笑顔


ああ、私はどうなってしまったんだろう。ゆらゆらと体が揺れて、少し頭が痛い。もしかして、私はあの人にも会えず、彼をただ悪戯に連れ回して危険に晒したまま、何も返せずに死んでしまったのだろうか。
死んでしまったのなら、私は今はどこにいるのだろうか。もしかしたら、お母さんの元にいけるのかもしれない。

今、目を開けたら、もしかしたら、お母さんがいるかもしれない。
まだ頭痛が続くけれど、あの懐かしい顔を思い描きながら、ゆっくりと瞼をあけてみる。

目に映ったのは−−淡い期待を描いていた、母親の姿はどこにもない。
目の前にはな綺麗な赤色が広がっていた。ゆらゆらと揺れるその赤は透き通っていて、吸い込まれてしまいそうな程の鮮やかさ。例えるなら、まるで宝石が放つような赤色だ。

「ここ、は……」
「あ!キリくん美樹さん!目が覚めたようです!!」

広がる赤色が、誰かの髪の色だと判断出来るようになったのはその髪の主の声を聞いて、やっと理解できた。声と、体型からして、この人は女性なんだろう。
どうやら私はこの赤色の髪の人に背負われていたようで、まだぼんやりとした視界に思考が少しずつ追いついていく。ゆらゆらと揺れていた体は、背負っている人が足を止めると同時に揺れるのも終わった。

どうやらここはまだあの建物の中のようだけれど、先ほどまでいた場所とは全く違っている。外の光は見当たらずに、足元だけぼんやりと薄暗い電気がついているだけの、少し気味の悪い通路だった。
赤い髪の女性が誰かに声をかけると、まだ少しぼやけている視界でも誰かがこちらに近づいてくるのが分かった。

「お、本当だねぇ。大丈夫かい、意識はしっかりしているなら返事しておくれ」
「あ、はい……だい、じょうぶ…です」
「本当ですか!大丈夫ですか!!ガーネも元気なお顔みたいです!」
「わ、わわ…っ」

背負っていた人は突然、首を背負っている私の方にぐるりと回そうとしたが、その声に驚いて変に力が入ってしまい、体がぐらつく。
私の体がぐらついたことで背負っている人もバランスを崩しかけたようで、支えてくれていた腕から足が離れるのを感じて、ぐらり、と重心が後ろに傾く。

これは、背中から倒れ込んでしまう。衝撃に耐えようと、反射的にぎゅっと目をつぶった。けど、頭から落ちる感覚も背中に衝撃もなく、なにか柔らかいものにぽすり、と私の体は収まった。それはまるでクッションというか、植物の真っ白な綿そのものだ。

「キリくんセーフ!セーフです!ナイスアシストです!」
「です、じゃないガーネ」
「はっ、そうです!ごめんなさいガーネちょっと顔みたかっただけなんです!」
「それでまた気絶させちゃあ元も子もないねぇ!ちゃんと反省しなよ〜」

私の意識を確認してきた女性が、ケラケラと笑いながら、私を背負っていた女性の頭を乱雑になで回している。それに嫌がる様子はなく、赤髪の女性は嬉しそうに笑いながらすみませんと謝っていた。
私を包んでいるクッションのような綿のこれは、今これを支えている男性が能力で出したのだろうか。それは、まるで私に合わせて成長したかのような、大きさで、先ほど収まった時も落ち着くほど私の体型に合わせて少しへこんでいるようだった。

「あ、の…これは……」

綿を持っている男性に、これは何かと聞いてみる。すると、男性は少し驚いたというか、きょとんとした表情を返してきた。

「これはって。アンタ、これの中で気絶してたよ」
「え、」
「そうです!ガーネ達が歩いていたらとっても大きな崩れる音がしたのですよ!急いで向かったら天井に大きな穴が空いていてそこにこの大きな綿があって、貴女がその中にいたんです!びっくりです!」
「今の反応だと落ちたときに自分の能力で耐えた……って訳じゃなさそうだねぇ」

中で気絶していた、天井に大きな穴、大きな綿……植物……。色々といきなり入ってくる情報に頭が少し混乱しそうになりながらも、頑張って頭の中でつないでいく。
そうだ、確か私は、魔物に襲われて、床に穴があいて、落ちて……それで…。それで、この、綿に助けられた……?どうして、そんなこと、誰が…。

