世界が終わった日


母親曰く、私が生まれたときから能力と呼ばれるものが備わっている「紋章」が体に現れていたらしい。しかし、それが現れて生まれたのは何も悪いことではない。
私が住む、イギリス郊外にある世間的にはスラム街と言われているこの街は暴力や犯罪が絶えない。魔物という凶暴な生物もこの近辺では現れることがある。そんな中で生きるために、力が必要だから。と母親はよく言っていた。

母親は能力を持っていなかった。だから、能力を持って生まれた幼い私によく「守ってくれ」と泣きながら懇願されたのをよく覚えている。

始めに使えたのは水を操る能力で、母親は汚い泥水を飲んだり水分不足になったりする必要がなくなったと喜んだ。
次に使えたのは電気を自在に作り出せる能力で、家の中の電気を使う全ての物使うとき母親は私に能力を使うように言った。
三つ目に使えるようになったのは、毒を人に浴びせられる能力。

外を歩けば、すぐに暴力が見えるこの世界。買い物をして帰る時は、購入した物全てを家に持ち帰れるなんて稀な話。だから、母親は必ず私をつれて出歩いた。
凶暴な人間に襲われたとき、私はその人間を数秒も経たないまま気絶させることが出来たから。


「フィオナは、私の為に生まれてきたのよ。だから、その力と命は私の為だけに使ってね」


毎日呪文のように聞かされる言葉。それが普通だった。それが私の世界だった。

私に世界を教える人は母親だけだったから、母親が私にとっての世界。母親の役に立って生きることが、私が生まれてきた意味だと信じて疑わなかった。


そんな世界は、簡単に崩れてしまった。


その日は、母親と出かけていた。いつもより一段と外が騒がしく、あまり出掛けたくはなかったが、もう何日もまとものな物を口にしていないから仕方なく。と母親は何度も口にしていた。
そして何があっても、守ってくれるようにと何度も何度も私に言っていた。その度に、私は頷く。

後もう少しで帰宅できる。その時、突然どぉんという爆発音。その音は建物内でなら聞き慣れていたけれど、外で聞いたのはあまりなかった。どこかで小さなテロか大きなグループの対立。………それか、魔物の出現。そのどれかの合図のような物だった。
さぁ、と青ざめる母親。早く走りなさい!と声を荒げて私の腕を引っ張った。

「………あっ」

脚がもつれ、母親の腕が離れて私は地面にたたき付けられる。慌てて振り返った母親は、怒りながら早く立てと怒鳴りつけた。だけど、ここ何週間か食べ物を食べていなかったから、力が入らず上手く立ち上がれない。
目に涙を浮かべながら、必死に立とうとする。その私の目に、母親の後ろから大勢の人が逃げ惑うのが映った。

「お、かあっ、さん」

後ろ、という単語を言う前にその人々はこちらに向かってきた。立ち上がろうとしていたけれど、それを止めて頭を伏せる。
何人もの人が私を跨いで走っていく。時々背を踏まれたり蹴られたりしたけれど、必死に人の波がいなくなるのを耐えた。

数十秒じっとしていたら、辺りは一気に静まった。頭をゆっくりと上に上げる。
誰もいない。母親も、誰も。目の前には母親が買った食品達が人の足跡だらけになってちらばっているだけだった。

力の入らない体で必死に立ち上がり、ふらふらと体を揺らしながら大勢の人が走っていった方向に向かう。


数百メートル歩いた先に、スラム街の人と警察の様な人達がいた。殴り合い、蹴り合い、時々発砲の音が聞こえる。相手が警察と言うだけで、日常のような光景だったけれどスラム街の人々はいつも以上に興奮気味で何かに怯えているようだった。

乱闘に巻き込まれないように気をつけながら、母親を捜す。きょろきょろと周りを見渡し、時々気が触れたような人が襲いかかってきたけれどいつも母親を守っているときと同じように能力を使って気絶させて、また母親を捜す。
あちこちに乱闘に巻き込まれたであろう人が倒れていて、恐らく、何人かは死んでいる。

