課題


真っ白い部屋には、病院独特の薬品の匂いが漂っている。半日以上そこにいた俺達の服や体にはその匂いが染みついていて、鼻が慣れてきたせいか逆に漂っている匂いを何も感じなくなってきた。
でも家に帰ったら母さんにくせぇとか言われそうだな、とか怪我のこととか、なんか色々言われるんだろうなぁと思うと割と憂鬱だった。

「……おい…おい!五十嵐、寝ているのか!」
「起きてます!すんません!」

でも、正直今の状況よりは母さんに色々言われてる方がまだましだと思う。

日にちはあの廃墟の病院で魔物と戦った次の日、時間はあと数分で学院では昼休みが始まる時間、場所はフィオナが入院することになった個室の病室。
状況は、ベッドにいるフィオナを除いて、俺達チーム五十嵐は床に正座。日本人じゃないレティなんかは正座の姿勢を保つのが慣れてないから辛いのか、すげえぷるぷる震えている。
頑張れレティ、足がしびれ始めたらそんなもんじゃねぇぞ。

そんな俺達の前には、仁王立ちして、ご立腹な様子の櫻井先生。
櫻井先生といえば一年の頃から魔物の生物学の授業の担当で、学院の第一期生だとか、片目片腕がないのに実はめちゃくちゃ強えとか、なんとか。普段はそんなに感情が表にでそうにもない顔をしながら授業をしてんのに、今日は完全に怒ってるのが分かる。
つか怒ってなかったら正座させられねえよな、うん。

フィオナの捜していた人……テオドールさんと再開した昨日の夜、俺達も疲れていたしそのままフィオナの個室で3人とも寝てしまっていた。
全員が目が覚めた時はもう昼手前で、午前の授業は完全にさぼってしまった。まあ午後からちゃんと出るかって話しになっていたところで、少し雑談していたら、いきなり部屋に櫻井先生が入ってきて、正座をしろと言われこの状況だ。

はぁ、と櫻井先生がため息を漏らして俺達はすこしびくつく。

「……怪我をした者は」
「…え、」
「怪我をした者はいないかと聞いているんだ。フィオナはカルテを見たが、3人は救護班に治療されただけで俺は詳しくは知らないからな」

怒鳴られるとか、最悪殴られるとか、そういうことが来ると思っていた俺からしたら完全に拍子抜けというか、呆気にとられるしかなかった。
怪我……フィオナは能力の使いすぎで倒れただけで、特にこれといった怪我はしていないし、レティも淳史も玲央達と一緒にいたお陰でもう絆創膏だけで済む程度のかすり傷しかしていない。
特にないです、と言おうとした。その俺よりも先に、言葉が飛ぶ。

「な、那智が…手に怪我を、しています…」
「那智、貴方背中に結構な怪我をしていたのではなくて?」
「おい那智、お前足火傷してただろ。あれちゃんと治療してもらったのかよ」
「なんだよお前等!」

3人同時に名前を呼ばれてしかも全員別々の怪我の場所を言われて、思わずでかい声をだす。
心配してくれてんのか、櫻井のことを俺に押しつけようとしてんのかどっちだこいつら!いやこいつらなら心配の方だとは思うけど別に今わざわざ怒ってる櫻井の前で言わなくてもいいだろ!

全員を見渡すように言っていた櫻井先生の視線が3人の発言のせいで俺だけに集中した。
まるで授業で当てられた時のように「五十嵐、立て」なんていつもの口調で言うから、小さくはい、と返事をしてから正座を解いてその場に立つ。

片方しかない櫻井先生の目がじっと俺を見る。何怪我してんだとか、次こそ怒鳴られるんだろうな…。

「傷は痛むか?」
「え、…いえ……手と背中は、怪我してすぐに治療してもらいましたし、足の火傷も俺が能力使いまくって軽く出来ただけなんで、跡にもなりそうにもない…です」
「そうか」

安心したような表情をして、それ以上は何も言ってこない櫻井先生。
……ん?いやいや、待て待て。流石に待て。

「怒らないんですか!?」
「何だ、怒られたいのか」
「いや、怒られねぇならそれで嬉しいです……けど…」

怒られないのは怒られないで不気味というかなんというか。
というか、あんだけ怒ってるオーラ出しといて怒らねえとか言われても拍子抜けだし、俺達もさっきの雑談で確実に怒られるだろうなとかそういう話をしていたから、余計に。
不気味だと思っている俺をよそに、櫻井先生は壁に立てかけてあったパイプ椅子を持ってきて、器用に片手で広げて俺たちの前に座った。

