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始まりは、高校時代の軽音部のOBが、ライブハウスに来てくれたことだった。
当時、大学生でありながら趣味の音楽への道もなかなか断つことが出来ないでいた俺は、バンドを作っては解散したり、サポートで入っては抜けたりを繰り返していて、どこでも中途半端にふらふらしていた。
その日はソロ活動だった。
オリジナルじゃなくてコピーだけど、受けは良かった。注目されるのは正直好きじゃない。けれど小さくてもステージに立って、ライトを浴びて、歓声と拍手をもらうのはどこか非日常感があって俺をゾクゾクさせるものがあった。
歌と音楽は好きだ。
どの道に進もうと、ずっと音楽を続けていくことは最高に贅沢なんだろうなと諦めに似た絵空事を描いていた。

「おつー!シンちゃん、また歌うまくなってない?声が伸びてるね」
「はあ、どーも」

この一人明るいOBは、最近知名度が上がりまくりの紺野翼、大手芸能事務所所属、職業アーティスト(最近は俳優業もしている)いわゆる芸能人だ。この人もこのライブハウス出身というのは有名な話で、今じゃファンの間で聖地として崇められている。昔と比べて賑わっているのは間違いなくこの人のおかげだし、だからこそ今、こうやって堂々と関係者以外立ち入り禁止のバックステージに入ってきているのだろう。他の共演者が遠巻きにチラチラと見ている。

「こっちの人、俺のマネージャーなんだけどさ、シンちゃんの事気に入ったみたいでね」
「こんにちは。こういう者です」
「はあ・・・」

紺野さんの隣に立っていた眼鏡でスーツ姿の人が、礼儀正しく名刺を渡してくるのでつい受け取って頭を下げた。よく見る有名な紺野さんの所属事務所のロゴが入っている。

「え、なんすか?」
「単刀直入に言うと、君をスカウトしたいんです。もちろん今すぐの話じゃなくて、君がまだ学生だと伺っているので、卒業まで待ちます。ただ、君みたいな存在は、是非うちの事務所に籍を置いておいて欲しいんです」
「他のとこ行かないようにねって意味で、つまりキープしておきたいんだよ」
「ええ。ただ、卒業と同時にすぐにデビューという事でもないんです。卒業までのおおよそ二年間は、うちでレッスン生として下積みもして欲しいのです」

ここら辺りでギャラリー達がざわついた。紺野翼がお忍びできているというだけでもレアなのに、俺にもスカウトの話が出ているので当然かもしれないが。

「おっと。残りの話はどっか別の場所でしよっか。シンちゃん、飯でも食いに行こう」
「そうですね、車を回してきます」
「シンちゃんも荷物まとめちゃって」
「あ、はい・・・」

何が何だか解らない内に楽屋を出ていったマネージャーの人と、俺の荷物を勝手にまとめる紺野さん。ハウスのオーナーに挨拶をした時、
「この子、その内すごいことなるよ」
と背中を思いきり叩かれたけれど、この時はまだ現実的でない話にぼうっとして、痛みなんて感じなかった。

「君を初めてみたのは今日とかの話じゃないんだ。僕は君の才能、そして伸び代、未来に惚れたんだ。是非、うちに来て欲しいんです」

移動先の個室居酒屋で、マネージャーの人に熱く口説かれた。
名前は確か、渋澤さん。
チョロいかもしれないが、適当なりにも大事にしてきた自分の音楽を真剣に聞き入って、ここまで評価してくれる人なんて今までいなかったので、自分の枠外である芸能界にも、真剣で熱い瞳で訴えてくる渋澤さんにもコロリと落ちてしまった。



そうして大学に在学中は本分である勉強と事務所のレッスンを行ったり来たり、全てが自己流だったものに講師がついて、ボイトレやギター練習はもちろん、他の部門が違うレッスン生らとワークショップやらも回数を重ねて、ついに卒業。
渋澤さん曰くの「満を持してのデビュー」をはたし、俺の世界は180度変わってしまった。


「シン君どう?この業界は」

現場帰り、渋澤さんの車で帰宅する。
外は暗いが東京の高いビルからのライトが綺麗で、いつも目で追ってしまう。

「いや、もう何がなんだか」
「ふふっ。でもシン君、スタッフ受けいいよ。謙虚で分け隔てなく誰にでもしっかり挨拶ができるって」
「・・・正直、誰が誰だかさっぱりなんで、一応皆さんに挨拶するようにしてるだけで」

