121



雄大が喋るのをやめたのは、小学校五年の時だ。
風邪を引いてしばらく休んで、マスクをつけて登校してきたかと思えば、その日からずっと声を聞いていない。マスクを外しても、音楽の授業でも、雄大は声を発しなかった。卒業証書授与の時は口を「はい」とだけ口パクして、時間と後がつかえてるからそのままおとがめ無しで流れるように卒業式は終わり、中学の時も一切喋らなかった。
幼なじみ、ってわけではないと思うけど、小一から仲良くやってて放課後や休み時間にしょっちゅう遊び回ってた俺からしたら、当時は結構衝撃的だった。
「まだ風邪治ってないん?」
「どっかしんどいん?」
って聞いてもふるふると首を横に振って、大丈夫とでも言うように目元を優しく細めるだけだ。

「喋るの嫌なん?」
その問い掛けに、困った顔をした雄大は、一度だけ頷いた。


人の嫌がることをしてはいけません。


親にも先生にも言われたし、道徳の授業でも習った事だ。
だから俺は、雄大を守ろうと子供ながらに精一杯の正義感で雄大を守ってきた。

「何でお前喋んないの?」「変なの」「声出ないんか」って喋らない雄大の代わりに「うるさい」「雄大はお前らとは喋らんのや」「どっか行け」ってからかって来る奴は追っ払ったし、その都度「気にせんでええからな」って雄大を仰ぎ見て、いつものように目元だけで笑う雄大に俺も笑う、そんな毎日を送ってきたのだった。


ところで雄大はよく育った。
大型犬──例えるならシベリアンハスキーみたいにクールかつ大人しくて凛凛しい感じに育ち、対する俺はまあまあ平々凡々そこそこ普通に育ってはいるが、雄大と並ぶと小柄でよく吠えるからチワワのようで、高校でついたあだ名が「番犬ちゃん」だ。誰がチワワだこんちくしょう。
高校は雄大が心配だから同じところに必死で勉強して進学したけど、高校生ともなると、やっぱりそこそこ成長しているから雄大の事は「こころのびょうき」と受け入れて、声を発しないことを初めは好奇の視線を向けていたが、今となっては日常と化している。
俺と雄大の意思の疎通は、阿吽というか、アイコンタクトというか、小学校からの付き合いでバッチリ出来るようになっている。


「雄大〜、さっきの数学の意味解る?」

クラスメイトがノート片手に雄大に迫る。雄大は成績優秀なので、勿論質問された事にはあっという間に答えれる。
シャーペンをカチカチとノックして、質問された問の省かれた途中計算をさらさらと書き込んでいく。

「ん?この数字ってどこからきたん?」
「さっき代入したやつやん」
「あ、じゃあこの数学をここに持ってきたら、この形になるって事?」

咄嗟の質問には俺が答えて、クラスメイトが最終的な質問をすると、雄大はニコッと笑って頷いた。

「お〜正解だって〜」
「サンキュー雄大!番犬もあざーす!」
「番犬言うなし」

俺達に感謝して、クラスメイトは自分の席に戻っていった。ふと雄大から向けられた視線に気付いてそっちを向くと、何か言いたげに俺を見ている。解る。解るぞ、雄大。

「ふっふっふ、俺が数学出来てるからビビったんやろ」

頷く雄大。

「そりゃあな?雄大の側にいるからには、俺もサポート出来るくらいの男にならんといけんわけやし?」

雄大の目がキラキラっとした。

「やから、雄大も安心して俺の側におったらええよ」

ワシャワシャと大型犬の頭を無遠慮に撫で回すと、少し慌てた様子の雄大だったけど嫌がんないで俺の悪ふざけにまた笑って、お返しに俺の頭を優しく撫でた。小型犬を撫でるみたいだ。




人の記憶はまず、声から忘れると聞いたことがある。
元から雄大はそんなに喋る方じゃなかったけど、「おはよう」とか「また明日」とかは普通に言うし、ちゃんと大きな声で笑うし、先生から当てられたらハキハキ答えれる奴だった。

(雄大と最後に話したのって、何だっけ)