はっ、と頭の中で何かと結びついた。
建物に入る前に、玲央さんからもらい、コートのポケットに入れていた『お守り』を探す。見つからない。レティがくれたこのコートのポケットの大きさは、手首まで入れてもまだ余裕があるほど深くて大きい。落とすことはないはず。

つまり、玲央さんの『お守り』が、私を守ってくれたんだ。
色々と結びついて、あの時受け取っていてよかった、と胸をなで下ろす。もし、受け取っていなければ……私は……本当に、母親の元に行っていただろう。

「どうしたんですか?ポッケの中のものなくしちゃいました?」
「あ……いや、あの……それは、いただいたポケットにいれていた、お守りで、その…お守りが、落ちたとき、それになった…みたい、です」

なんて説明したらいいのか分からず、うつむきながら思いついた言葉を並べる。伝わっているのか、心配になりちらりと顔色を疑えば驚くほど笑顔で「なるほど!」と返してきた。

「つまり凄いお守りだったんですね!」
「え、あ、は、はい…」
「あはは!それでいいのかいあんた。ガーネもざっくり解釈しすぎじゃないか」
「仕方ない。ガーネバカだし」
「え、えっと、あの……」

那智達とはまた違う勢いのある人達で、その勢いに圧倒される。だけど、今は私は圧倒されて何も言わないだけじゃ駄目だ。
那智はきっと心配している。いや、それよりも、私の心配をするよりも、あの魔物と戦っているはずだ。那智と玲央さんならきっと大丈夫。大丈夫なはずだ。でも、やっぱり早く合流しなければ。それに、あの人も探さないといけない。ああ、でも、まずはその前にこの人達にお礼を言って。そうだ、あの人のことも聞いて…。いや、でもこの人達は仕事をしていて、私はそれの邪魔をしてしまって。どう償えば。まず、名乗って、学生だと分かられたら、この場所にいることを許されないのではないか。

考え始めると、ぐるぐると色んな思考が頭を巡る。ああ、どうしよう。考えがまとまらない。普段でも時々、こんなことになっていたけれど、どうしていたっけ。
そうだ、普段なら、こんなとき、那智やレティや淳史が、声をかけてくれて、一緒に考えをまとめてくれて。3人に、会いたい。あの人達がいないと、不安で、私、1人で何も出来なくて、足元が、ぐらつくようで、私、どうしたら。

「大丈夫ですか!?」
「えっ、あっ」

突然腕を掴まれて、思考の波から現実に戻ってくる。
先ほどまでずっと笑顔でいた赤髪の女性の表情は、とても心配げに、私の目を真っ直ぐといる。

「顔が真っ青です!気分悪いですか?歩けますか?ゆっくり、息を吐いて、自分の名前を言ってください」
「あ、え、………ふぃ、フィオナ、です…」
「フィオナさんですね!ガーネはガーネって言います!はい、それではフィオナさんもガーネの名前呼んでください!」
「ガーネ、さん…」
「はい!ガーネです!!」

腕を掴んでいた手は、ゆっくりと私の手を包み込むように優しく握られていた。私よりも、少し小さなその手のひらは温かい。それに私を見ている表情は、優しく笑っていて、少し気持ちが落ち着いてくる。
自分の名前と、ガーネさんの名前を口にだして、そういえば、名前、名乗っていなかったと今気がついた。

「ガーネ、そのままそこでお嬢ちゃんの話を聞いてやっておくれ。私は周囲の安全の確認してくるよ。キリはジュドさんの所にいって合流するよう声をかけてくれないかい」
「分かった」
「あ、あの、え」
「フィオナさん座りましょう!ガーネにフィオナさんの話を聞かせてください!」
「で、でも、わたし」

ガーネさんに手を掴まれたまま、思っていたよりもかなり強い力でぐいぐいと引っ張られ、その場に座らざるをえないことになってしまった。
他の二人は私のその様子を見てから、通路の暗闇の中へと消えてしまった。

いや、えっと、どうしたらいいのだろうか。こんなところで、座って休憩している暇は、ないはず、なのに。ガーネさんが手を離してくれない。いやでも、気絶をしていた私を助けて、運んでくれた恩人を無視なんて、そんな…。

「フィオナさんはとてもよく、色々と考える人なんですね!」

よしよし、といいながら頭を撫でられる。その表情は、やっぱり笑顔だった。よく、笑う人だなぁ。
いや、もしかして私に気を遣って、無理に笑っているのかもしれない。そう思うと、申し訳なさがこみ上げてくる。

