三日月の遊びは度が過ぎる。恐ろしいことに三日月は飴玉を空の中に入れて、しかもそのまま指で内部を玩んだのだ。飴玉が溶けて小さくなるとまた新しいものを入れられて、薄桃の袋はずいぶんしぼんでしまった。
 好き放題楽しんだ三日月は、彼の部屋付きの新造である芹に呼びにこられて、何のフォローもなしに出て行った。芹のほうがうろたえて何度も謝ってきたくらいだ。三日月の部屋付きは大変だろうと空は思う。彼の奔放の尻拭いをしなければならないのだから。普通娼妓が部屋付きのフォローをするものなのに。
 空は溜め息をつきかけて、慌てて息が口から出て行く前にそれを押しとどめた。
 ――いまは夜見世の最中で、しかも閨の相手は三宮だ。三宮は今日もまた機嫌がよろしくない。先日のように意地悪をされるのはごめんだった。
 そもそも、どうして浅葱を選んだのに、三宮は空のところに登楼ってきたのだろうか。浅葱の身請けが事実であるなら、別れ話に登楼してくるのはともかく、こうして空と交わる三宮の不誠実が辛かった。
 ひどく辛いと思うのに、空は三宮の律動にあわせてあられもなく嬌声をあげてしまう。これは浅葱を傷つけることで、いけないことだと思っていても、それでも三宮に会えるのが嬉しかったし、触れてもらえて幸せだった。三宮の熱をそもそも拒絶できなかった自分が、ひどく汚く思える。
 はなはだしい自己嫌悪に泣いてしまいそうになったとき、ふいに三宮が動きを止めた。生理的な涙で歪む視界で、空は訝って三宮を見上げる。狼のような双眸に射抜かれたけれど、畏怖は感じなかった。

「三宮様……?」

 瞬くと、空の目端から涙が珠となって零れ落ちた。三宮はそれを舌で舐めとる。まるで泣くな、となだめるかのように。
 少しの間じっと空を見下ろしていた三宮は、ゆっくりと律動を再開させる。その動きは快楽を追い求めるものではなく、交わっていることを実感するためのように感じられた。
 空も三宮を受け入れているということを改めて感じさせられ、辛くなって目を閉じた。また涙珠が零れて、三宮が舐めとる。
 床に入る前、ずっと待っていたのだけれど、三宮は浅葱とのことをいっさい口にしなかった。かといって、自分から訊ねる勇気も空は持ち合わせていなかった。
 説明して欲しいが、三宮の口から事実だと聞くのも怖い。二つの相反する感情に板挟みになっているうちに、床に入る時間になってしまっていた。この日空には同じ時間に客がついていたけれど、三宮のほうが上客なので彼が優先された。もう一人の客は廻し部屋で名代の新造が相手をしていたはずだ。
 空は三宮に、床に入る前に帰って欲しかった。他の男と行為をしても三宮を思い出してしまうだけだが、現状、三宮本人に抱かれるよりもそちらのほうがまだましだった。
 だが三宮は空の願いに反して帰らなかったし、あまつさえ空を抱いた。そこに性欲処理以外の意味がなければよかったけれど――それもそれで辛いが――、三宮は処理にしては空を人として抱いている。
 その優しさが嬉しいのに苦しくて、泣きたさに拍車をかけた。
 春の日差しでまどろんでいるような優しい律動のさなかに、三宮の低い声が落とされた。

「……身請けの話が出たそうだな」

 空は目を開けたが、三宮の顔からは視線を逸らしてゆると頷いた。
 誰も彼も耳が早い。いったいどこから聞いたのか。
 空の肯定を受けた三宮はまた黙り込む。空はそろそろと三宮の顔を窺い見た。
 彼の眉間には皺が寄せられていて、何かを考え込んでいるようであり、また何かに耐えているような表情でもあった。
 空は下命されなければ自ら三宮に触れることをせずに敷布を掴んでいた手を彼の頬に伸ばしかけて、やめた。敷布をきつく握り直して、勝手をしようとする手を誡める。
 ――この手で三宮の頬に触れたり、首に抱き着いたりしてはならない。それが許されるのは、もう浅葱だけだ。浅葱だけの特権だ。
 空の眉間にも皺が寄って三宮と似たような表情になったけれど、空には知りようがなかった。三宮も自分の表情は鏡でも見なければ目で確認できないから、指摘しようがない。
 三宮がふたたび口を開くまでに、空の身体の熱は少しだけ冷めてきていた。

