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「かっこよくなったよね」

洗面台の鏡を見ながらネクタイを締める満の背後から、洗面所の戸口に立つ菊馬が言い放つ。
いつの間にそこにいたのか、視線を向けていたネクタイの結び目から顔を上げると、鏡越しに自分をみている彼と目があった。

「何が?」
「満君が」
「えっ、うっそ、まーじで!?」

かっこいいの形容詞を我が物とする菊馬に言われたのだから、つい満の口調が弾んでしまう。そしてご機嫌を隠さずにくるんと振り返った満が言ったそばから可愛い笑みを向けるのだから、菊馬は思わず苦笑した。
フリーランスで在宅勤務な菊馬はリラックスした緩い部屋着だが、対した満は出勤の為、仕事着のワイシャツにネクタイのカッチリとした格好である。襟元の首筋や、しっかりとした肩幅。横顔のライン。捲った袖の腕の太さ。そこに目を落としながら洗面所に立ち入り、最後の仕上げとばかりに菊馬は満のネクタイの結び目を整えた。

「前は色も白かったし細くて可愛かったのに」
「・・・それいつの話?俺にそんな時代あった?」
「大学卒業しても、しばらくはそうだったよ。社会人になってから変わったね」
「ははっ、社会人何年目だと思ってんの」

トン、と軽く拳を菊馬に当てて満が笑う。
仕事の出来るビジネスマンとは言わないが、そこそこの業績から先輩の信頼を得て、軽い性格から後輩に慕われていると自負している満は、それらも合間って今が仕事が楽しい時だ。
そういう自信から、社会人としての貫禄もついて確かにスーツ姿も様になり、かっこよくなったと菊馬は思う。だがしかし、たまにべろべろに酔っ払って帰ってくるのはやめてほしいし、スマホを置いて家を出て行った満を追いかけ朝から全速力したこともあるので、もう少しオフでもしっかりしてほしいとは思っている。
つい黙り返してしまった菊馬に、洗面所からリビングへ向かっていた満が不思議そうに振り返る。

「もしかして、今の俺あんまり好きじゃない感じ?菊の好みではない?」
「俺の好みは一貫して満君だから安心していーよ」
「わはは!」

菊馬が真剣な面持ちで頷くので、満はからりと笑ってきびすを返し、椅子の背に掛けていた背広に手をかけた。まるで「だろうな」と言わんばかりの気持ちのいい笑い方だ。心配など端からしていないという信頼感も伝わってくる。

「そういう菊はさぁ、親父さんに似てきたね」
「はぁ?うそ、やめてよ、どこが」
「スッ、シュッってした目と鼻が前から似てたけど、最近は笑った顔が似てきたなぁって思ってる。あと電話越しの声ね」
「最っ悪」

綺麗な顔をあからさまに歪めた菊馬は、父親との折り合いの悪さを露骨に表す。
特に不仲という訳ではない。親子ゆえの似通った物の見方や好みが被り過ぎて逆に嫌になる、いわゆる「同族嫌悪」だ。同じ血筋なので、まさに同族中の同族。嫌悪中の嫌悪。しかしそれは満に言わせれば「菊の永遠の反抗期」なのだから、父親からすればいつまでも子供な菊馬の拗らせは可愛いものだろう。

「・・・あ?ちょっと待って。満君、もしかしてジジイと連絡とってんの?」
「たまに電話くるよ。たまーにね。元気でやってるかって」
「クッソ!あの野郎!何で満君にしてんだよ!」
「な。俺も息子に電話してやってよって言うんだけど、実の息子には恥ずかしいのかも」
「そういう話じゃないのよ満君」

満がスーツに腕を通しをながら見当違いな事を言うものだから、菊馬の肩の力がカクンと抜ける。
天気予報を見ながら今日羽織る上着を決めかねている満はテレビから目を話さず、愉快そうに話続ける。

「こないだモルディブに夫婦で旅行してきたんだってさ」
「息子の俺が知らない情報」
「ヒヒッ。君達もいつまでも仲良くなって、菊のことよろしくなって言われたよ」
「あ〜〜〜」

歯を見せて笑われては、反論出来なくなってしまう。
父親へ俺に言えとは思いもしないが、だからって満一人だけに話して、それを満の口から話させるのが憎たらしい。満の口から聞いてしまえば「当たり前だろ」と素直に肯定してしまうからことさら悔しい。それを解ったうえで満に告げたのだろと解ってしまう自分に負けた気になる。なにより言われるまでもないことを言われるのがすっごく腹が立つ。

腸をぐつぐつ煮ている菊馬を放って、
「ちゃあんと、もちろんですって答えたよ〜」
と私室へ消えていった満が大声で話す。この二人の喧嘩に割ってはいるのはとうの昔に馬鹿らしいのでやめてしまった。
クローゼットから昨年菊馬が見立ててくれたスプリングコートを持ち出してそれを羽織り、鞄のショルダーベルトを肩にかけると出勤モードの満の完成だ。
裸足で満の後ろをペタペタ着いていく菊馬は、革靴を履く満の背中に問い掛けた。

「今日さ、満君の帰りに待ち合わせて、どっかでご飯食べに行こうか?」

バッと満が菊馬の方へ顔を上げる。
久しぶりに焼き肉を食べたいと言っていたし、新鮮な魚を食べたいとも言っていた。何でも良いよと告げる菊馬の笑みに一瞬満が顔をほころばせるも、すぐに眉間にシワを寄せて難しい顔を作ってしまった。

「んあ〜。魅力的だけど冷蔵庫の牛乳とシチューの素使いきっちゃいたいから、鶏肉と、何か処理できそうな野菜で作ってくれといたら助かる」
「あははっ。オーケー。で、週末はスーパーで買い出し?」
「色気も可愛げもないデートで申し訳ない」
「歳を取るってそーいうことでしょ」

学生時代はバイト代が入ればすぐに二人の交遊費に消えたものだが、今となっては質素倹約、たまに贅沢して羽を伸ばし、よく言えば家庭的な日常に落ち着いたものだ。
菊馬がオーケーと指を作れば、満も頷いて笑い返す。

「よし。じゃ、いってきます」
「ん。いってらっしゃ──」

すくっと立ち上がり、菊馬から鞄を受け取った際、満は菊馬の頬に唇を音もなく当てた。こういうのは珍しいことで、菊馬もきょとんとしてからドヤ顔の満に「やられた」と遅れて僅かに顔を赤くする。

「・・・もー、満君かっこいいな〜」
「わはは!惚れ直せ惚れ直せ」
「随時アップデートだよ」

唇が触れた頬を撫でながら手を振る菊馬に満も手を上げ応えると、ドアを開けて家を出た。少しの聞こえる足音に耳を済ませて、菊馬は柄にもなく照れてしまった自分を叱咤しながらリビングに戻る。

(ほんと、一生好きでいられるわ)

リビングを通過しベランダから満を見送る最後の仕事の最中、目があった満に人気のないのを良いことに菊馬はお返しのキスを投げ渡した。



おわり



はっぴーもーにんぐ。

小話 135:2020/03/09

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