「……あ…!」

その倒れている人の中に、見慣れた母親の姿を見つけた。残った体力を振り絞り母親に駆け寄った。

母親は口から血を流していて、あちこちに蹴られたり踏まれたりした跡があって……。目も当てられないような酷い有様だった。乱闘に巻き込まれてしまったんだ。

「………フィオナ…?」
「お、母さん……!」

うっすらと開かれる母親の目。死んでいない、生きている。
目からは次々と涙がこぼれ落ちる。死なないで。と言いたいけれど混乱して母親を呼ぶことしか出来なかった。

どうしたらいいのか分からず、ただただ泣いていたら母親の手がゆっくりと私に伸びてきた。私はその手を握ろうと涙で濡れた自分の手を伸ばした。


母親の手は、私の手をすり抜けてがっと首を絞めてきた。

「アンタのせいで……アンタが転んだりなんかするから……!」
「……お、か……さ…っ」

母親に力はもう残っていないけれど、子供の私にとって大人の母親の手が首を覆うだけでぎりぎりと締め付けられる。
母親の表情は、ただ、怒りに満ちていた。

「アンタは私を守らせる為に産んだのに……能力なんてもってなかったら今頃捨てていたのに……!なのに、こんな時に、何も出来ないなんて―――!」
「…く、るし……お、かあ……さ……っ!」


「―――役立たず…!」


母親はその一言を吐きだした瞬間、ぷつり、と何かが事切れた。
私の首を絞めていた手は、力なく重力に任せて落ちていった。大きく咳き込んで、息を吸って、無くなりかけていた酸素を必死に肺に入れ込む。


動かない母親、喧騒する周り。だけど、私の耳には何も聞こえてこない。

ただただ、母親の声が頭の中で繰り返される。




−−−役立たず……




何かが、崩れ落ちる音が、聞こえた。


騒ぎの原因は、魔物の出現だったらしい。今まで出てきた場所より、ずっと住宅街に近い場所から現れたそうだ。

乱闘は騒ぎを聞きつけた警官達が駆けつけたのだけれど、混乱した街の人が警官を傷つけたことが原因。それが火種になって乱闘になったようだ。
乱闘が起こる理由はいつもとさほど変わらない。人が死んでしまうのもいつもと変わらない。


そう、大きな世界は、何も、変わっていない。






それから数日。
何も口にする気も起らない、何をする気にもならない。日に日に体が衰えていくのは分かる。

けれど、母親がいなくなった私の世界は、一体何をしたらいいのだろうか。

何度も、何度も母親のあの言葉が脳内で繰り返される。

母親の役に立つために生まれてきた、私は、一体、どうしたら。


ふらり、と自分の意思ではないように体が動いた。世界がグルグル回る。どこに向かっているのだろうか。自分で歩いているはずなのに、向かう先がさっぱり分からない。

何十、何百メートルも歩いた先は、誰も住んでいない壊れかけた家達が並ぶ元住宅街。
スラムに住む人々でさえ一切近づかない、魔物が現れる場所。視界は回っていたけれど、それだけは確認できた。
私の足は、ぐんぐんと奥へ進んでいく。

突然、耳に入ってきた地を這うような声。

びくり、と体を震わせそちらの方へ顔を向ける。

「……!」

鋭い牙に、大きな爪、四本の脚で立ち、体は全体的に黒くて、私より数倍も大きい。人間を抜いた犬や猫、鳥や魚以外の生物を見たことがない私だけれど直感でそれが何か分かった。
魔物、だ。

喉を唸らせながらゆっくりと私に向かってくる。
怖い、はずなのに、体は逃げようとしない。恐怖で固まっている訳じゃない。逃げる気がないんだ。と、まるで自分の体を誰か別の物のように考える。


世界が崩れてしまった私は、生きる方法が分からない、から。


動かない私だけを見つめ、魔物は飛びかかってきた。大きく開かれた口。爪と牙が、一直線に私に向かってきた。

私は、ただ立ち尽くした。

「――――あ……」


突然、どぉんと耳につんざく音が鳴り響いた。それと同時に、地面が揺れて私の目の前に岩の壁が現れて魔物が視界からいなくなる。私は驚きと混乱にバランスを崩して、地面に倒れ込む。

けれど、地面にたたき付けられる衝撃は一切無く、私の体は何か別の物に受け止められた。

『大丈夫か?』
「え……?」

聞いたことのない言葉を投げかけられる。それでやっと私を受け止めたのが人であることに気付いた。
見上げると、スラムに住む黒人とはまた少し違うけれど濃い色の肌をしていて、目は黒い物をかけていて見えない。誰だろう、どうして、こんな所にいるのだろう。