帰り道、先を歩く広い雄大の背中を見ながらぼんやりと考える。
雄大が風邪を引いて学校を休んだ日、俺は担任から頼まれて連絡帳とプリントを渡しに行ったんだ。もちろん、お見舞いもしたかったけど、雄大のおばさんから「熱が高いからちょっといま会えないの、ごめんね」と優しく断られて、大人しく引き返したのを覚えている。

(ああ、確かその前の日に「じゃあなー」って、手を振って帰ったんだよな)

俺と雄大の二人で、夕方まで校庭で遊んで。
あの時は別に体調が悪くなさそうだったけど、家につく頃には汗が引いて風邪を引いてしまったんだろうか。

(それって、じゃあ俺のせいなんかな・・・)

雄大といるのは楽しくて、時間を忘れて遊び呆けるなんてしょっちゅうだった。
雄大はいつも俺に付き合ってくれたから、具合が悪くても言えなかったんだろうか。
そう思えば、そういえば咳をしてたかもとか、元々ハスキーだったけど声がかすれてたようなとか、不安材料がたくさん出てくる。
ぶっちゃけ、一緒にいるのに罪悪感があるからというのも少しはある。俺が雄大から声を取ってしまったんじゃないかっていう罪悪感。
正義面して雄大の側にいる資格なんて、本当は一番ないんじゃないか。

(雄大の声って、どんなんやっけ)

子供特有の柔らかさ、けれど少しハスキーで、大人っぽくてかっこいいなって思ってたし、本人にそう言ったこともある。

「・・・なあ、雄大」

小さな声になったけど、すぐに雄大は振り返ってくれた。

「雄大の」

パァンと、俺の発言を掻き消すようなクラクションが鳴った。
途端に雄大が俺の手を引いて抱き寄せた。雄大の胸板(と、制服のボタン)に顔面をぶつけて正直痛いし何事だと心臓がバクバクとやかましい。

「え、なん?なんがあった?」

見上げた雄大は向こうの方を睨み付けていて、そっちを見ればトラックが走り去って行くとこだった。

「あ、俺車道に出とった?」

雄大が首を振る。

「なん、向こうが歩道に寄っとったんか。この道危ないけん、ガードレールつけるか歩道広めるかしてくれたらええのにな」

今度は強く頷く。

「助けてくれてありがとう。でも顔打ったわ。ボタンいてぇ」

笑いながら鼻をさすれば、雄大が慌てて俺の手を退かして顔を覗き込んでくる。優しいやつめ。俺に優しくする事なんて、ないんじゃないのか?

じ、と雄大が真っ直ぐ目を見てくる。

「あー。何言おうとしたか、ビックリし過ぎて忘れた」

ごめん、と笑えば雄大も笑う。

(あぶねぇ)

──雄大の声が聞きたい。


俺はとんだ失言をするところだった。





「あれー、集ちゃんやん。久しぶりー」

ある日の夕方、母親からのお使い帰り、両手にティッシュペーパーとトイレットペーパーを持った激ダサスタイルの俺に声をかけてきたのは、雄大のお姉さんだった。確か今は華の女子大生で、雄大の姉だけあって美人である。

「わー、お久しぶりです」
「めちゃくちゃ庶民的な格好しとおね」
「いや、ははは・・・」

雄大の姉とは言え、美女にダブルペーパー抱えた姿は見られたくはなかったが仕方がない。生活必需品だからだ。お姉さんは中学高校は部活動をしていたから滅多に会わなくて、地元に住んでおきながら本当何年ぶりだ?っていう再会になる。

「てか集ちゃん、いまだに雄大と仲良くしてくれてありがとね。あいつ昔っから口数少ないし、愛嬌ないけん、友達おるか心配やってんけどね」
「・・・まあ、はい」
「集がおるけん大丈夫やって言っとうけさ、お姉ちゃんは安心しとるんよ」
「あ、いえ、そんな・・・えっ?」

よほど俺がおかしな顔をしたのか、お姉さんの大きな目がさらに大きくなった。

「え、雄大、喋ると?」
「そりゃ喋るよ?」
「普通に?」
「普通に、っていうか、相変わらず無口なやつやけん、おお、とか、別に、とか。あ、でも集ちゃんの事はよく話すよ、ほんとに」

雄大、喋るのか?
家族だから、というよりお姉さんの感じからして俺とも普通に話してる前提じゃないか?
え、ちょっと待って、どーゆーこと?

