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「ちょっと俺の尻触ってくんない?」

努めて冷静に、こいつは何を言っているんだ。



朝に大学の最寄り駅で、ぼけっと突っ立っている人物を見付けたのがことの始まりだ。
同じ学部の青山だ。青山は一人、人が減っていくホームに佇んで、顎に手を添えて首を傾げては上を向いたり下を向いたりと、難しい顔で何かを考えてる素振りを見せている。

「おう、青山。何してんだ?」
「・・・二鷹」

ひょいと眉が上がって、眉間のシワがとれた。

「丁度良かった。あのさぁ──」

そして冒頭の爆弾発言。
俺は目が点になるとはこの事で、言葉を理解するのに時間を要してしまった。

「・・・いや、お前、何を」
「違うんだ。これには訳がある」
「俺にそんな趣味はない」
「俺にだってねぇよ!」

胸ぐらを掴まれたので、思わず言い寄る青山の額を押して接近を拒んだ。仕方ない。防衛反応だ。

「・・・ち」
「ち?」
「ちか」
「ちか?」
「──チッ!」
「エェっ!?」

言いづらそうにゴニョゴニョ言うから顔を近づけると、何故だか思いきり怖い顔で舌打ちをつかれた。全くもって心外なんだが、青山は一回唇を噛んで視線を外し、グッと俺を睨み付けてからボソリと言った。

「・・・今、電車で、痴漢に、あった」

そしてまた、歯痒そうに顔を歪めると視線を落とした。
ちかん、チカン、痴漢。
青山と結び付きそうにないそのワードに、思考が一旦停止して反応に遅れてしまった。

「・・・は?マジで?何で?」
「んな冗談言うか!何でとか俺が知るかよっ!」
「おぉ、わ、わりぃ」

思いきり睨みあげ、噛みつかんばかりに声を張り上げた青山を「どうどう」と両手で制し、俺は考えた。
ごつくはないが、青山は女と間違えるほど華奢ではない。眉の上の短い前髪のおかげでクリアに見える顔だって中性的じゃなく、完璧男だ。・・・まだ高校生感はあるものの。しかしその男の青山に痴漢するなんて──とまで考えて、はたと気付いた。

「・・・なあ、痴漢って男?女?どっち?」
「・・・男。・・・普通に、リーマン風の・・・」
「おぉ・・・」

聞いといて申し訳ないが、ちょっと引いた。
綺麗な歳上のお姉様なら事情は変わる(かもしれない)が、男が男にされるのはきつい。絵的にも、男のプライドとしても、精神的にもきつい。
かける次の言葉が見当たらず、お互いの間に少しの沈黙を生んで、俺は冒頭の青山の台詞を思い出した。

「いや、いやいやいや。その流れで何で俺が青山のケツ触らなきゃいけねーの」
「だから、感触が、キモくて・・・」
「あ?」
「・・・俺だって今パニクってんだぞ。気のせいとか、混んでたから当たってるだけとか考えたけど、なんか、尻にずっと、違和感あるし・・・」

言いながらデニム越しに尻を擦る青山に、あぁ、だからさっき何か考えてる風だったのかと納得した。確かに尻を意図的に触られるなんて、男じゃ友達同士のふざけた遊び以外に考えられないだろう。他に思い付くのは企画もののAVとか・・・とまで考えて、ハッとした。

「え、お前まさか──」
「言っとくけど服の上からケツ揉まれただけだからな!お前の想像してるようなおぞましい事はない!」
「あぁ、あぁ、良かった。マジビビった」

まさかシコられて一発とか、ありがちなシチュエーション(もちろん男女もののAV映像)を脳裏に浮かべてしまった。しかし杞憂だったらしく、心底ホッとした。友達が、青山が、そういう目に遭ったらと思うと、肝が冷えた。

「あ〜、だから、知ってる奴に上から触ってもらえたら、感触忘れるかもって」
「なるほど?」

事情を知れば疚しさも嫌らしさもなく、逆に真面目な話だったので、俺も撫でるでも揉むでもなく、パン、と渇を入れるように軽く青山の尻をはたいた。
・・・うん、堅いケツだ。女みたいに丸みも弾力も面白味もない。痴漢の気持ちなんて到底理解できやしないと、はたいた手をプラプラさせながら溜め息をつく。

「ど?オーケー?」

任務完了した俺は、リュックを背負い直していい加減駅を出ようと登り階段へ視線を向けたが返事がない。どうした、と横目で見た青山は、唇を尖らせて、少ししかめっ面で、視線をおとして尻を撫でていた。

「あー、うん。まあ、うん。・・・サンキュ」

ボソリと呟きうつ向くそれは、一見すると「それが人に頼み事を叶えてもらった態度か」と腹をたてられてもおかしくないが、俺は気付いてしまった。
短い髪が見せる、青山の耳が赤い。
あきらかに、恥じている。
その瞬間に、俺の中で何かが燃えた。

「・・・キモいこと頼んで悪かったな。行くか・・・って、二鷹?」

横を通り過ぎようとした青山が、きょとんとして振り替える。俺が繋ぎ止めた自分の手首を不思議そうに見てから、その視線のまま、また俺を見た。

「なあ」
「あ?」
「明日から、俺も一緒の車両乗ってやろうか?つか、乗る」

なんで。
と、眉間にシワを寄せた青山が目で訴えてくる。
今までのやり取りからして、話の根本に“痴漢”というワードがあるのは明白で、それをぬぐった矢先に蒸し返したのだから批難の目を向けられるのは当然のことだ。

「だって明日もないとは言い切れないだろ」
「やめろ」
「むしろエスカレートしてくかもしんないじゃん」
「やめろ」
「強引にこられたらどうすんの」
「やめろって!」

勢いをつけて青山が俺の手を振り払おうとしたが、俺の握りこむ力の方が断然強い。痛みに一瞬顔を歪めて、次には悔しそうに顔を歪める。痴漢に強引にやり込められても、抵抗できないかもと立証してしまったのだ。

「な?だから俺が一緒のがいいだろ?」
「・・・くそっ」

力をゆるめた瞬間に振り払われたが、痛そうに手首をさすっている。

「悪い、でも心配してるんだよ、マジで」
「・・・なら、俺の尻はお前に任す」
「言い方な」

むすっとしながら一歩間違えば怪しくなる台詞を吐いた青山は、肩を怒らせながら改札口へ繋がる階段をズカズカと登って行ってしまった。
──ふ、と息をつく。
顔も知らない痴漢野郎に嫉妬心が燃えたのだと自覚しながら、自分の手を、青山の尻を叩いた手を眺めた。

やばい。

これはやばい。

その手をぎゅっと握って頭を振った。
雑念、煩悩、下心、とにかく飛んでいけと願わずにはいられなかった。


(ちょっとドキってしたとか、ありえねえ!)


俺、ちょっとやばいかも。




おわり

小話 106:2019/01/31

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