148



暗いところから声がする。


──飽きちゃったよ、連れてって。


その声に振り返ったのが運の尽きだった。

チャリンコを飛ばして友達と大きな公園で鬼ごっこをしていた小一の頃、ベンチの後ろ、大きな木が生い茂る隅の方。ざわ、と風が吹いて木の葉が落ちる。誰か──友達が、遊びに飽きてギブアップしたのかと思ったんだ。


──いいよ、一緒に行こう。


木陰に一歩足を踏み入れると、ぶわっと一際強い風が吹き、木の葉は舞い上がって砂煙に目を瞑る。瞬きを繰り返し開けた先には誰もいなかったが、足元に、何かいた。









「うわっ!」

急に身体が、足が、動かなくて止まってしまう。つんのめったものの転ばなくてすんだのは、やはり動かない足が、しっかりと地面に、影に、着いていたからだ。とは言え突然のことに驚き変な声を出してしまった。良くあることとは言え一向に慣れることはない。ちらりと見た足元の影からクスクス、と声がするのが憎らしい。

「あぁもう、何だよ」

自分の影から、ぬぅっ、と黒い塊が伸びてくる。それは俺の身長を優に越し、もにゃもにゃ、と人型を形成して、一番始めに目を惹くのは二本の鋭い角だろう。浅黒い肌に腰まであるボサボサの黒い髪、その間から鈍色に光る怪しい瞳、ツンと高い鼻、薄い唇はニヤアと不気味に弧を作り、その奥から尖った歯が見える。黒い着物から伸びる足は、俺の影を共有している。
こいつの名前は夜。影鬼だ。
十三年前のあの日、公園の影から俺の影に乗り移り、ずっと俺に付いて回る妖怪だ。

「奏太、こないだの甘いの、食べたい。今から行こうよ」
「ええ、やだよ。今日はすぐ帰るよ」
「いいから、いいから」
「うわぁ〜・・・」

とぷん、と影に沈んだ夜は、ご機嫌にズズズ、と影を動かし俺の動きも操ってくる。勝手に身体が回れ右をしちゃったら俺はもう、諦めるしかない。夜は常に俺の足元にいて、基本静かにしているが、たまに俺の影を操って好きに動き回るのが厄介だ。
最初のあの時、目を開ければ誰かいるはずの場所には誰もいなくて、ふと足元を見れば、自分の影の中に何か見つけた。まあそれは俺をじっと見ていた夜の二つの目玉だったんだけど、それを何とは解らずにしゃがみこんだ俺の鼻先まで、にゅっ、と、まるで水面から息継ぎの為に顔を出したかのように、俺の影から顔だけを出した夜の鼻が、チョン、と触れたから死ぬほど驚いた。いや、軽く一回死んだかもしれない。というのも、俺はそのまま気絶して、友達が人を呼びに行ったり俺の家に連絡してくれたり──と、すったもんだあったからだ。曰く、あれは挨拶だったらしいけど、あれほどの恐怖体験は二度とないだろう。
泣いて怒って半狂乱になりながら、頼むから離れてくれと頼んでも、夜はいつも笑うだけだった。それに言うなれば足元──つまり股の下に、常に夜の存在があるのは抵抗ありまくったし(思春期だし)、影というものはなくならないので四六時中つきまとう夜にストレスを感じないはずもなく、一時はちょっと病んだけど今はもう夜との生活には慣れたのものだ。慣れというか、諦めだけど。

「夜、今日もこないだとおんなじやつ食べたいの?」
「こないだ食ったのとは違うやつ、あの色違いの、あれ食いたい」
「白か緑、どっちがいいの?」
「緑」

どうやら夜は先日寄った茶屋のソフトクリームが気に入ったようだ。真夏のアスファルトとゼロ距離の影はさぞ暑かろうと、出ておいでよ、と人気のないところでこっそりと声をかけて、夜が出て来るのを待った。俺にしか見えない影の人型から他人にも見える立体・可視化可能の人型になるのには時間がかかるらしい。俺のリクエストの、なるべく現代に馴染む服装と髪型を懸命に取り入れてるせいでもあるようだ。
俺からその姿を呼ぶことは滅多にないので、出てきた夜の鈍色はキラリ、と光っていて言葉にはなかったけど嬉しいのはよぉく伝わった。

「ほうじ茶ソフトふたつ、お願いします。夜、俺と同じでいいよね?」

よく解っていない夜はコクン、と頷く。
店頭でソフトクリームを受け取って、ひとつを夜に渡すと不思議そうにマジマジと見つめていた。

「溶けちゃうから食べなよ」
「溶ける?」
「冷たくて甘いよ」

ぱく、と先端を口に含んで見せると、夜は妖怪の癖に怖々と、ペロ、と先端を舐めた。
鈍色がキラキラと輝いた。お気に召したようだ。
夜は俺の影から出れない、否、本当は出れるのに出ようとしないから、日陰の道を通って帰る。じゃないと、俺の影を一緒に踏まなきゃ歩けないので、男同士ピッタリ寄り添って帰らなきゃならないという地獄絵図だ。


「緑は抹茶味。食べたことある?」
「飲んだことはある、はず」

足元の影の中から声がする。あの茶屋へ向かっているのはもう自分の意思だ。途中で日の当たらない、誰もいない位路地裏へ入り込む。もにゃもにゃと人型になった夜は、髪の毛もサッパリと短く、服装も着物からラフなパーカーとスウエットパンツ、というか今の俺とお揃いだ。