「イグレシアスも京極も、立つか足崩していいぞ」

そういわれて、レティと淳史は立ち上がった。俺は正直床に座りたいけどここでじゃああぐらでもかいて座るか、なんてする勇気は生憎持ち合わせていない。

「……那智も言いましたけど、怒らないんですか先生」
「あー?なんだお前等、そんなに怒られたいのか」
「私達はそういう対処をされるべき行為をしましたわ。何故叱りませんの」

今度は逆に俺達が尋ねる番になっている。ベッドにいるフィオナもレティや淳史に同意するように首をうなずかせている。それに怒られなければそれで嬉しいのは確かだけど、俺も同意見ではある。
よっぽど緊急の場合とかでなければ、俺たち未熟な学生が魔物と戦うなんて言語道断。そりゃ学生の中にも団員並みに戦えるやつはいるらしいけど、俺たちなんかはまだ二年目だ。
危険な魔物との戦闘なんて試験か……ついこの間、演習でいきなり出てきたでかい植物の魔物ぐらいの、指で数える程度にしか戦ってない。
そんな俺達が、偶然居合わせたとかでなく、自ら魔物のいる場所に飛び込んでいったんだ。こんなの怒られるに決まってる。……のに、怒らねえから、そりゃこんな風にもなるぞ先生。

「こういうことする奴等全員お前等みたいな素直なチームなら苦労しねぇのにな」
「…?どういうことですか先生?」
「そういう、もう反省してる奴等ばかりなら俺もこうやって怒らずに終わるからいいって話だチーム五十嵐。反省しない馬鹿共なら怒鳴るつもりでいたが、お前等は元々授業態度も悪かねぇし、怪我を隠すような愚か者じゃないしな。
それに、あの討伐に向かった団員達からお前等のことをそんなに怒るな、叱るな、反省してるだのと複数人から何度も言われたらこっちも怒る気が削げる」

はぁ、と額を抑えてため息をつく先生。
どうやら俺達がどうして魔物の討伐に飛び込んだかの理由とかも、ここに来るまでに会った団員の奴等に言われて、もう俺達に聞く気も失せたとのことだった。
会ったのが優しい奴ばっかでよかったな、と櫻井先生に言われてこれは本当に同意する。櫻井先生にそんなこと言うとしたら、俺が出会った人達の中なら玲央と郁さんと……救護班で来ていたあの赤い頭巾の赤羽さんとか、その辺だろうな。
フィオナもそういうことを言いそうな人に心当たりがあるのか、納得したように頷いていた。そういやフィオナのこと滅茶苦茶心配して大騒ぎしていた赤い髪の女がいたな、あの人も櫻井先生にそういうこと言いそうだな。

「……だけどな、五十嵐。これだけは言っておくぞ」

先生が部屋に入ってきた時と同じような、ぴりっとした空気が張り詰める。先生の声のトーンはさっきよりもかなり低くて、威圧感がある。
座っていた櫻井先生は立ち上がって、手に包帯を巻いている方の俺の手を掴んだ。

「怪我の理由は何も問わねぇ、でもな、この腕が、手が吹っ飛んで使い物にならなかったらお前はどうするつもりだった、五十嵐」
「……っ」
「俺は怒ってるわけでも、脅してるわけでもねぇ。確認しているんだ。この腕が吹っ飛んで、その火傷した足の感覚がなくなって、背の骨が折れていたらお前はどうするつもりだった。生きていても満足に動けない身体だから学院をやめるか、それとも続けるか」

掴んでいる手はそんなに力は込められていない。振り払おうとすれば、簡単にその手から離れられるぐらいの力だった。
だけど、俺は櫻井先生の縫い合わせてある片目と、何も通されていない片方の袖に目がいって動けなかった。
もし、俺の腕がなくなっていたら、とか考えてもなかった。生きて帰るとは思っていたけど、死ぬか、生きるかぐらいにしか考えていない自分は確実にいた。

「……分かりません、考えてなかった…です」
「…そうか、素直で大変よろしい」

腕から手を離されて、ぽんっと頭を撫でられる。
大変よろしい、の言い方が少し馬鹿にしたというか、冗談っぽい感じで言われて割と驚く。そんな言い方するのかこの先生。
先生は俺の頭から手を離して、またパイプ椅子に腰掛ける。ぎぃっと椅子がきしむ音が静かな部屋に響く。
開けていた窓から風が吹き込み、カーテンが揺れる。それと同時に、カーテンと同じように先生の服の袖もゆらゆらと揺らいだ。

「…先生は、腕と目がなくなって……戦うのを、辞めたんですか」

思わず、聞かざるを得なかった。

「ああ、自分が未熟だって分かっていなかったからこうなった結果だ。
それに俺が義手も義眼も使わないことで、魔物を甘く見てる未熟者がこういう結果になるってお前等後輩によく伝わるだ。まあ…俺の時代は義手や義眼なんて今と違って討伐するのに使えたもんじゃなかったから付けなかったってのもあるけどな」