「受けるのか」
「……うん」

 頷くと、三宮の琥珀が鋭く細められた。

「……駄目だ。受けるな」

 いらだちを混ぜた声音で静かに下命され、空の心中はささくれた。

(どうして口を挟むの)

 どうせ三宮は浅葱を選んだのだから、空の身請け話に口出しをするのは筋違いだ。じわじわと腹が立ってきて、空は三宮を見ていた視線をふいと背ける。
 もう関わらないでくれ、と思いながら口答えをすると、思いのほか硬質な声が出た。

「もう決めたから」
「空」

 意固地と自棄を咎めるように名を呼ばれる。空は敷布を握り締めていた手を解いて、三宮の肩を押しやった。三宮はわずかに目をみはる。

「口、挟まないで。――どうせあなたには関係ないことでしょう」

 自分で突き放すように言って自分で傷ついているなどお笑いだ。空は一度歯を食いしばって、零れそうになる涙を抑え込んだ。
 顔さえ背けると、三宮の肩を押した手の首を三宮にとられる。ぎり、といっさいの気遣いなく強く掴まれて、空は苦痛の声を上げた。

「い……っ、……はなして」
「それが娼妓の態度か」

 獣が唸るように三宮は言う。
 どうやら彼を怒らせたようだが、空にはもうどうでもよかった。

「もう娼妓じゃなくなる」

 睨みつけて言い放つと、三宮は睨まれるとは思っていなかったらしく、一瞬呆気にとられたように目を瞬いた。が、すぐさま怒気を双眸に露にして、空の手首を空の頭上で敷布に乱暴に押し付けた。手早くもう片方の手もひとまとめに拘束される。

「だから他の男のご機嫌とりはしねえって? 見世にはまだ申し出を受けるとは答えてないんだろうが。――言っておくが、見世を潰すのもお前の男を社会的に殺すのも、俺には雑作もねえことだぞ」
「ッ――最低……!」

 実際に見世を潰したりしたら方々から睨まれる。三宮も無駄な敵を増やすことは理解しているだろうから実行には移さないだろうが、そうやって脅しをかけてくるのはあまりにも下衆なことだ。見世の娼妓たちを人質にとったも同然なのだから。
 見世を潰されたら、売られてきた自分たちはいったいどこへ行けばいい。他所の見世はここよりずっと劣る。余裕のある大見世だから、娼妓や新造、禿たちは比較的心安く過ごせているのだ。

「最低はどっちだ、あ? 嫁ぎ先が決まったからって手のひらを返すお前のほうが最低だろうが」
「なに……」

 琥珀を怒りでぎらつかせる三宮の言うことがわからない。一度として空が三宮の心情を正確に察せたことはないが、今日はことさら理解できなかった。

「ああ、あとな。いくら待っても、お前の男は二度とここに来ねーぞ」
「え……?」

 三宮は酷薄に笑った。

「無一文になりたくなきゃあ、お前から手を引けと言ったら、すぐに頷いた。――ようするにその程度ってことだ。身請けされても、そのうち遠ざけられたろうよ」

 娼妓を身請けした客は、その娼妓の一生の面倒を見ると誓わされる。だから捨てることはできない。身請けしておいて娼妓に飽きた男は、敵娼を囲う別宅を訪わなくなる。
 あの優しくて上品な男がそうするとは、あまり思いたくなかった。それに、頷かせたのは三宮だ。今日の三宮は反吐が出るほどに非道い。

「な、んで……」
「あ?」
「どうして、そんなことしたんですか! あなたは俺をどうしたいの……」
「どう……ね」
「――っあ……やだ」

 ふっと無表情になった三宮が、ぐいと腰を押し付けてくる。唐突に内奥まで抉られて、空はわずかに嬌声をあげた。
 嫌だと言う空を、三宮は徹底して無視をする。それまでは一応は空の快感も考えていてくれたけれど、いまの三宮は自分だけの悦を考えて動いている。
 それでも身体だけは三宮に反応して勝手に高まってしまう。空を見下ろした三宮が鼻で笑った。

