深夜の朝菅

 まだ薄暗い、日の出さえも訪れないような頃に、菅原はふと目を覚ました。時計を探しても自室の暗さに発見はかなわず、見つけたとしても秒針を読み取ることはできなかったろう。
 時刻を確認することをそうそうに諦めた菅原は、隣で眠る男の顔をじっと眺めることにした。情交後の気怠さに意識を放り出してからそう時間は過ぎていないはずだが、寝直す気にはならなかった。
 だんだんと暗闇に慣れてきた菅原の目は、無防備に寝入る男――朝比奈の顔を認識し始める。朝比奈の寝顔はほんとうに無防備で、菅原の部屋で警戒することなどありはしないと信じ切っていることが知れた。
 ひとしきり朝比奈の寝顔を眺めた菅原は、次いで意識を自らの腰部にやった。
 まるで逃がさないとでもいうようにしっかりと腰を抱く朝比奈の手は、安堵するほどあたたかくて心地いい。

「……」

 菅原には、自分の何が朝比奈の琴線に触れたのかがいまだにわからなかった。何度好きだと言い合っても、何度朝比奈を内奥へ受け入れようとも――どうして朝比奈が、自分を好きになったのかが。
 一部の人間が菅原のような男を征服することに愉悦を覚えることは知っているし、菅原自身そのタイプだ。
 だが、朝比奈は違う。彼を知れば知るほど、朝比奈が支配者側の人間ではないことが知れた。かといって、おとなしく支配される男でもないけれど――。
 支配しようという視線、あるいは支配されたいという視線で見られていないのに熱い感情を向けられることに、菅原は慣れていなかった。だから、朝比奈のそういった欲を含まない甘い態度に戸惑って居心地が悪くなる。
 けれど、素肌に触れるこの体温や朝比奈の溺愛を、心地いいと思っていることも事実だ。
 本人には死んでも言ってやらないが、朝比奈の声も体温も、何かと言うと頭を撫でてくる無骨な手も愛情深い眼差しも、既に菅原に取って失いがたいものになっている。
 それがまた、菅原にはたまらなく不愉快なことだった。不愉快なのに朝比奈を思うことをやめられないし、果てにはその不愉快ささえも大切に思えてくるから笑えない。

「……毒されてんな……」

 菅原は吐息だけで呟く。思いのほか柔らかい言い方になってしまって、内心で舌打ちをした。
 くだらない、と口内で吐き捨てたのとほぼ同時に、菅原の腰に回された朝比奈の手がぴくりと動く。次いで朝比奈の眉間に皺が寄って、彼は少ししてからゆっくり目を開いた。

「……菅、原……?」

 寝起き故の掠れ声には、色めいた熱など欠片もない。だが情交のさなかに名を呼ぶ掠れ声を菅原に思い出させるには、過ぎるほど充分だった。
 菅原は年甲斐もなくまた朝比奈を求めようとする身体を何とか律して、しきりに瞬きをしている朝比奈の頬に掌を添える。
 菅原からこうして甘さを帯びた行動をするのは珍しい。朝比奈は驚いたように目を丸くしたが、目の乾きに耐えかねたのかすぐにぎゅうと目を閉じてしまった。

