗談で茶化しただけだ。それだけだ。解ってる。解ってるのに、志原は浮かべた笑顔とは裏腹に、腹の下あたりがギュウっと痛くなるのを感じた。




──ちょっとサボると断って、志原は五時間目の授業時間は教室に居残った。他の生徒は今頃、体育館でバレーボールだ。教室に一人でいるところを見回りの教師に見つかれば注意ものだが、動くのも億劫な志原は頬をペタリと机にくっつけて唸っていた。
モヤモヤ、グルグル、ズキズキ。
うまく吐き出せない感情が体内を駆け回ってるようで気持ち悪い。
教室のエアコンから人工的な冷風が髪を撫で、カーテンを揺らす。窓辺を向いていた志原はその動きを目で追いながら、その向こうの光りに少しだけ目を細めた。その隙間から、飛行機雲を見た。
青い空に、徐々にのびていく白い雲。どうやら飛行機は現在進行形で飛んでいるらしい。
席を立ち、窓を開けて少し身を乗り出したのは、それを見ようとしたからだ。
直に当たるむわっとした熱気と太陽の眩しさに顔をしかめるが、肉眼で見える機体から目が離せなかった。そういえば飛行機雲なんて、最後にみたのはいつだっただろう。
子供のように背伸びして窓枠の向こうへ気を向けていた志原は気付かなかった。
誰かが教室に、怒気を含んで、自分に近付いていたことに。


「死ぬなっ!!」


突然の大声と、物騒なワード、腕を掴まれた衝撃、咄嗟に振り返った先の相手の超至近距離ドアップ。

「──・・・へ?」

その迫力を透かすような間抜けな返答しか出来なかったが、目の前の相手は離さないと言わんばかりに志原の両肩をギュウっと痛いくらいに握りこんでくる。それと同等に突き刺さるくらいの真っ直ぐな視線。しかしそれら以上に、相手が悲痛な表情を浮かべているのだから志原は正直なところビビってしまい、強くでられなかった。

「あの、俺?死なない、けど・・・?」

この場の空気を切り抜けるように笑みを見せると、相手は恐る恐る、そしてそろりと志原の肩から手を離した。一歩退いて、目元を手で覆いながら「は〜〜」と心の底から安堵の溜め息を吐き出してみせる。

「いや、ビビった。悪い。飛び降りるかと思った・・・」
「あ、飛行機雲、見てた。あれ・・・」
「あ、そー・・・」

あれ、と指差した雲は、もう薄く広く縦にも横にも伸びて消えそうなところだ。その名残を彼も確認したらしく、空から志原、志原から空を何度か見比べて、今度は脱力したように「ふ〜〜」と息を吐く。次に顔を上げた時、照れくさそうに前髪を流した彼の顔に、志原はようやく合点がいった。

「え?あれ?もしかして磯崎?」

見知らぬ生徒かと思ったが、その顔をよく見れば、志原のクラスの学級委員だ。普段は眼鏡スタイルで、そんなに顔を見て話す間柄ではないので気付くのが遅れたが、ようやく名を呼べば、「はぁ?」と顔を崩された。お前何言ってんの?という顔だ。ごもっともだろう。

「ごめん、眼鏡ないから解んなかったよ。眼鏡どしたの?ってか授業は?」
「・・・顔面にボールくらったから・・・今日はもう上がれって・・・。だからもう着替えて、あぁそうだ、体操服・・・」

自分の頬を触った磯崎は腫れか照れか、志原が思うに顔が少し赤い気がした。そして自分の手に何もないのに気付き、振り返った先の教室の入り口に落ちていた体操服を拾いに行ったのは、勘違いだが志原の飛び降りを阻止する為に放り出した為だろう。

「顔面って大丈夫なやつ?」
「まー、眼鏡は直せるから」
「じゃなくて、磯崎の目とか顔とか。まあ眼鏡も心配だけど」

不服そうに、ズボンポケットから取り出したのはいつもの磯崎眼鏡だ。見たところレンズの割れもフレームの歪みも見受けられないので、顔面レシーブこそしたものの、上手いこと眼鏡は避けたようだ。
眼鏡を本人に返しながらその顔を確認すると、細いと思っていた目が大きく開かれた。サッと頬に赤みが増すのを見て、やはりボールを受けたのはそこだったかと志原は密かに認めて頷いた。