「手酷くされて感じてんのか」
「っ……」
「は……、とんだ変態だな」

 嗤われて、空の頬が羞恥に染まった。三宮は空の反応にまた嗤う。

「も……い、や……」
「口先だけじゃねえか」

 三宮は自分だけがいいように己を空に突き立てる。

「お前を、どうしたいかって話だがな」
「や……ぁ……」
「――俺しか見えないようにしてやる」
「っひ、あ……。な、に……そ――あぁっ!」
「お前が他の男のものを、ここにくわえこんでるのは不愉快だ」

 ここに、と言うのと同時に、三宮は自身を収めている場所の縁を指先でなぞった。空はびくりと身体を震わす。

「それに、他と同じような手管やら――誰にでも言ってるような言葉を使われるのもな」
「なに、どういう……あんっ」

 訊ねようとするたびに敏感なところを抉られて、言葉尻を嬌声に変えられる。質問を許す気も、答える気もないということなのだろう。

「お前は――俺のものだ」

 怒気も何もない、深い琥珀に射抜かれた。けれど空の心は、秋の夜半の風が吹き付けたようにひやりと冷えるだけだった。
 その冷えた部分が、あまりにも痛い。凍るような痛みは、目頭にまで伝播する。唇を噛み締めて、泣き出すのを堪えようとしたけれど、無駄な努力だった。

「あなたなんか――大嫌い」

 泣きながら言うと、さすがに三宮の動きが止まった。
 三宮は瞠目したまま固まっている。多分この男は、嫌いだなんて面と向かって言われたことはないだろう。三宮財閥の持つ力に誰もがおもねろうと、愛想笑いを浮かべて近寄っていったろうから。

「嫌い、大っ嫌い……! 会いたくなんてなかった、あなたと会わなきゃ、こんな辛くも苦しくもならなかったのに……!」
「――空?」

 感情の奔流のままに、恥も外聞もなく喚いて当たる。三宮はゆっくり瞬きながら、問いかけるように空を呼んだ。

「どうして俺のことに口を挟むの! せっかく――せっかく諦めようって、忘れようって思ったのにっ……。浅葱さんを選んだくせに、俺に構わないでよ……!」
「……浅葱? 浅葱を選んだってどういうことだ」

 とぼけるな、と涙目で睨みつけたが、三宮は本気で分かっていない様子だった。空は少々面食らって、それから困惑する。

「……だって……浅葱さん身請けされるって……その相手が三宮様だって」
「は? あいつを身請けすんのは別の奴だぞ」
「…………え……」

 三宮の言葉を理解するのに、時間が要った。
 ――浅葱を身請けするのは、三宮ではない。当人が言うのだから事実だろう。
 三宮が相手だと言うのは、浅葱ほどの娼妓を身請けできる客など三宮しかいない――他の上客は浅葱の馴染みでない――から信憑性があっただけで、憶測の域を出ない話だ。だが空はいつしかそれを信じ込んでしまっていた。
 事実であったらと、確認を恐れて一人で勝手に思い悩んでいたわけだ。プラトン曰く――『子供が闇を恐れるのは無理もない。大人が光を恐れる時、本当の悲劇が訪れる』。つまりは、そういうことだ。
 すべて自分の思い込みだったと理解した空は、はくはくと喘ぐ。三宮の顔を直視できない。

「……へえ?」

 愉快気な声が降ってきた。空はできうる限り三宮から顔をそらす。

「お前はその話を信じきって、それで自棄みたいになってたわけだ?」
「……そ、んなこと……」
「諦めるだの忘れるだの――空、お前俺に惚れてんのか」
「違っ……きらいって言った!」

 確かに三宮を好きだが、本人に指摘されると気恥ずかしく、また居心地が悪い。羞恥もあってとっさに否定すると、三宮はわざとらしく溜め息をついてみせた。

「ああ、ありゃ、傷ついたな」
「う……」

 三宮の表情や声柄はちっとも傷ついていない。わかっていても人を傷つける言葉を感情に任せて投げつけたのは事実だから、空は言葉に詰まった。

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