「め、迷惑…です、よね……」
「何がですか?」
「わ、私…なんか……見つけたせいで、その……こうやって、…お邪魔、してしまって…」
「フィオナさん!」

大声で名前を呼ばれて、思わず驚いて言おうとしていた言葉ごと息を飲み込んでしまった。心臓がばくばくと動いている。
この大声は、喋るな、ということなのだろうか。思わず唇が震えながら「はい」と返事をした。

「フィオナさんは好きな人っていますか?」
「え、」

思いもよらなかった言葉に、思わず全身の力が抜ける。それでも、ガーネさんはにこにこと笑顔で私をみている。ふざけているわけではなく、にこにこと、ずっと笑いながら私の返事をまっているようだ。
それでも言葉に詰まっている私を見て、ガーネさんはとても優しい笑顔のまま、喋り始めた。

「ガーネ、キリくんと美樹さんとおじさまが大好きなんです!あ、キリくんは先ほどの男の子で、美樹さんはとっても素敵に大きく笑っていた女性です!おじさまというのは、ガーネを育ててくれたおじさまで、今日は一緒にここにきているんですよ!」
「そ、そう……なん、です、か」
「はい、キリくん達のことが大好きです。それで、ガーネにはもっと心がどきどきするような好きな方もいるんです!とってもかっこよくて、いるだけでガーネいつもよりもっと笑顔になれる人なんです!……フィオナさんは、好きな人っていますか?」

まだ出会って少ししか経っていない私でさえ、ガーネさんのその笑顔だけで、語られている人がガーネさんにとってどれほど好きな人か分かる程、優しい声と表情だった。
そして慈しむような表情で、笑い、もう一度、確認するように私に同じ質問を投げかけてきた。
好きな人、ガーネさんと同じように語れるような、人、は……。

「い、ます……。チームメイトの人達で、とても優しくて…強くて、それで…私を、友人と呼んでくれる、人が…3人…」
「友人さん達のこと、フィオナさんは好きですか?」
「…好き、です……」

好き。そう、大好き、だ。那智も、レティも、淳史も、私は彼らのことが好きだ。頼っていいと言ってくれて、迷惑をかけてもいいと言ってくれて、それで、いつもすぐに転んでしまう私に、怒らず、手を伸ばしてくれる彼らが。
誰かを口に出して、好きだと言うのは、初めてかもしれない。少しむずがゆくて、だけど口に出しただけで、なんだか心が、暖かくなってきた。

「やっと笑顔になってくれましたね!」

ガーネさんのその言葉をきいて、自分が無意識に笑っていたことにやっと気付いた。
なんだか少し、恥ずかしくなってきて、顔に熱が籠もってくる。そんな私に満足しているかのように、ガーネさんはにこにことした笑顔をずっと向けていた。

「こんな暗いところに、一人ぼっちになってしまったらガーネだって不安でフィオナさんみたいに落ち込んじゃうと思います!でも、そういうときは今みたいに好きな人のことを考えて、口にだして、元気になるんです!!それで笑って、好きな人達と明日も生きるために頑張るんです!」
「…明日も、生きる……」
「はい!好きな人が落ち込んでることがあっても、笑えないときがあっても、明日には笑顔になってるかもしれません!だからガーネも、ガーネのことが好きな人のためにずっと笑顔で頑張るんです!」

そもそもガーネはバカですから、笑うことしか出来ないんですけど。と少し照れるように頬をかくガーネさん。優しくて、前向きで、明るい人。
自分が笑っていいのか、と思ってしまったけれど、ガーネさんを見ているとつられるように、自分も少し笑ってしまった。それをみて、ガーネさんはさらに嬉しそうに笑顔を返してくれる。
ああ、そうか、いつも、申し訳ないと思って謝ると、那智達も、申し訳なさそうにするのは、今のと同じなんだ。

今度から、笑おう。お礼をいって、笑ってみよう。那智達には、笑って欲しいから、頑張って、私も笑う努力を、してみよう。
あの人にも、会ったら、どうしようと考えていたけれど、笑っているところを、みてみたい。だから、会った時は、お礼をいって、それで、頑張って、私から笑ってみよう。

薄暗い通路、魔物がいる場所。私は今どこにいけばいいのか目的地も、分からない。
でも、そんな中で、笑うことを知るなんて、思ってもいなかった。不謹慎かもしれないけれど、那智達とはぐれて、ガーネさんと出会って、よかったかもしれない。

あの人に出会えたら、明日も友人達と笑って生きれるように、頑張ろう。

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