「……寝てろよ。じゃないと仕事、きついだろ」
「……ああ……」

 朝比奈は本当にふと目が覚めただけらしく、すぐにまた寝入る体制に入る。朝比奈が意識を落とす前に零した言葉に、今度は菅原が瞠目した。

「……ここに、いろよ」
「……」

 返事をせずにいると、朝比奈は眉間に皺を作って目を開けて、菅原の双眸に真剣なまなざしを注ぐ。

「……何だよ、急に」
「お前が……、どこかに行ってしまうんじゃないかという気がしてな」

 菅原の腰にあった朝比奈の手は背中に移り、ぐいと菅原を抱き寄せた。
 どこにも行かせない、と今度は明確な意思をもって回された手は、やけに熱い気が菅原にはした。

「どこかに行くなら、俺も連れていけ。俺はお前のものなんだから」
「……、」

 ずいぶん珍しいことを言う、という皮肉は、口から出て行く寸前で押しとどめた。
 朝比奈は基本的に菅原の意思を尊重し過ぎる。菅原が照れ隠しで悪態をついてみれば朝比奈は本気にするし、触るなといえば寂しげに苦笑をして触れかけた手を戻す。
 付き合っている相手に束縛されることを面倒だと思う菅原でさえも、さすがに不安になる度合いだった。
 それが今夜は、独占欲を滲ませたようなことを言う。菅原は驚かずにはいられなかった。
 とはいえやはり、縛り付けるように「行かせない」ではなく「行くな」と願うのだから、尊重し過ぎだ、と菅原は喉で笑った。

「菅原?」
「どこにも行かせたくないなら、アンタが俺を捕まえてればいいだけの話だろ」

 人を尊重するのもいいが、たまにはその尊重の裏に押し隠したものをぶちまけてみろ――。
 菅原は傲岸に言い放って、頬に添えていた手を朝比奈の首元に滑らせ、薄く開いた朝比奈の唇に噛み付いた。

「っ……ふ……、うっ……すがわっ……」

 反攻の暇を与えずに、菅原は朝比奈の口腔を貪る。互いの舌が絡み合い、唾液が混ざり合う。
 ぐいと引かれた腰は朝比奈のそこに密着して、菅原の興奮を朝比奈に伝えた。これでは律した意味がないな、と菅原は内心で苦笑する。
 朝比奈の手が菅原の熱に伸ばされたが、菅原は朝比奈の手を掴んでそれを阻んだ。

「ん、は……っ、菅原?」
「アンタ、朝は早いんだろうが。寝坊しても知らないぞ」
「だが、お前」
「こんくらいすぐに治まるっつの。俺の処理するだけじゃ終わらなくなるんじゃねえの、その面じゃ」
「ぐ……」
「年甲斐ねえな」
「うるさい。仕方ないだろう。……好きなんだから」

 笑いながら菅原が言えば、朝比奈は拗ねたように眉を顰めた。
 こういう瞬間に、菅原は朝比奈の好意を噛み締める。好きだから何度だって繋がりたいのだ。どれだけ貪り合っても一向に満たされることがない欠落を、それでもなお交わることで満たそうとする。
 なんて下らなくて、無益で、馬鹿げた行為なのだろう。
 そもそもこの飢えは絶対に癒されることがないようになっているのだ。
 わかっていても足りなくて、もっと、と朝比奈を求めてしまう。だから愛する。朝比奈の存在を求める一方で、菅原はまだこの男を愛し足りないと飢えている。

「……ほら、寝ろよ。ここからだと、出勤に時間かかるんだろ」

 菅原の部屋は、朝比奈の住処より警視庁から遠い。朝比奈が菅原の部屋で一夜を過ごすのは珍しく、だから朝比奈は菅原の部屋からの通勤に慣れていない。
 菅原は朝比奈の目にかかる髪を退けてやる。朝比奈はしばらく名残惜しげに菅原を見つめていたけれども、やがては軽く息を吐いて観念したように目を閉じた。

「……おやすみ」
「……ああ」

 微笑みながら言う朝比奈に、菅原は相槌だけを返す。どうにも気恥ずかしくて照れ臭くて、菅原は同じ言葉を朝比奈に返したことがなかった。
 朝比奈は菅原の照れを見抜いているらしく、優しく笑って菅原の髪を梳いてから、静かに寝息を立て始めた。
 菅原は朝比奈が確実に眠っているだろう頃合いを見計らって、吐息だけで「おやすみ」と囁き目を閉じた。
 意識の落ちる直前、背中を抱く朝比奈の手に優しく撫でられたのは、きっと菅原の気のせいだったろう。

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