「・・・別に、平気」
「そかそか」
「あのさ、冷やすの貰いに保健室寄ったら志原いなかったんだけど・・・普通にサボり?」
「あ〜、うん。内緒ね、へへへ」
「・・・ふぅん?」

友達が教科担任に保健室で寝てるとでも言ってくれていたんだろう。学級委員にサボりを白状するのは気が引けるが、思ったより追求されなかったので志原も自ら口を滑らす真似はしなかった。

しかし、だ。
元より話すことのない二人なので、離れた個々の席に着いたらいよいよ無言だ。空気が重い。エアコンの機械音、隣のクラスの教師の話し声、音楽室からピアノの音。学校という場所から細やかに聞こえるそれらを聞きながら、志原は頬杖をついて窓枠の向こうを見上げた。飛行機雲は完全に消えている。

「・・・さっき、何で飛び降りるって思った?そんなに外に体出てなかったと思うんだけど」

前の方の席で、何か読み物をしていた磯崎が振り返る。やはり眼鏡は無事だったようで、元の定位置に収まっていて、それは志原の見慣れた磯崎の姿でもあった。ブリッジを押し上げてから一度視線落とし、また志原を真っ直ぐに見つめてくる磯崎からは先程の悲痛さを感じて冷や汗をかくようにドキリとしてしまう。

「・・・うまく言えないけど、志原、たまに無になってる時あるから」
「む?」
「あー・・・、よく笑ってる方が多いけど、その波がスーッて消えていく事もよくあるって言うか・・・あ、今周りからシャットダウンしたな、みたいな。今日もそんな顔してたし。だから、なんか、消えるんじゃないか、的な・・・」
「・・・よく見てらっしゃる・・・」
「・・・まぁね」

マジか、と志原は落胆した。
自分としてはうまく周りに馴染んでいたつもりでいたが、どうやら磯崎からすれば違和感駄々漏れだったらしい。自分の隠せていると思った部分がそうでもなかった事に、緊張が走った。
特別仲の良いわけでもない磯崎から見ても解るのだかは、普段からつるんでる奴等はどう思っていただろうか。
志原が表情を堅くしたのに気付いた磯崎は、「でも」と戸惑いがちに言葉を続けた。

「俺が勝手にそうかもって思っただけだし、別に、本当にそうじゃないなら何の問題もないんじゃない?」
「あぁ〜・・・」

実は本当にそうだから、問題はある。
志原はズルズルと机に突っ伏し、組んだ腕の間から磯崎をチラリと窺った。不思議そうに、そして心配そうにこっちを見ている。その顔を見てしまえば、志原の腹の奥底のものが、溢れてしまいそうになる。ぐぅ、と噛んだ唇すらももう悪足掻きのようだ。

しかし、死ぬなと言ってくれた、磯崎なら。

志原は二人だけの教室内だが、声を潜めて呟いた。

「・・・ここだけの話なんだけど」
「なに?」
「磯崎さ、人に向かって死ねとか消えろとか言ったことある?」

眼鏡の奥の瞳が丸くなる。先程も思ったが、磯崎は意外と目がでかい。何の話だとその表情が訴えてくるが、志原があまりにも真っ直ぐに自分を見ながら問い掛けるので、そのままの意味でとらえ、首を横に降る。

「ないけど」
「だよね。磯崎、言わなそう」

ふふっ、と眉を下げて笑った志原の顔には、少しの安堵も含まれていた。はぁ、と一息ついて再び見遣った磯崎の目の色は、いまだ心配と困惑の混じった色を浮かべている。それが今の志原には妙に心地よく、ギ、と音を鳴らして椅子の背に体重を預けた。

「俺さぁ、テレビの中の人とか、リアルの友達とかが、冗談でも死ねとか殺すぞとか言うの、本当に無理でさ」
「・・・うん」
「や、堅い考えって解ってるよ?別に俺、いい子ちゃんでもないし。皆マジで言ってないって、その場の雰囲気ってかノリとか勢いだって解ってるよ。解ってんだけど、なんか、そのワードを気軽に使うのツラァ〜無理〜みたいな?」
「うん」
「なんか、こんなことで一々躓くのも阿保らしいって解ってんだけど、ダメなんだよなぁ。言われたり、聞いたりすると、心臓がウッ、てなっちゃう。お腹の底が重くて嫌〜な感じになるみたいな・・・って、どうでもいい話なんすけど。ははは」

