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※「99」→「115」の続編





「え、やだぁ、こわぁ・・・」

眉間にシワを寄せ、青い顔でドン引きしながら蟹江は玄関扉をゆっくり閉めた。まるで目の前に立つ人物を見なかったことにするように。
しかし、しつこい訪問販売者のごとく相手は扉の隙間にガッと足を挟み入れてくる。せっかくのナイキのハイカットシューズが傷つくのも構わずに、その人物はその隙間からさらに手を入れ無理矢理扉をこじ開ける。

「ちょっと入れてよ、セ・ン・セ」

聖沢はついに蟹江の自宅までやって来た。



「どうやって俺んち知ったの?」
「俺の言うこと聞くやつどんだけいるか知ってんの?」
「プライバシーの侵害って知ってる?」

その質問には笑顔でスルーされた。なんだ、俺にはプライバシーはないのかと聖沢をじっとりと睨み付けるが、もう色々しんどいとすぐに諦めの溜め息に切り替える。頭が痛いと蟹江はこめかみを抑えて目を瞑った。
なんだってこう、問題ごとは重なるのだ。

「ほんと、何しに来たのよ、お前は」
「お見舞いに決まってんだろ」

そう言ってぶら下げていたコンビニの袋を掲げて見せた聖沢は、言っても帰る気はないらしい。すでにスニーカーを脱いで上がってきているので、蟹江はふらふらしながらリビングへ向かった。もちろん聖沢は勝手についてくる。

「つかセンセ、昨日元気だったろ。急に風邪とかビビるし」
「あー」

頭が痛くてふらふらして微熱が出て。いわゆる風邪を引いた蟹江は本日学校を休んだのだ。
そしてそれを今朝、副担任から聞いた聖沢はその副担任が止めるのも聞かずに教室を、学校をあとにして、下っ端からの情報を集めて蟹江宅に自称お見舞いにきたらしい。
通勤に便利だからと高校からわりと身近なアパートに越したのが凶と出たようだ。

「あ、冷蔵庫開けていい?これしまうから」
「おー」
「なんだ。結構モノ入ってんだな。センセ、飯食った?」
「おー」
「薬も?」
「おー」

シンクには洗い終わった小鍋と小さなどんぶり、レンゲとお玉がきちんと置いてあった。時間からして朝食にお粥か何かをきちんと作って食べたらしい。
聖沢は「ふぅん」と思ったよりまともな暮らしをしていた蟹江に感心しつつ、買ってきたフルーツのゼリーと缶詰め、スポーツドリンクを冷蔵庫の空いてるスペースに置いていく。作りおきっぽい何かが入っていたタッパーも少し見えた。摘まんでみたいが病人の非常食に手を出すほどの図々しさはない。自宅に押し掛ける図々しさはあるものの。

「センセ、チョコレートあるけど食う?板チョコ」
「ん?んー、今はいいよ。喉がなんかな、調子悪いんだ。つか色々買ってきたんだな。ありがと。幾らした?」

ソファーに座った蟹江が側に置いていた鞄に手を伸ばし財布を取ろうとしたが、チョコレートをしまい冷蔵庫を閉めた聖沢がそれを制す。

「そういうのやめろよ。ガキの使いじゃねえんだ」

卵と鮭、それぞれのお粥のレトルトパックはキッチンの作業スペースに置いて、それでやっと終いらしい。
蟹江の元にようやく向かってきて、ソファー下のラグに腰を下ろすとジロリと蟹江を睨み付けた。初めての聖沢の反抗的な態度に一瞬たじろぐが、一応は自分を気遣って見舞いに来てくれた相手の善意にそれは失礼だったかと、素直に「悪い。ありがとう」と頭を下げた。
見る分には少し元気がないように見える。咳もないし、鼻声でもない。けれど喉が痛くて頭痛のそぶりも見せている。これから熱が上がるのか、それともピークは去ったのか。その判断は聖沢にしかねるので、つい顔を歪めてしまった。
ソファーの隅の丸まった毛布に気付いて、それを蟹江に放り投げる。うお、と可愛くない驚愕の声を上げながらもがいているかたまりを見つつ、ローテーブルのノートパソコンがスリープモードなことにも気が付いた。

「仕事してた?」
「少しな」
「いや、寝ろよ。寝とけよ」

ソファーの上で風邪っぴきの蟹江が毛布にくるまりながらパソコンを弄っている姿を想像して、聖沢も頭が痛くなってくる。好意を除いたとしても、教育熱心な先生だとは思っている。だけど、だからと言ってこんな時まで。