自身の何もない袖を、片方の手で握りしめる櫻井先生。
もしこれが、自分の立場だったら、俺は後輩のためになんて言って腕と目を失ったまま生きていこうとか思うことが出来るのか…なんて、分からない。分からないけど、……いつかは、そういうのも考えながら討伐団になるって言えるようになった方がいいんだろう。

沈黙が部屋を占める。少し、空気が重い。普通に怒られるよりも、正直色々とくるものがあった。
少しうつむいていると、ぎしっと椅子がまた軋んだ音がして顔を上げる。先生が立ち上がって、俺達を見ていた。

「さて、辛気くさい話はここまでにして楽しい話をしてやろう」

ばさり、と先生が何か紙を取り出した。
櫻井先生が楽しい話、と言っているが正直あのA4の白地にシンプルに文字が羅列してあるプリントには嫌な予感しかしない。ていうか文字が少し見えている。絶対あれだ、好きな生徒なんてほぼいない寧ろ誰もが嫌いな奴だ。

「チーム五十嵐、特別追加課題の説明だ」
「怒らないんじゃなかったんですか!?」
「馬鹿野郎、それとこれとは別だ。勝手に乗り込んで討伐の邪魔をしたお前等に罰があるのは当たり前だろ」

思わず声を荒げて反抗してみたがいつも通りの、授業での声色と少し冷めてる様なテンションでばっさりと返された。
いや、正直課題はあるとは思っていた。思っていたけど怒らねえしなんか話がそういう話題にならねぇからもしかしたらないのかなって期待させやがって!つか楽しい話でもなんでもねえ!!寧ろさっきの話のがましだ!

「先に口頭で説明するがプリントに書いてあるからメモは取らなくていい」
「教室じゃないのでメモするものありませんよ先生」
「……生徒に説明するときの癖だ、そこは流して聞いとけ京極」

変な軽いコントみたいなことしてんじゃねえよこいつら。
こほん、と咳払いして仕切り直す櫻井先生。

「1つ目の課題は、戦った魔物生態のレポートだ。文字制限も形式も特に指定はしない。見た目の形状や動き、戦っていてどういう弱点があったか、逆に耐性があったか、気付いたことをまとめてこい。形式は指定しないと言ったが一般人のような感想や適当な一言ですませたら提出し直しだからな。
2つ目の課題は、今回の討伐を振り返って自身の反省点や今後の戦闘の改善点だ。出来れば団員とどう違ったかの比較も書いてこい。これは形式も文字数も特に指定はしない。箇条書きでも構わないからな。
3つ目の課題は、この一週間チーム五十嵐には実習や対抗戦等の戦闘に関する授業は全て見学してもらう。見学中、実習授業での重要性、及び自分と他のチームや人物の動きを比較たレポートをまとめるのが課題だ。実習の授業は1つ以上選んで授業名も記入、対抗戦は見学したチームの名前と対抗戦の日付の記入。こちらも1つ以上の試合で上限は特にもうけない。この内容が含まれていて、且つ2000字以上が最低条件だ」
「に……っ!」

2000字とかまじかよ!と叫びたくなったが何か文句あるか、と言いたげな無言の圧力をかけられて、何でも無いですと首を振る。最初の2つは文字数が特に指定されていないからまだいいけど、2000字は流石にきつい。原稿用紙が確か一枚400字だからあれの5枚分ってことだろ。そんなにレポート書くのが得意じゃない俺にとっては気が遠くなりそうな話だ。つか俺よりもフィオナだろ、あいつそんな長文の日本語まだ書けねえぞ。
すっかり気が落ちている俺を他所に、提出は来週なと告げられ、さっきの内容がそのまま書いてあるプリントを俺、レティ、淳史に配る櫻井先生。

残り一枚を残して、フィオナの方を見た。

「フィオナ、理由は何であれ今回の騒動の原因はお前には変わりないからな。先ほどの3つに加えてさらに追加課題を用意してある」
「え、あ…は、はい……!」

まじかよ、これだけで相当つらいのにまだあるのかよ、絶対手助けしないと来週に終わるわけねえぞあいつ。
フィオナを連れ出したのは俺だとか、流石にそれはないんじゃないか、とか言いたいところだけど、多分この先生に言っても言いくるめられるだけだし、フィオナも課題を聞き取る体勢になっているから、今回は口出しをしないで見守っておく。
その代わりに絶対手伝おう。……寧ろ俺が手伝って欲しいレベルだけどな。