ずっと腹に溜めていた思いを吐露すれば、それはボロボロと零れ落ちてしまった。
話しながら戯けるような態度をとってしまうのは、志原の癖だ。なるべく明るく、暗くならないように、笑みを浮かべて、相手に不快にさせないように。
せきを切ったように話し出した志原は、磯崎の柔らかな相槌を挟みながら、襟足をかいて、最後に笑った。こういう時の笑みは磯崎には無意味だと最早理解しているが、癖は早々抜けないし、今の話は我ながらひどくつまらなく、くだらないと志原自身理解している。早く何か、次の話題をと、志原の視線が木製の机の上をうろうろ動く。
しかし少しの間をおいて先に話したのは、ずっと振り返った姿勢のまま志原を眺めていた磯崎の方だった。

「優しいんだな」

その予想外な言葉に顔を上げた志原は、呆気にとられたように、ぽけっと口を開け、随分と間抜けな顔を晒してしまった気がすると後々に思った。けれど、それほどまでに磯崎の発言は考えたこともない答えだったし、自分を見る磯崎の表情こそ優しいものだったので驚いたのだ。

「いや、優しいとか、そんなん初めて言われたわ。・・・ノリ悪いとか、冗談通じない奴って言われたことはあんだけどさ・・・それでも、皆マジで言ってないから〜って笑って・・・。それで、終わり。そんでまた死ねって、消えろって笑いながら言うじゃん。怖くね?普通に──」

自分の発言に一切の否定をしない磯崎に訴えると、自分の発言に志原はハッとした。ストンと腑に落ちた。気付いてしまった。

「俺、怖がりだったのか・・・」

確認するように唇に指を当てて呟くと、身体が震えた。
怖がりだから、行き過ぎた発言にも、それを真面目に受けてしまうことにも、作り笑いを浮かべて流そうとすることにも、嫌悪感を抱いていたのか。
志原が気付きたくなかった部分に閉口して俯くと、空気を割ったのはまたも磯崎の方だった。しかも今回は、ケロリとして言う。

「怖がりっつーか、慎重で繊細なんじゃない?」
「はっ!?」

そうしてまた言われた予想外な言葉に、志原は消沈していた気持ちも吹き飛んで、今度は勢いよく顔を上げる。若干耳が赤くなった志原に、僅かに口角を上げた磯崎が意地悪く笑った。

「志原は優しいから乱暴な言葉に一々ココロが痛くなるし、場の空気に慎重になるから同調するけど結局曖昧にしか笑えないし、そういう自分も嫌になっちゃう繊細さがあんじゃん」
「え!やめて!恥ずっ!」
「なんだよ。裏を返せばそういう事だろ?人より優しくて、慎重で、繊細」
「だあぁっ!」

耳を押さえて顔を赤くした志原をケタケタ笑う磯崎は、もう志原の知る磯崎ではなかった。いや、元よりそんなに知らない相手だ。磯崎がこんな風に笑うことも、話を聞いてくれることも、励ましてくれることも、志原は知らなかった。
・・・チャイムが鳴った。
終業のチャイムだ。席を立つ音や廊下に出て騒ぎ出す生徒の声が途端に校内に溢れ出す。もうすぐこの教室にもクラスメイトが帰ってきだす頃だろう。そうしたらもう、磯崎とはまた元のクラスメイトの関係に戻ってしまう気がして、志原は自然とそれが寂しいと思ってしまった。変な誤解をされてしまったけれど、それがなければこんな話はしなかったし、自分を肯定して貰えることもなかったはずだ。

「磯崎」
「ん?」
「話、聞いてくれてありがと。・・・あと、死ぬなって言ってくれてありがと。初めて言われた」
「・・・まあ俺も初めて言ったよね」
「だよね」

クラスメイトの笑い声が遠くから聞こえた。どうやら体育で大分エキサイトしたらしい。どんだけはしゃいだんだよと苦笑する志原がそっちに気をとられ、ふいに目線を廊下へ向けた際に磯崎が静かに口を開いた。

「さっき、俺が志原の事、よく見てるって言ったけど」
「ああ、うん?」
「志原の事だけは、よく見てたよ」

真っ直ぐに志原を見つめる磯崎の目には、もう悲痛とは別の感情が込められていた。





おわり


小話 149:2020/10/01

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