「あーもう。台所借りる」
「え、なに?」
「汚さねぇよ」

思い切り不審そうな眼差しを向けられたので、立ちながら蟹江の髪を雑に撫でた。
冷蔵庫から取り出したのは、牛乳と先ほど蟹江から却下された板チョコ。

「・・・」

小さく舌打ちをついて、パタンと冷蔵庫を静かに閉めた。


コンロに火が着く音、パキパキと何かが割れる音、戸棚から何かを取り出す音。あとなにか、甘いにおい。
蟹江は台所に目を向けることなく、毛布のぬくもりと人の気配を感じながらゆったりと目を閉じていた。薬のおかげで頭痛は少し引いてきた。風邪を引くと喉や鼻より頭痛タイプなので、見た目的に風邪の症状を外部の人間にさらすこともなければ悟られることもない。このまま静かに完治してくれたらそれでいい。そして明日は普通に通勤できたら尚更いい。
そう思っていたのに。

「も〜〜。何でくるかなぁ〜」
「見舞いだっつってんだろ」

一人言に台所にいたはずの聖沢の返事が付いてきた。
マグカップを渡されて、覗き込めばココアのような温かい液体が注がれていた。

「ココア?」
「ホットチョコレート。喉痛くても飲めんだろ」
「え、やさし・・・!」
「惚れたろ?」

その問いには今度は蟹江がスルーして、遠慮なくコクリと一口飲み込む。牛乳のお陰で飲みやすく、チョコレートそのものが喉にどろりと張り付くような不快感もない。なにより疲れていた身体に甘いものが染み渡る。

「あー・・・俺今染みチョコだわ・・・」
「意味わかんねーし」
「これ、うまぁ。聖沢料理出来るんだな」
「こんなん料理に入んねぇし」
「聖沢は?飲まねえの?」

またラグに座った聖沢は手に何も持っていない。蟹江が聖沢に問えば、珍しく目を反らされた。

「・・・、俺はいーんだよ」

少し言い淀んだ聖沢が気にかかるが、「つーか、」と話題の変更バレバレの腰の折方をされた。

「昨日風邪の素振りなかったじゃん。体調悪かった?」

自分が蟹江の変化を見落としていたのも悔しいし情けない。そんなことを口にはしないが、今朝、教卓に立ったのが担任の蟹江ではなく副担任だったことに、自分がどれほど動揺したか。

「いや、それがさぁ」

甘いもので体も暖まり気も紛れた蟹江は、それはそれは長い溜め息をついた。

「昨日風呂上がりに生活指導の先生から連絡来てさぁ。お宅の生徒が駅の北口方面でバイク乗り回してる〜って。もー髪の毛濡れてんのにバタバタ出掛けてひっ捕まえて怒鳴って帰ってきたの3時でさー。布団入んないでそのまま倒れ込んで寝ちゃって、んで、この有り様よ」
「ふーん?」
「お前もさー、クラスの頭ならお前から佐藤と山田に注意してくれよー」
「佐藤と山田、ねぇ」

あいつら・・・、と明くる日の朝、まだ優等生ぶっていた自分と蟹江の会話を邪魔した自転車二人乗りのやつらの姿を思い浮かべる。
すーっと目を細めていた聖沢だが、すぐに胡散臭そうな笑みを蟹江に向けた。

「センセ、俺用事思い出したから学校帰るわ」
「用事なくても学校行きなさいよ」
「放課後またくるから」
「放課後はまっすぐおうちに帰りなさい」
「それ、まだ鍋に入ってるから」
「・・・あざーす」

それを聞いた聖沢が微かに本来の笑みを見せて、腰をあげたかと思うと「それじゃ」と玄関へ向かい靴を引っ掛けると扉を閉めた。
突然の来訪に突然の帰宅だ。
何だったのかとしばしポカンとしていた蟹江は我に返ると行動に移す。
ドアの鍵を閉めて、チェーンロックもかけて、あらゆる窓の施錠を確認し、カーテンも完全に閉めきる。パソコンを回収し寝室に戻り、パソコンにヘッドホンを繋いで適度な音量に設定したら、あとは音楽を聴きながら布団に潜って目を閉じるだけだ。
もし放課後本当に聖沢がきても、断固として反応しない決意の表明である。

(つーか、あいつ)

玄関に向かう途中、ゴミ箱にあった赤い箱、チョコレートの包み。パッケージに印刷されていた「ハッピーバレンタイン」の文字。

(可愛いとこあんじゃねえの)

クツクツと一人で笑いながら、口内に残る甘い余韻に目を閉じる。
明日は無事、登校出来そうだ。



おわり



バレンタインリクエスト。
「聖沢が蟹江の家に行く」「聖沢が手作りチョコレート」「聖沢の強引な押し」「聖沢が蟹江にチョコレートあげる」「蟹江が年下の聖沢のこと可愛いなと思う」でした。聖沢君のリクエスト一番多かったのでひとまとめです。全部聖沢君がチョコレートあげる立場のリクエストで助かった・・・佐藤と山田は初回の話にちょっと出てるよ。

小話 132:2020/02/26

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