どうして、私はまだ死んでいないのだろう。

混乱している私を見て、その人は「ああ」と小さく呟いた。

「すまない、日本語だと聞き取れないか」
「…………」

今度は聞いたことのある言葉だった。けれど、「ニホンゴ」というのが理解出来ない。きっと、先ほどの聞いたことのない言葉のことなのだろう。
脇の下に手を回され、ぐっと抱き上げられる。誰かに抱えられるなんて、まだ私が歩けなかった頃移動するとき母親にされていた時以来だった。

近くなった顔が、じっと私を見てくる。黒い物で遮られているけれど、真っ直ぐ私を見ているのは分かった。
人に真っ直ぐ見られるのも、母親以外今まで無かった。思わず、俯く。

「何故こんな所にいる?」
「………死ぬために……」
「………」

私の返答に、その人は何も言わなくなった。

死ぬため。そう、私は、世界が崩れたから、死ぬために、きたんだ。
だけど、どうしてだろう。ほっとしている。死んでいないことに、安堵しているし、見知らぬこの人に抱きかかえられていることに、安心している。

ガラガラと何かが崩れる音に、びくりと体が揺れた。それは私の中で鳴った音ではなくて、先ほど突然現れた岩の壁が崩れる音だった。

崩れた壁の先には、魔物はあちらこちら切り刻まれている姿で倒れていた。その横に、一人の男性が見たことのない刃物を持ってそこに立っている。
男性は、眉間に皺を寄せながらぎろりとこちらを睨んできた。

『いきなり俺に魔物を任せたなんてふざけたこと抜かしたと思ったら……。なんだ、その餓鬼は』
『……そこの魔物に襲われていたようだったから保護したのだが…』

再び聞いたことのない言葉が飛び交う。
何を話しているのだろうか。こんな、死に損ないを助けて、彼らには何か意味があるのだろうか。私は、どうして生きていることにほっとしているのだろう。生きていても、何も、出来る事なんてないのに。

頭が割れるように痛い。見えている世界が歪む。

私は、一体、どうしたら……………。


そこで、私の何かがぷつりと事切れた。








「…………ん…」

雀の声に誘われるように、目が醒めた。寮の綺麗な天井が目に映る。ぼんやりする頭を抑えながら柔らかい布団を体から離しむくりと起き上がる。

随分と、長くて、懐かしい夢を見ていた気がする。そう、私の世界が変わった、あの日の夢。

「あの後……」

あの人に助けられて気を失った後、私は病院にいた。真っ白な部屋と鼻につく薬品の匂いを今でも覚えている。腕には、栄養を直接体に入れるチューブが取り付けられていた。
何が起ったのかよく理解出来ていなかったのも覚えている。呆然としている私の元に、看護婦が訪れて、栄養失調で危険な状態だったとか、住んでいる場所はどこなのかとか、色々言われたんだ。

その病院は、魔物に襲われた一般人の為の病院らしく、私はとある学院生に連れてこられたと告げられた。

それが、あの人だ。

ただ、そこに運び込まれるのはあの私の母親が亡くなった騒動の時から何人も増えていて、いつ誰が連れてきたという情報は詳しくは残っていなかった。
だから、その時分かった情報は「学院生」ということだけだった。


そして、私の目が醒めたときに渡すように言われていた手紙を看護婦から受け取った。恐らくあの人が書いたであろう手紙。今でも大切に、大切に持ってある。

「人生は、己が決める物だ。だが、自分を粗末にするな……」

手紙に書いてあった言葉を、口に出す。その言葉全てが、私にとっての救いだった。

あの時の私は、人生を、世界を、自分で決めていいと、誰かに言われるなんて思ってもいなかったから。
粗末にするな、なんて、言われたこともなかったから。

「……あの人に、会いたい……」

会って、一言、言いたい。

一度私の世界の全てに、役立たずと言われたこの私に、新しく世界を決めて良いと言ってくれた、貴方に。


私なんかが会っても、迷惑かもしれないから、せめて、ただ一言だけでも。


ありがとう、と。


生きる意味を見つけたあの日から、
今日も、貴方を捜す日が始まる。

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