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『俳優 小笠原夏 電撃引退』

スポーツ紙の一面、朝から晩までのワイドショーにネットニュース、世間の注目を掻っ攫ったこの話題は芸能史上でそこそこのニュースだった。

「突発的とか、仕事に思い悩んでとかじゃないんです。随分前から事務所ともちゃんと折り合いをつけてきました。小さい頃からこの業界に携わってきて、ありがたい事に賞も頂いて、人としてたくさんの事を学びました。芸能界と平行して学業にも専念してきました。その過程を経たら、自分がこれから先やりたい事も、関心のある事も、大事にしたい事も、全部外の世界にあると気付いて・・・」
「ではもう、小笠原さんは芸能界に未練はないという事ですか?」
「はい。たくさんのファンやスタッフに支えられて今日まできましたが、俳優の小笠原夏はここで幕を下ろします。今までたくさんの応援、ありがとうございました」

深々と頭を下げる姿に、バシャバシャとたかれるフラッシュにシャッター音。ここ数日で繰り返し放送される引退会見の映像に、ショックを受ける一般人への街頭インタビュー。スタジオでは芸能レポーターがあれこれ好き勝手にコメントをしている。

「ふふっ、面白いなぁ」

ここ数日の世間を騒がせている俳優、小笠原夏は数日前の俺の事だ。
俺がテレビに夢中になっていると、ガラス板のローテーブルにホットのコーヒーが入ったカップが置かれた。顔を上げると、飽きれ眼な壮介が俺を見下ろしている。

「・・・夏。笑い事じゃないだろ?」
「うん、でも、おかしくて。前日に根本までちゃんと染めててよかったな。頭下げてるとこ、すごい使われてる」
「あのねぇ・・・」
「コーヒーありがとう。壮介」

長い芸歴で身に付けた、人を殺せると評判の笑みを向ければ、壮介はなにか言いたそうにクチをモゴモゴと動かしたのち渋々隣に腰を下ろした。抱き寄せたのはモチモチとした柔らかいクッションで、彼のお気に入りだ。
テレビに視線を戻すと、再び会見を頭から流しはじめたところで、ワイドショーの司会者が芸歴を年表にして紹介していた。今更そんなことをして何になると言うんだか。

「やっぱり、勿体なかったんじゃない?」
「俺は何の未練もないよ」
「世の女子、ロスがすごいだろうなぁ」
「ああ、過去の写真集、すごい売れ行きみたいだね」
「まぁた、他人事みたいに言う」
「もう他人みたいなもんだよ」

さすがに長く身を置いていた場所だけに、最後の挨拶には感極まるものもあったけど、予め話す内容や時間は前もって打合せしていたし、質問するメディアもインタビュアーも事務所が指定したから一貫して最後まで芝居をしていたようなものだ。
フラッシュを浴びても顔を歪めず、終始穏やかな笑みを浮かべて話している自分の姿はなかなかに面白い。良くできたと花丸物だ。

俺の母親はいわゆるステージママで、一歳の頃から赤ちゃんモデルとして活躍してきた俺は無駄に芸歴が長かった。
幼稚園、小学生の時は一端のモデルや子役として扱われてきたが、中学、高校と成長するにつれ容姿も世間が注目してくれる程には整っていき、芸能界では重宝される位置に君臨していた。CMやドラマ、月刊誌の専属モデル、バラエティー、歌も出したことがあったし、休みなんて学業と平行すればこの十数年無いに等しかった。

「あ、俺このドラマ見てたよ。好きだったな」

子役時代の映像に切り替わった時、壮介が楽しそうに笑った。新米教師が日々奮闘する学園ドラマで、俺は大役でもないただのクラスメイト役だが、同年代にウケた時代を代表するヒット作なので壮介が知っていてもおかしくはない。
ふぅん、とコーヒーを啜りながら適当に返事をすれば、案の定「学級委員の子が可愛かった」なんて言うから苦笑する。

「夏が出てんの知ってたけど、あんま映ってなかったし、そんなに気にしてなかったな」
「クラスメイトに芸能人がいたってのに、ひどいなぁ」
「だって学校の夏は一般人じゃん」

高校は芸能コースのあるところへ上京したので、小学校で知り合った壮介とは中学校卒業と同時に疎遠となっていたが、壮介が一浪して東京の大学に進学したのを機に、再び密に連絡を取り合うようになった仲である。
でも、それだけじゃない。

「地元の人とは、もうほとんど連絡をとってないよ。俺が芸能活動してるから寄ってきてただけだし、ちゃんと友達でいてくれるのは、壮介くらい」
「そうかなぁ。ちゃんと夏の事見てる人いると思うけど」
「顔と身体?」
「まぁそれも魅力的ですけどぉ、ふふっ、うそうそ、中身はちょっと子供っぽくて、楽しいことに首突っ込みたがり」

いつかの予約した個室居酒屋でそう愚痴を溢すと、壮介はケラケラ笑って俺の悩みを蹴飛ばした。第三者のいない酒の席というのもあって、饒舌に話す壮介は楽しそうだったのは鮮明に覚えている。