渋澤さんは俺がデビューすると紺野さんとの掛け持ちになった。マネージャー業って掛け持ち出来るのかと意外だったが「翼はもう、慣れてる現場とかレコーディングの時なんかは一人で行動するよ」とのことで、あの人ふらふらしてるっぽいけど案外しっかりしているらしくて驚いた。

「あ、渋澤さん、コンビニ寄ってもらっていいっすか」
「なにー?まさかコンビニ弁当?」
「最近買い出し行く時間ないんす」

事務所が大きいおかげで、デビューにあたり宣伝が大々的に行われた。デビューシングルのCMはバンバン流れたし(トレーラーも走ったらしい)、歌番組もほぼ出たし(カメラ撮影緊張したしまだ録画も見れていない)、バラエティーのゲストとしても「デビュー前から人気沸騰」と話題をふられ(全然喋れなかったけどMCのおかげでいい感じに終わったらしい。感謝)、SNS開設すると秒でフォロワーが増えて正直かなり引いた(ありがたい事なんだけど)。
おかげで現在、身の丈にあわず大忙しだ。

「あちゃー、ごめんごめん。んーっと、じゃあ今日はこっちに来る?野菜たくさんの鍋にしようか」
「肉も食いたいっす」
「はいはい」

こっちとは当然渋澤さんの自宅の事だが、事務所所有のマンションに住んでいるのは俺も同じだ。他にはアイドルとか俺みたいな上京組とか単身スタッフとか、色んな人で埋まっている。俺は渋澤さんとは階が違うが「タレントの健康管理も僕の仕事だから」とよく飯に誘ってくれるのでほいほいとついていく。レッスン生の頃からも気にかけて貰っていたので、他のレッスン生には「あの人、シン君の付き人?もうマネージャーいるの?すごいね」と羨ましがられて鼻高々だった。

「明日は雑誌の撮影とインタビューが終わったらオフだから、買い物でも行く?」
「はい」
「あ。この前の生放送のやつ、もう見た?」
「いや、まだ。って言うか、自分が映ってるのってあんま見たくないっすね」
「でもカメラ映りも勉強しないとね。ほら」

鍋を挟みながら、渋澤さんがテレビのリモコンで操作すると、俺の出演した番組が一覧でズラリと出てきた。どうやら「名前登録」をしているらしい。初めてその一覧を見た時は驚いたけれど、嬉しくもあった。
先日の生放送の歌番組を見ながら「シン君、トークに参加してなくてもボーッとしてちゃだめだよ」だの「ここ、ちょっと姿勢が悪いから感じ悪い印象になっちゃうよ」とアドバイスもくれるので、意識して背筋を伸ばしてみれば、「今はリラックスしていいんだよ」と優しく諭された。

「あぁー、いいねぇ。シン君、生歌でもイケるってのはかなりの強みだよ。声がハッキリしててぶれないの、いいなぁ。ここの歌い方とか特に」
「あざます。渋澤さん、眼鏡曇ってます」
「おっとっと」

テレビに気をとられてる間に、鍋の湯気で渋澤さんの眼鏡が曇る。それを外して拭きながら、素顔で恍惚にも似た表情で見つめるのはテレビ画面の俺だ。

面白くない。

「渋澤さんって、スカウトした日に俺を見たのはあの日が初めてじゃないみたいなこと言ってましたけど、結構ライブ来てたんすか?」
「え、あ、あぁ。ライブハウスのオーナーと顔見知りでね」
「へぇ」

くたくたの白菜と鶏肉を摘まんで、熱いうちに口に入れる。さっきから自分ばかり食べている気がするのは、きっと気のせいではない。渋澤さんは箸を握る手すら止めて、今度はトークに参加している俺を見ている。

面白くない。

「・・・渋澤さん」
「うん?」
「渋澤さんって、俺の専属にはなってくれないんですか」

一呼吸置いて、ようやく渋澤さんがこっちを向いた。

「ん?しばらくは全部に同行するよ?大丈夫、この広い芸能界に一人で放り出すなんてことはしないから」

保護者面して笑う渋澤さんに唇を噛む。
違う。そうじゃなくて。

「・・・渋澤さんが惚れてるのって、俺の歌だけですか?俺自身のことはどう思ってますか?」
「え?」

あまりにも必死な顔をしていたのだろう。渋澤さんも目に見えておろおろしだした。

「どうって、だからすごい才能を持ってるって──」
「だからそうじゃなくてっ!!」

箸を乱暴にテーブルに叩きつけてしまった。
二人の間に静けさと緊張が漂うのがわかる。テレビもさっきと変わらないボリュームのはずなのに、誰が何を歌っているかなんて耳に入ってこなかった。
しまったと我に返るが、あんな悪態の手前、今さら渋澤さんの顔を見るのが怖くなってきた。謝罪の言葉も出てこない。

