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「別れてください」

笛吹さんは返事の代わりに、機種変したばかりだと言うスマホを床に落とした。

「笛吹さん、スマホが」

絨毯の上と言えど、ゴン、と嫌な音がしたし、カバーは昨日ネットで頼んだところなのでまだ裸の状態だ。フリーズした笛吹さんに代わり拾い上げると、掴まれたのはスマホ本体ではなく俺の手首だ。スマホに異常がないかと落としていた視線を上げると、そこには泣きそうな、怒りそうな、複雑そうな顔をしている笛吹さんがいた。

「ちょ、ちょっと待って。え?別れ、え?な、なに?なんで、ん?んん?」

混乱しつつも俺の手首を掴み、もう片方の手で眉間を押さえて待ったをかける。俺はとりあえず笛吹さんのスマホをテーブルの上にそっと避難させて、うんうん唸っている笛吹さんを待つことにした。

「俺のこと嫌いになった?」

やっと、そして恐る恐る顔を上げた笛吹さんの顔に書かれているのはTHE・不安。捨てられた(正確には捨てられそうになっている)犬のような、すがり付く眼差しを向けられたので、俺はキッパリと首を横に振る。

「いいえ、嫌いにはなってないです。むしろ逆です」

逆?と笛吹さんが小首を傾げる。先程もだが、この人は俺より3つも歳上でガタイもいいのに、ちょいちょいこうやって加護欲を煽るみたいな仕草を素で混ぜてくるから質が悪い。
俺が身動いで笛吹さんと向き合うように正座をすると、笛吹さんも恐々と俺の手を離し、向き合って正座をしてくれた。眉を下げながら、何ならうっすらと見える気がする犬の耳と尻尾も下げながら、笛吹さんは俺の言葉を待っている。

「別れて欲しいという件についてですけど」
「ううぅ、はい・・・」

普段は上司と部下という関係でオフになっても笛吹さんへの敬語は抜けないが、今はなんだか立場が逆になってるようで不思議な感じだ。

「正直、俺は笛吹さんの好意よりも執念というか執着というか、そういうのに根負けして付き合いだしたんですけど」
「え、えぇっ、そうだったの!?」
「はい。でも今となっては当然情も沸いていますし、好き度はだいぶ増してます。ぶっちゃけかなり好きです。じゃないと三年も付き合ってないですし」

そう伝えると、嬉しいのか恥ずかしいのか笛吹さんは大きな体をモジモジとさせて頬をかいた。可愛いな、くそ。俺がそう思っているのも気付かずに、嫌われてはいないと知った途端に笛吹さんはほにゃりと笑う。

「じゃあ別れる必要なくない?」
「いいえ、あります。死活問題です」
「死っ!?」

ホラー漫画の主人公(ヒロイン)みたいに両手で頬をおさえた笛吹さんが青い顔をして正座をしたまま上半身を仰け反らした。その隙間を埋めるように俺は上半身をずいと前のめりにして一気に畳み掛けにいく。なんせ死活問題だ。分かってもらはなくては。

「笛吹さん、知ってます?一説によると一生の内の心拍数って決まってるらしいですよ」
「・・・つまり?」
「笛吹さんとこのまま付き合っていくと、俺はトキメキのあまり心拍数が上がり続けて早死に確定です」
「えぇっ!?」
「っていうか笛吹さん普通にかっこいいんでドキドキして一緒にいるとちょっと疲れちゃうんですよね。無駄な心配ごとも杞憂と分かっていてもしてしまうし。それに俺には存在がキラキラし過ぎて眩しいんで眼球潰れそうなんです。サングラスどころか溶接マスクをポチろうとしたことも何度もあるんですけど、知らないでしょう?」

こくこくと目を丸くしたまま笛吹さんが頷いた。

「・・・はぁ。俺の思い、伝わりましたか?」
「自分で言うのもなんだけど、越智君が思っていた以上に俺のこと好きすぎてびっくりしてるよ」
「そうです!好きすぎて苦しいんで別れてください!!」
「やだよ!何でそうなるんだよ!!」
「チッ!察しが悪いなぁ!」
「し、舌打ちついたな!?」