「ええ、俺、子供っぽいかな」
「ぽいよ。顔が綺麗だからちょっと冷たく見えるけどね、話してるとわかるよ、昔と全然変わらない」
「昔って、小学生とかそんくらいだろ?さすがに成長してるけどなぁ」
「そりゃそうだけど、そうやって少し拗ねたり、素で笑った顔とかさ、夏って感じがするよ。芸能人の小笠原夏じゃなくて、昔のまんまの夏の部分が残ってるから、ちょっとホッとする」

少しだけ酔った壮介が、ほにゃりと表情を崩して笑った。
壮介の方こそ子供の頃のまんまだと昔を彷彿とさせるその笑みに、立場が同じ芸能界の仲間とも、頼りにしている事務所とも、支えてくれるファンとも違う安堵を感じる。
ああ、確かにホッとする、かも。
そう思った途端に、当時大学に通いながら仕事をしていた俺は、同胞で昔馴染みの壮介に、一気にどろりと溶けてしまった。

それから。
俺が疲れている時、寂しい時、ことあるごとに壮介を呼び出したり自宅に招いたりを繰り返していた。自宅である都内の高層マンションやお忍びで御用達の個室料理屋へ連れていくと、嫌な顔と言うよりは恐縮している壮介に罪悪感がないと言えば嘘になるが、それでも一個人である「小笠原夏」と付き合ってくれる壮介は好きだった。自分が親の前で強いられてきた我慢も、事務所に作られた偶像も、ファンに求められた愛想も、全ていらなかった。

壮介が欲しいと思ってしまった。


そしてとある夏の日。

「子供っぽいとは言ったけどさ、甘えすぎってか、だらけすぎってか、小笠原夏が狭いアパートでくつろいでる姿、すごいな・・・」

畳んである布団を背中に、俺は壮介の部屋で何をするでもなく目を瞑ってテレビから流れる甲子園の音声を聞いていた。
畳の擦れる音から、壮介が隣の座ったのがわかる。薄目を開けてそっちを見れば、彼はテレビの方を向いていた。

「ごめん。壮介んち、すごい休まるから」
「別にいいけど。疲れてんじゃない?大丈夫?」
「ん」
「今更だけど、夏ってなんで進学したの?そんなに疲れて、このまま芸能って道も、夏なら安牌だったんじゃない?」
「うーん」

主演した映画で優秀主演男優賞を受賞し、ようやく外見のみでなく、演技派俳優の誕生だと日本が沸いたのに、俺はその頃から引退を考えていた。
生き方を変えたいと思ったからだ。

「俺の世界はまだまだ広いんだしさ、その時に選択肢は多い方がいいんじゃないかって。もちろん、このままこの世界を進むにしても、学は無駄にはならないし、いい経験だよ」
「なるほどねぇ」
「あのさ、俺、壮介が好きだよ」

一呼吸置いて、壮介が振り向いた。

「最初はさ、懐かしさに甘えてるとか、素の部分を見せれる気軽さとかあって、そういうのじゃないかって思ってたんだけど、それでもういいじゃないかって、最近開き直ってきた」
「はあ?」
「俺の心の中に一番最初に触れたのが壮介だった、ただそれだけの事なんだよね」
「どしたの、夏。暑さで頭イカれたの?」

脈絡の無い突然の告白に、壮介が目を丸くしながら熱を測ろうと俺の額に手を伸ばす。けれど俺は、その手を握り、ただまっすぐに、その丸い目を見ながら囁いた。

「壮介のこと、好き」

──決まりました!逆転ホームラン!

テレビから実況が聞こえた。






「夏、これからどうすんの?」
「信頼出来るスタイリストさんがいてね、ブランドを立ち上げるから一緒にどうだって声を掛けてもらってるんだ。でもしばらくはお休み期間だから、壮介とのんびりするよ」
「いや、俺普通に仕事あるけど」

壮介の側にいたいと決めてから、俺の行動は早かった。
広い世界で育ってきた。同性同士のこの手の話を聞かなかったわけでもない。正直、お偉いさんからお誘いを掛けられたこともある。いまだに偏見もしがらみも困難も多く、危険な世界であることを知ってしまった。俺がそっち側と知って、つけこむ人も脅す人もいる。壮介にだって当然風当たりが強くなる。
俺が壮介と生きていくには、壮介を守っていく為には、生きてきた世界を捨てるしかなかったけど、不思議と身を切る思いも葛藤もなく、逆に活力が沸いてきたのだから笑えてしまった。

『しかしね、私は彼はもっともっと輝ける、いつかは日本を代表する俳優になれると思っていたんですが、いやぁ、こんな簡単に他の道を選ぶなんて、非情に残念ですねぇ』
『語学も堪能で、ハリウッドからのオファーもあったと聞いていますが──』

テレビを切った。
一緒に仕事をした覚えの無い人物が好き勝手話したところで、俺にはもう関係のない話だ。
そろりと、壮介がこっちの様子を窺ってくる。

「そういうの、全部蹴ってまで、壮介が欲しかった」
「俺のとこに来てくれて、ありがとう。置いてかれそうで、正直ちょっと怖いけど」
「置いていくわけないだろう?俺が、壮介の側にいないと苦しいんだよ」

クッションを抱いてる壮介ごと抱き寄せると、思いの外簡単にこちらに転がった。そのままズルズルと膝に頭を落とすので、たまらなくなって堪えきれずに笑ってしまう。

「ふふっ、これから広い世界で楽しいことがいっぱいあるなぁ」



おわり




恭平さんの子役仲間です。

小話 143:2020/05/20

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