「・・・君は、自分のことに無頓着だから、気がつかないだろうけど」

静かに渋澤さんが箸を置く。
俺はと言えば、返事を返すことも、顔を上げることも出来ずにただただ何を言われるのかが恐怖で、心臓をばくばくさせながらテーブルの木目をじっと見ていた。

「きっと、君はこれから芸能界で磨かれて、今以上の男前になるよ。歌ももっと周りからも評価されて、たくさんのファンを連れて、眩しい程のライトを浴びて、大きなステージに立って、見たことのない景色を見ることになると思う」
「・・・そんなこと、」
「ううん。・・・僕は初めてライブハウスで君をみた時に、目も耳も心も全部が惹き付けられたよ。すごい原石だって。だから」

それは、やはり事務所として金の卵を見つけたと言うことだ。芸能界だってビジネスだ。夢を売るだけじゃない。夢を売って、金を得るんだ。
やはり一タレントととしてしか大事にされていないと思い知ってしまった。

「──だから、恥ずかしい話、君を・・・独占したいと思ってしまったんだ」
「はい。だから事務所に誘ってくれたんすよね」
「ああ、うん。・・・でもそれはひとつの方法に過ぎないって言うか、だから、あの・・・」

急に歯切れが悪くなった渋澤さんに、もういっそ「君は商品だ!君は金だ!」くらいハッキリと言ってほしくて、舌打ちをつくなんて再び悪態をついてしまう。

「まどろっこしいな。なんすか」

渋澤さんは再び眼鏡を外し、顔を隠すように両手で顔面を覆った。うーうー唸って言葉に困ってますみたいな姿なんて初めて見る。

「だから、僕が個人的に君を所有したかったんだ」

蚊のなくような声だった。
これが渋澤さんじゃなければ聞き逃しているほどの小さな声でそう言うと、観念したように頬杖をついて視線を落とす渋澤さんの顔が赤い。

「あのライブハウスにはね、翼がデビューしてからずっとライブする度にお花をくれたり新曲の宣伝もしてくれてるから、お礼に行ったことがあるんだよ。ファンの子が押し掛けて迷惑もかけてるだろうから、そのお詫びにもね。・・・その時に、君を初めて見たよ。ツインギターでバンドのボーカルをしていたね」
「・・・ああ」

そういう時期もあったなと思い出す。

「でもまたある時は別のバンドのギターをやってて、あれ、この子もしかして音楽の方向性定まってないのかなって。だから、君がまだどこかのグループにも事務所にも属していないフリーのうちに捕まえなきゃって・・・逆ツテで翼に紹介してってお願いしたんだよ」
「知らなかった・・・」
「知らなくて良かったんだよ。こんなアラサーのおじさんが若い子に一生懸命なことなんて」

あああ、っと喚いた渋澤さんがついに突っ伏してしまった。

「僕が、僕個人が、君を捕まえておきたかったんだよ」

くぐもった声の主のつむじしか見えない。

「・・・もしかして渋澤さん、俺のこと好きなんすか?」
「好きだよ。君みたいな人、好きにならない方がおかしいでしょ」

突っ伏したまま即答された。恥はもう捨てたのか、少しやけくそ気味な回答が返ってくる。大きな拍手が聞こえた。それは録画番組が「また来週〜!」とエンディングを迎えた場面だった。

「初めて会った時も思ったんすけど、渋澤さん結構情熱的っすね」
「熱量半端ないし、かなり重いかもね」
「俺、そういうの好きです」

ピクン、と渋澤さんの肩が揺れた。

「俺も、渋澤さんが認めてくれたから自分の音楽に向き合ってこの世界頑張ろうって思えました。だから一生隣にいてくれないと困ります」

図々しいことを言っている自覚はあるが、ここまで腹を割って話してくれた渋澤さんに対して、隠すことも遠慮することも必要ない気がした。
のろのろと顔を上げた渋澤さんが、「一生」と呟いた。

「はい。俺も中々に重いと思います」
「じゃあ、ちょうどいいかもね」

へにゃりと笑った渋澤さんが、ようやく自分を見てくれた。いや、本当はずっと見てくれていた。

「これからも公私共々よろしくお願いします」

鍋の上から手を伸ばすと、渋澤さんも少し躊躇ってから、ぎゅっと握手を交わしてくれた。

「こちらこそ、お願いします」


俺の世界がまた広がった。




おわり



芸能たのちぃ。
シン君は名前が慎一(しんいち)だからシン君。
先輩の紺野君の放しはコレコレ

小話 120:2019/12/21

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