櫻井先生は紙をフィオナに渡すのかと思えば、また別の物を取り出した。
俺が見ている角度からはよく見えないけど、多分30cmぐらいの、茶色い棒状のもの。…杖のような物だった。

「まず、これを受け取れ」
「…あ、あの…これは…?」
「杖状の増幅器だ。先端には黄の宝石がついてあるので、黄色の増幅器だな」

やっぱり杖で間違いが無かった。
フィオナはおそるおそるというようにそれに手を伸ばして、受け取る。黄色の宝石の、増幅器。課題だと言っているのに何でそんな物を渡すのか俺には少し理解出来なくて首をかしげる。フィオナも同じように、不思議そうにそれを眺めていた。

「……それは、元チームフォックスの3人と、フォックスと行動しているジュドという男からの餞別だ」
「え…!」
「その先端の宝石は、お前が倒した魔物から取り出した物だ。フォックスの連中から魔物を倒した本人が持つべきだと言われたが……俺もお前が持つべきだと思っている。受け取って、それを使いこなすようにするのが課題の1つだ」
「………ありがとう、ござい、…ます」

フィオナは、ぎゅっとその杖を握りしめた。
少し、目元に涙を浮かべながらだけど表情は嬉しそうで、少し、俺も嬉しくなってくる。フィオナの実力がちゃんと認められた気がして、それで認められたことを素直に受け止めるフィオナがいることが、なんか、嬉しい。
そんなフィオナの頭を櫻井先生が少しくしゃり、と撫でてから「さらにもう一つ」とまだフィオナに課題があることを知らせる。

「フィオナ、退院は明日で間違いないな」
「あ、はい…そう、です」
「なら、もう一つの課題は明日からでいい。明日の放課後から…知り合った討伐団員の元に行って指導してもらえ。授業は見学だが授業外の特訓等は特に規制しない。
しかし向こうの都合もあるからな、週に1度で構わない。指導された次の日に俺に報告に来るのを半年以上続けるのが課題だ。といっても交渉するのも大変だろうからな、最初は俺が元チーム結城……テオドールと結城弥都がいるチームに声をかけてみる」
「えっ、……え?」
「まあ向こうが承諾するかは別だがな、了承がもらえ次第連絡する。六月いっぱいまでは交渉は俺がしてやるから、その後は自分で交渉してお前のコミュニティを広げろ」

分かったな、と言って、課題のプリントをフィオナに渡す櫻井先生。それを受け取りつつも、追加の課題の内容と、先ほどでた名前……テオドールさんの名前に、驚きを隠せないフィオナは困惑の表情を隠せていない。
驚いた表情から、段々理解が出来てきたフィオナは、俺から見ても泣きそうなのを必死にこらえているのが分かる。

「さ、櫻井せん、せい…ありがとう、ござい、ますっ!」
「課題出して礼を言われるなんざ、珍しいこともあるもんだな」

それでも泣かずに、あまり聞いたことのないような大きな声で、震えながら礼をいった。フィオナの追加の課題は、課題と言うよりは、頑張ってきたフィオナへのプレゼントみたいだな、なんて少し思う。
先生は、少し目を伏してあまり見たこともないような、優しい表情で笑っていた。この先生こんな表情出来るんだなって、俺今日何回思っただろ。

「さて、課題の話も大体終わったし俺は先に学院へ戻る。フィオナ以外午後の授業はでられる分は出席しろよ、連絡も無しにチーム全員いねぇからって心配していたやつがちらほらいたからな」

そう言って、櫻井先生は病室を出て行った。
ばたん、と扉を閉められて廊下を歩く足音が段々と遠くなっていくのを確認して、全身から力が抜ける。

「っはぁー!やっと帰った!!こええよ櫻井先生!なんか優しかったけど!」
「そうですわね……もっと叱られて、それこそ最悪停学処分は覚悟していたのですけれど」

その場に座り込むと、レティと淳史に行儀が悪いと言われたがしょうが無いだろ立ちっぱなしの緊張しっぱなしで割ときつかったんだからな!
フィオナが淳史を呼んで、課題の内容を再度確認し始めている。やっぱり最初の方の課題はフィオナには難しいよなあ。と思っていたらフィオナのプリントにだけ英語記入可と書いてあったみたいで、なんだよなんか甘くねぇか先生。

もう少し課題やらフィオナの追加の方の課題やら、増幅器の話をしたいところだったけど時計を見てみたら学院の昼休みの時間はもう終わりかけの時刻を表していた。
とりあえず、放課後また見舞いに来るからと俺達はフィオナの病室をあとにして急いで学院に向かう。

心配していた奴ら、というのを思い出して、自分の包帯に巻かれた手や淳史やレティの絆創膏を見て、ああ、きっと色々聞かれるんだろうなと思うとちょっと気分が重かった。

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