「あの、雄大って今」
「留守番頼んじょるけん家におるよ。あー、私今からバイトやけん、訳ありなら──」


──走った。
めちゃくちゃ走った。
訳ありなら使う?と、家の鍵を貸してくれたお姉さんに頭を下げてから、両手にダブルペーパーだけど、とにかく走った。走って雄大の家について、震える手で鍵を開けて、玄関にドンっと荷物をおいた。息が整わない。横っ腹が痛い。

一人で留守番のはずが、慌ただしい音が聞こえたので姉が帰宅したと思ったのだろう。


「なん、ねーちゃん忘れもん──」


雄大が顔を出して、俺を見て、固まった。


「なんか!その声!雄大喋れるやんか!」

ボロボロと涙が溢れたのは何故だろう。
安心、歓喜、罪悪感の解消。
もう全部がごちゃ混ぜで、いろんな感情が爆発した。

雄大は口を抑えてうつむいた。

「こら!雄大!」

靴を脱ぎ捨て駆け寄るも、雄大の長い腕が俺を制する。俺が泣いて怒ってるのに眉を下げるが、頑なに目を合わせようとしない。

「お前、声変わりしたんやな?」

俺の発言に、ピリッとした空気になった。
口を抑えたまま、このまま吐くんじゃないかってほど顔を青くした雄大が、ゆっくり、諦めたように頷いた。

「なにぃ、俺聞きたいよ、雄大の声」

雄大の口から手を離すように、両手で掴んでそっと下ろすけど、ふるふると泣きそうに首を振る。

「何が嫌なん?ごめん、雄大が話せない理由ずっと聞きたかったけど、それが雄大を傷付ける事になんのなら、その原因が俺なんやないかって、怖くてずっと聞けんやった」

はっとした雄大が、青い顔のままこっちを見て首を横に振る。いまだにはらはらとこぼれる涙を指で払ってくれる優しさは健在している。

「何が違うん?言うてよ、喋れるなら、雄大の言葉で聞きたいよ」
「・・・っ」
「俺、雄大の声好きやもん。声聞かせてよ」
「・・・だけんっ」

昔の薄れ行く記憶の中の雄大の声より、幾分落ち着いた低音が響いた。

「声変わりした、けん・・・っ」

俺の両肩を掴み、全てを出しきり力尽きたようにガックリと頭をたらす雄大が言った。
え、なんだって?

「声変わりしたけ、だけなんなん?」
「・・・だけん、集、俺の声が好きって、昔」
「うん、言ったな。それがなんなん?」

今度はカッと耳まで赤くなった。
こいつ大丈夫かと、いつもとは逆の立場になって顔を覗きこむ。すると観念したように、ぎゅうっと目を瞑り、微かな声で

「変わった声、聞かれたくなかった」

と白状した。
つまり、俺が昔雄大の声が好きというのを真に受けすぎて、声変わりしたのを機に俺の前では話せなくなったということだ。

「雄大、風邪引いたってやつは」
「・・・嘘。ごめん」

ああ、それなら前日までの雄大は喉の不調も納得がいく。
ああ、なんだ、ああ・・・。

あまりにお粗末な結末に、ふにゃふにゃと廊下にへたり込む。涙は知らない間に引っ込んだ。

「俺は、俺のせいで雄大が風邪を引いて、だけん声が出んくなったんやって、思ってて」
「本当にごめん」
「てか、全然変やないし、もっと早く聞かせてくれても良かったやんか」
「・・・だけん、集に嫌われたくなかったんやって」
「ええ、嫌わんよぉ。今の声かっこええやん。俺好きやけん、自信もちぃや」

いつもみたいに目を見て言えば、少し泣きそうに、雄大はまた「ごめん」と言って「ありがとう」って笑った。

笑顔に言葉がつくだけで、俺は胸がグッと熱くなる思いがした。



「あ、もしかして俺が雄大にくっついとおから、他の人とも話す機会なくしてた・・・とか?」

新たな問題に気付き恐る恐る尋ねると、雄大は「あー」と低く答えてから、照れくさそうに

「それもあるんやけど、集が側に居てくれるなら悪くないなって思ってた」

と笑うので、俺は今までの怨みも込めて盛大に頭をはたいてやった。




おわり



ちょっと方言。



小話 121:2020/01/10

小話一覧


×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -