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アラームより先に起きるのは、燕にとって常である。
一応の保険としてアラームをセットしているが、毎日だいたい30分前には目が覚める。
それからテレビをつけて朝のニュースをかけ流しながら洗面を済ませ、簡単な朝食を作りながら、学校の課題や持ち物を頭の中で確認していく。その頃ようやく寝室に置いてきたアラームが鳴り始めるのだ。

充電器に繋がったままのスマホが、ピピピピピ、と繰り返す電子音と、ヴーヴー、と揺れるバイブレーションで指定した時刻を主張してくる。
それを寝室の入り口からじっと燕は見ていた。
見ていたが、何も動きが見られないので、ズカズカと大股でベッドへ歩み寄り、アラームを止めて充電器から引っこ抜いたスマホをいまだぬくぬくと燕のベッドで惰眠を貪る恋人の頬へ押し当てた。
燕は就寝時には暖房を切るので、春の室内とはいえ夜間は気温が下がる今の時期、スマホの液晶は冷気でキンキンに冷えている。

「ひぃっ!」
「はい。おはよーさん」

途端に恋人──啓司の目がカッと開いた。
よろよろと体を起こし、スマホを当てられた頬をさすりながら啓司は怨めしさに目を細めて燕を睨む。

「・・・燕君、毎回冷え冷えのスマホ当ててくんの、ほんまやめて・・・」
「アラーム鳴ったらすぐ起きろ。洗濯機回したいから服脱いで。朝ご飯はもう出来とる」
「あい・・・」

クローゼットから自分と啓司の着替えを取り出して、啓司の分はベッドの上へ放り投げる。いつの間にかクローゼットに増えている啓司の服は私服に限らず、部屋着も寝間着も下着も揃っている。啓司へ適当に掴んで投げたそれだが、大体が似たようなモノトーンばかりだし、大体何でも着こなすので問題はない。
着替える燕を遠慮なく眺めながら、啓司ものろのろと着替え出す。朝から燕の機嫌をこれ以上損ねたくはないので、大人しく言うことを聞くの一択だ。

リビングに遅れて着くと、ちょうどトーストが焼けたようで香ばしいにおいが漂っていた。朝食は昨晩からの引き継ぎだが、燕の最近のブームらしいトマト缶で作る具沢山の野菜スープと、切れ目の入ったソーセージ、黄身までしっかり火を通した目玉焼き、そしてトースト。

「ねー、燕君。ええ加減俺との同棲考えてぇや」

二人揃ってからの「いただきます」を唱えてから、啓司は何度目かわからない誘いをかけた。しかし燕は毎回、この言葉に首を縦に振ってくれない。

「いやや。一人暮らしの経験値は五年分欲しい」
「五年〜?」
「大学四年間と社会人最低一年は自分で頑張りたい」
「そんなん、あと三年あるやん」
「それに啓司、お前俺と暮らしたら今より絶対だらけるやろ。あかん、目に見えるわ」
「ぐぅ・・・」

ピシャリと言い切る燕には反論の余地もない。
そんなことないと言えないのは、現に燕の家にいるとつい甘えてだらだらしてしまっているし、同棲すればさらに毎日甘えたいという下心があるからだ。そういう願望が駄々漏れているんだろうかと、啓司は自分の頬をさすりながら、コロンコロンと皿の上のソーセージをフォークで転がす。行儀の悪さに普段なら苦言を呈されるところだが、燕も啓司の申し出を何度も断っている手前、気まずいものもあるのだろう。何も言わずにスープを飲んで、ちらりと上目遣いに啓司を見遣った。

「・・・別れる?」
「アホ言いなや。でも俺は同棲諦めんから」
「ほぼ毎日転がり込んでくんのに何にこだわってるかよう解らんわ」
「同意か!そうじゃないか!大事!とても!」

ダンッ、と拳をテーブルにぶつけて抗議する啓司に、ようやく息を吐くように燕が笑った。

「追い出さん時点で譲歩しとるわ」
「うううっ」

そうやって少しだけ甘やかされるから調子に乗ってしまうのだと、結局は己の下心と朝から見れた燕の笑みに撃沈し、啓司の交渉は今日もまた決裂したのであった。





燕には入浴の為に脱衣する際、洗濯しないものは部屋で脱いでいく習慣がある。
夏はほぼ着のみ着のまま脱衣場へ向かうので面白味が少ないが、冬場は暖房を効かせたリビングでテレビを見ながらモゾモゾと脱いでいくのを啓司がテレビ番組そっちのけでガン見しているのを燕は知らない。
今日もクイズ番組の正解を出演者と一緒に考えながらベルトに手をかけボトムスを脱いだ燕は、上はセーター、下は黒のボクサーパンツ、ついでに靴下とちぐはぐな格好をしているが、どうせこの部屋にいるのは啓司だしと大して気には止めていない。

「そのセーター、静電気すごそう」

その言葉に思考をクイズ番組から啓司に向けた。見ると、啓司はテレビよりも自分の方を頬杖をつきながらニコニコと見ていたので冷めた視線をお返しするが、言われれば確かに静電気は朝にも起こった、気がする。なんせほぼアクリル製だ。燕は自身のセーターを引っ張って、ふむ、と考え、思い立つ。

「なあ、けーちゃん」

クイズの正解が発表されたので、一瞬そちらに気をとられていた啓司は突然の聞き覚えのない呼び名に、犬の耳が生えたようにピクリと反応し、勢いよく振り返った。
あられもない姿(啓司談)の燕が、小首を傾げ、ツンと肩をつついて来るではないか。

「けーちゃん、脱がして?」
「えっ!え・・・いや、いや一瞬喜んでしもたけど、いやや、俺もバチバチくるやん。なんや、けーちゃんとか初めて呼ばれたわ」
「死なばもろとも」
「なんでこんな時だけ積極的やねん」

両手を広げてさあさあと寄ってくる燕に唇を噛む。
楽しそうな顔が可愛いし、こんな積極的なことは滅多にない。

「ほな、バンザーイ」

結局、負けるのは啓司の方だ。
摘まむようにセーターに触れ、捲り上げるとパチパチとした音がハッキリと聞こえた。

「わー、バチバチ言うやん」
「めっちゃ音するな」
「あはは、髪の毛立ってる」

脱がした燕は黒い発熱インナーを着用していた為、装備が薄くなったがそれはそれでトータル的に美味しいものがある。静電気で逆立った髪を撫でながらデレッとした顔をするので、問答無用に燕はポイと脱ぎたてのセーターを啓司へ投げた。思わず掴むとパチッと名残惜しげな静電気が小さく刺さる。

「うぅわ!最悪!」
「ほな、お風呂お先に、けーちゃん」
「はぁい」

けらけら笑いながら着替えをつかんだ燕が風呂に向かったので、啓司はまだ温もりの残るセーターをしぶしぶ、恐る恐る、畳んでいった。
クイズ番組はいつの間にか勝者が逆転していたが、そんなことはもうどうでも良かった。





当たり前だが、燕の部屋の主導権は燕にある。
なので買い物をするのも燕だし、啓司が燕の部屋で何かを使用するには燕に逐一伺いをたてる。冷蔵庫には節約と先の献立を考えたものが詰まっているので、料理は専ら燕が作る。啓司に許されているのは買い置きしているお茶の類いを淹れる事くらいだ。

「燕君、コーヒーいれたで」
「ん、ああ、おおきに」

読んでいた文庫本から顔をあげた燕は珍しく眼鏡姿だ。小さな本の小さな文字に没頭できるのは啓司には無理な話で、そっちに夢中になりすぎている燕に唯一気を向けてもらえるのはこういう時しかない。悲しい話だが、啓司は燕に構ってもらえることにいつも一生懸命だ。

眼鏡を置いて目頭を揉んだ燕とパチリと目があった。コーヒーの催促かと、啓司が勝手に選んで買ってきた色違いのマグカップの片方を渡そうとすれば、受け取るかと思った燕の両手が肩幅よりも大きく広がった。
「ん?」と、啓司が怪訝な顔をするも、燕はじっと自分を見たまま再び「ん」と両手を広げたまま何かを訴えてくる。
少しの沈黙のあと、啓司はぎょっとした。

「・・・あ、うそっ、俺!?」

慌ててテーブルにマグカップを置いて、正面から燕を抱き締める。燕の手が啓司の背中に回ったのが正解の証で、それを逃さないように啓司はさらに強く抱き締めた。何せ燕の貴重なデレである。

「え、なに、燕君、どしたの」
「いや、一生懸命でかわええなぁと」
「かわ・・・ええのは燕君やと思うけど」
「そんなん言うやつお前だけやで」

クスクス笑う吐息が耳に触れてくすぐったい。
ぶわっと顔に熱が溜まり、いたたまれなくなって燕の肩口に額を擦りつけた。

「えー、もう、なんなん。燕君、今日優しない?」
「俺はいつも優しいわ」
「・・・せやな」

子供をあやすように背中を燕に撫でられる。甘やかされてるという実感に、ほうっと啓司の力が抜けた。途端に体重が燕にかかるが、普段から重いほどの愛情を受けているのでこれくらいは許容範囲だ。

「な〜、燕君、俺と一緒に住もうや〜」
「お前、そればっかやな」
「あと三年は長いて」

ぐずぐずと駄々をこね、本格的に大きな子供と化しそうな啓司の頭をペシリとはたく。

「安心せぇ。俺の三年後の中に啓司はちゃんとおるんやから」
「ああっ、もう!ずるいわ燕君!」

そんなん言われたら待つしかないやんと、再びぎゅうぎゅうに抱き締められて、燕は少しうんざり気味に、そして啓司を落ち着かせるように背中を叩く。
彼の肩越しに見えたマグカップの中身を頂戴できるのはすっかり冷めた頃で、酸味を増したそれに顔をしかめる啓司を想像し、燕はこっそり可愛く笑った。



おわり



ツイネタ集めたふたり。

小話 137:2020/03/21

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