「夜さぁ、何でいつも俺と同じ服になんのさ。恥ずかしいんだけど」
「同じものが、一番作りやすいから」
「ふぅん」
「でも、夜が嫌がるからちゃんと色違い。譲歩してる」
「なぁにを、偉そうに」

肘で夜をつつくと、愉快そうにクスクス笑った。
夜の見てくれと片言の言葉から外国人だと勘違いした店主から、抹茶のソフトクリームにあんこをおまけでトッピングしてもらった夜は、いつも以上にご機嫌で俺の隣を歩いていた。




夜は俺が他人とつるむのを好まない。
影を踏まれるのが不快なのか、ただ会って話すだけなら邪魔はしないが、ふざけてじゃれあったり、誰かと外で遊ぶようになると、わざと影を操って人から遠ざけたり、意固地として動かないようにしたりとそりゃもう散々で、俺が離れてくれと泣いて怒った理由はそこにもある。
今となっては人とは適度な付き合い方も出来るようになったし、趣味は引きこもりのネトゲだし、特に困ることもない。大学の食堂でのヒトリ飯も慣れたし、それなりに友達もいるし、不便はまぁ、ないっちゃない。
そんなある日。

「ねえ、奏太君だよね?」

と、食堂でうどんを啜っていた俺に声をかけてきた女の子に俺は惚けてしまった。なぜって普通に可愛い子だったからで、箸で持ち上げていたうどんが全部ちゅるんと器に落ちてしまったくらいには気を取られていた。

「・・・はい?」
「私、小学校同じだったんだけど解るかな?五年と六年が同じで──」

彼女が自分を指差しながら告げた名前に、あ、と思い当たる節があった。記憶の中の彼女とはだいぶ印象が違うが、これが世に言う大学デビューなのかもしれない。高校デビューかもしれないが。
俺が「あぁ」なんてろくな感想も言えないでいると、それでも彼女はパァッ、と笑った。

「良かった、隣いいかな?なんか大学って全然馴染めなくてさ。そしたら見たことある人いて安心しちゃって声かけちゃった」
「へー、あ、そー」

なんつー気の利かない台詞。
それでも同胞のよしみか、よっぽどの寂しさからか、たくさんの話を振ってくる彼女に相槌をうったり、逆に懐かしの共通話題を振れば、徐々に声もリアクションも大きくなって、小学生みたいにケラケラと笑ってしまう。おまけに見とれてしまうくらい可愛いくなった異性相手だ。気持ちが浮わつかない、わけがない。
と、その時、ガシッ、と足首を何かに掴まれた。
何かって、まあ夜しかいないんだけど、急に現実に引き戻された気がしてトーンが下がる。少し視線を落とせば影から出た手が、ぐぅっ、と俺の足首を強く掴み、影の中から鈍色が、じぃっ、とこっちを睨み付けていた。
こういう夜には、もう慣れっこだ。

(はいはい。ちゃんと相手しますよ)

靴紐を弄る振りをして、夜の手をポンポン撫でる。スルリ、と指が絡んでくるのを少し付き合って、握って離して「あとで」の意味を込めてヒラヒラと指先を振った。

「じゃあ奏太君、私そろそろ」
「ああ、うん。また」
「またね」

アクセサリーのような小さな腕時計に目を落とし、ちょっとスッキリした様子の彼女が席を立つ。お互いに手を振り合う姿を、数人の食堂利用者が見てくるもんで、少し鼻高々な気分だ。
さてと、自分も次の準備をしなければ。進んでなかった食事をさっさと済ませ、食器を片付けて食堂を出る。秋晴れの空に照らされた影がよく伸びる。

「うわっ!?」

と、突然。とぷん、と影の中に足が落ちたかと思えば、それは腰まで、肩まで、頭まで、全身底無し沼のように沈んでしまった。あっという間だった。息は出来るが、息苦しさはある。もちろん夜の仕業だろうけど、こんなことは初めてだ。
何?何で?何が?
漠然とした恐怖と混乱にゾッとした。

「──っ、夜、夜っ!?」

晴れた青空から一転、真っ暗な俺の影──夜の世界だ。
自分が影の中で浮かんでいるのか沈んでいるのか、どちらが前で後ろか、上か下かもわからない。夜を呼ぶが、いつもの姿が見えない。

「奏太、誰、あれ」

耳元で、ヒヤリ、と夜の声がした。

「俺、あんなの見たことないよ?」

振り返るも夜の姿は見えなくて、辺りを見渡しても一面暗闇、自分の足元どころか目の前まで掲げた手すら見えない程だ。しかし見えなくても、自分の鼓動の早さ、冷や汗、恐怖心は明確に理解できる。なんだこれは。夜はどうした。

「奏太は俺とずっと一緒だよね?一緒に行こうって言ってくれたもんね?俺のこと連れ出してくれたもんね?」
「夜、夜、どこにいる?」
「もうひとりにしないよね?」
「待って夜、ここから出して」
「奏太、ねぇ忘れないでね」
「よ──」

すぅっ、と背後からお腹に両手を回された。頭に夜の顎が乗る。ビクッ、と身体が強張ると、余計に両手に力が籠る。
夜とは長い付き合いなのに、初めて夜と出会った時の、得体の知れないものへの恐怖が今になって蘇った。


「奏太がこのまま表から消えたら、この影も消えて、永遠に日の当たる場所に戻れないってこと」


見上げた鈍色は、冷たく俺を見下ろしていた。





暗いところから声がする。


──飽きちゃったよ、連れてって。


その声に振り返ったのが運の尽きだった。




おわり




影鬼の設定は色々考えたけど、全然生かしきれなくて悔しい。

小話 148:2020/10/01

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