少女はかみさまの愛を希う
「好きだ」
吐息交じりにそう囁かれ、私とテスカトリポカの唇が重なる。ちゅっ、とリップ音を立てて何度も唇が触れ合い、思考が蕩けそうになる。どきどきと心臓が早鐘を打ち、私はどうしたってテスカトリポカのことが好きなんだ、という事実を突きつけられて苦しさのあまり涙が零れ落ちた。
テスカトリポカは私が好きだというけれど、その“好き”は愛玩の好きだ。ペットに対するじゃれあいの一つ。そうではない、と説得されたことはあったけれど、彼が私をそういう意味で好きになることなど絶対にないのだから。
神様が人間を好きになるはずない。神様と結ばれるなんてことはあり得ない。
ちゃんとわかっている。そもそもテスカトリポカとは文字通り住む世界が違うのだ。結ばれたところで別れが決まっている運命ならば、焦がれるほうが間違っている。それでも、いつのまにかテスカトリポカへの想いが溢れ出して、取り繕えなくなった。
「どうして泣く」
「わ、わかんない……」
嘘を吐いた。本当は全部分かっているの。すごく胸が痛い。テスカトリポカの愛を請う私が悪いのに。神様からの愛を欲するなんて愚かな感情を抱いた浅はかさに絶望してしまう。
――こんなにも近くにいるのに、こんなにも遠い。
「はあ……。また変なことを考えているな」
「そんな、こと」
「なまえはオレのことが好きなんだろう?」
「う、うん…………」
「オレも好きだぜ。――って、これじゃあオマエさんは満足できねえか」
「ち、ちがう」
同じ“好き”を求めている。同じ好きが欲しいの。テスカトリポカの好きは愛玩だ。だからこそとても可愛がってくれていることは分かるのだけど。
それ故に、どうしてもそれを私と同じ“好き”だと思えないのだ。そう思えてしまえば楽なのに。テスカトリポカが神様でなければ、こんなにも思い悩まなかったのだろうか。
――ううん、違う。テスカトリポカが神様かどうかは関係ない。神様ではあるけれど、テスカトリポカという男性に私は恋をしてしまった。心惹かれてしまった。魅入られてしまったの。
「まったく、強情だねえ。年頃の女の子ってのはみんなそういうモンか?」
「……っ、私を誰かと比べないで!!」
「煩わしいな。その体に教え込めば満足か?」
抱き上げられたと思ったらすぐに私の体はベッドの上に沈む。また、抱かれてしまう。好きな人に抱かれることは本当に幸せなことだと思うのに、どうしてこんなにも不安になるのだろう。
私は私なのに。テスカトリポカには私を誰かと比べてほしくなかった。テスカトリポカには私だけを見ていてほしかったのに。そんな傲慢な気持ちが私から漏れ出たことにショックを受けた。こんなにも醜い感情を気づかれたくなかった。あなたを独り占めしたいなんて、こんな図々しい私がいる事を知られなくなかった。
片思いが一番楽しいと誰かが言っていたけれど、心が通わなければただ辛いだけ。愛していると、好きだと言ってくれても、何度この体を重ねても、この痛みはきっと永遠に晴れる事はないだろう。
「こんなにも、好きなのに……っ、大好きなのに、テスカトリポカ……」
「ああ。可愛いオレのなまえ。オレも愛している。何度でも伝えてやろう。このテスカトリポカの愛を教えてやろう」
唇が重なる。擽るように舌で舐められて思わず口を開ければ、我が物顔で彼の舌が入ってきた。少し怖くて舌を引っ込めれば許さないと言わんばかりに追いかけられて、何度も舌を絡め取られる。
口端から零れる甘ったるい吐息のような声は、本当に自分のものなのか疑ってしまうのだ。異性とは縁遠かった私は、色恋の全てをテスカトリポカに教えられている。こういう大人のキスだって初めてだった。息の仕方さえ分からず、混乱してしまったの。何も知らない私を導いてくれたのは、間違いなくテスカトリポカだ。
その大きな手はとても優しく私を扱ってくれ、そのまなざしは熱を帯びているというのに、柔らかく私を見つめてくれている。目の前のテスカトリポカのことしか考えられなくなっていく。ふわふわと、思考が蕩けてゆく。
テスカトリポカの右手は私の頭や頬を愛しむように撫で、左手は私の右手を絡めるようにして繋いでくれていて。じんわりと体中にテスカトリポカの熱が入り込んでいく。
「ごめんなさい、好きになっちゃって、ごめんなさい」
「……は? おい、何と言った、今」
「テスカトリポカを好きにならなかったら、こんなにも醜い私を見せずに済んだ……んぅ!?」
「いいか、二度と言うな。なまえがオレを好きにならないなどあり得ないことだ。こんなにもなまえの心臓はオレを欲して躍動しているというのに。それに……ははっ、いや、なまえからの嫉妬は初めてだと思ってよ。嬉しいぜ」
「嫉妬……?」
「そうだ。オレが他の女の話題を出したことが嫌だったんだろう? 人間の嫉妬は醜いばかりだと思っていたが、悪くねえ。なまえの頭がオレで埋め尽くされるのは愉快だ」
嫉妬。……そっか、私の醜い感情は嫉妬と呼ばれるものだったのか。こんなにもぐちゃぐちゃになりそうで、テスカトリポカに当たり散らしたくなるような暴発的な感情。それさえもテスカトリポカは許してくれるというのか。大らかというか、私のことなどどうとでもできると思っているのか。
「……テスカトリポカ、好き、なの。好きでいていいの……? 私、こんなにも好きになっちゃったら、溺れちゃう」
「ヒュウ! いいねえ! 最高じゃねえか! テスカトリポカに溺れるヤツは星の数ほどいたが、このオレが、黒いテスカトリポカが見初めた人間はオマエが初めてだよ。なまえ」
そう言ったテスカトリポカの顔が、とても美しくて思わず呼吸が止まった。まるで時間が止まったかのように私はただただ、テスカトリポカを見つめ続ける。
「命短し恋せよ乙女、だったか? 存分になまえはオレに恋をすればいい。オレを慕えばいい。捧げられた分はちゃあんと、返してやるぜ? その体にな」
「テスカ、トリポカ……」
もう、離れられない。もう、この恋を捨てられない。
優しく心臓のあたりに唇が落とされる。ああ、食べられちゃった。全部、全部テスカトリポカに侵食されちゃった。……テスカトリポカがいないと、生きていけなくなっちゃいそう。
――溺れて溺れて、もうあなた以外見えなくなってしまいたい。
テスカトリポカの長い指先が私の肌をなぞる。体を重ねる事はまだ少し怖いけれど、あなたに恋をしている私は、抗うことを許されないのだ。