両手をギュっと握って抗議してくる姿が本当にあざとくて勘弁して欲しい。こんなの素人アラサーがやっていいポーズではないだろう。アイドルかよ。アイドルでもいける容姿をしているけども。
俺はもう悪態を隠さずに片膝を立てて笛吹さんをビシリと指さした。

「良いですか!?バカでも解るように説明しますよ!?つまり俺は貴方が好きで好きでときめき過ぎて心臓が持たないし、やれ飲み会だやれ同期会だと色んな人から色んな催し事に引っ張りだこな人望にも妬けるし、そこでどんな人と何をしてるか想像するだけで嫉妬と不安にかられ心をかき乱されるのも、貴方の一挙手一投足に神経を尖らせてしまうのも、もう全部しんどいんです!!」
「お、越智君、妬いてたの・・・?」
「そうですよ!もう焼身過ぎてこの身は黒焦げですよ!」

シャツの上から心臓をつかんで胸の内を打ち上げた。どこぞのお奉行みたいな格好の俺にしばしポカンとしていた笛吹さんは、それから、ふむ、と顎に手を添えて考える素振りを見せる。だからそういうポーズをやめてくれあざと可愛いくそったれ。

「じゃあ、越智君。逆に聞くけど、俺と別れてからは生きていけるの?そんなに好きな俺がいないとダメなんじゃない?」
「まぁしばらくは精神的にダメージをくらいながら生きていくでしょうね。それに笛吹さんがよその誰かとくっつくなんて考えただけで吐き気がしますが、別れた身の他人になれば一線引いて捉えることが出来るよう努めます。・・・難しい話ですし、転職はしますけど」

頑なにノーを貫く俺に、笛吹さんは「も〜」と苦笑する。
困らせるつもりはない。笛吹さんは充分魅力的で人を惹き付けることが出来る人だ。だから今は俺が好きでも、俺と別れたあとだってきっと相応しい誰かと幸せになれるだろう。だから今ここで、ばっさり関係を切ってくれればいい話なだけなのに。

「ん〜、越智君の言いたいことは分かった。でもひとつ、俺からも言いたいことがある」
「いいでしょう。こちらの申し入れを受け入れて貰うのですから聞きましょう」

再び正座をすると、なぜか笛吹さんは困り顔から一転、優しい顔をして太ももの上に置いてある俺の手をぎゅうっと握ってきた。

「俺達が今ここで別れずに付き合い続けていくメリットをひとつだけあげるとするなら」
「はい。仮定の話ですね」
「俺は、俺が原因で死にゆく越智君を看とることが出来るってとこだね」
「・・・どういうことです?」

今度は俺が笛吹さんの言い分に眉を潜めた。

「だから、このまま付き合えば俺のせいで死んじゃう越智君の最後まで側にいることが出来るけど、俺と別れて一人で傷付いていく越智君はどうにも出来ないよねって話だよ」

にこりと笑ったのと同時に、笛吹さんの手に力が加わった。
何て狡い切り札だろうか。最後まで幸福であり続ける死と、最後まで孤独であり続ける死のカードをチラつかせるなんて。
ぐぅ、と返事が喉に詰まってしまう。笛吹さんのキラキラとした瞳から光線が出て来るので直視できない。返す言葉も訴える眼差しを向けることも出来ない俺は、がくりと肩を落とした。

「・・・俺が笛吹さんに敵うわけ、なかったんですよね」
「どういう意味?」
「もういいです。責任もって俺の死を見届けてください。遺言書には笛吹さんのせいで死にますって書いとくので」

重ねられた笛吹さんの手に、俺の片手を重ねて持ち上げた。視線も上がって笛吹さんの眼とかち合うと、そこには満足そうに頬を緩めて笑う笛吹さんが。

「やったー!じゃあ死が二人を別つ時まで末長くよろしくね!」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

ぶんぶんと両手を重ねて上下に振る毒の花の笛吹さんに、俺はまた熱が上がっていくのをじわりと感じた。





おわり



安定の別れない別れ話とバカップル。
試しに一週間別れたverも考えたけど、長くなりそうだからまたいつか…いつか…。

小話 140:2020/04/16

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