トロイメライの聴こえない


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どうやら俺は悪い夢を見ていたようです。目が覚めた俺は柔らかくて暖かい布団のずっしりした重みを感じてその中に潜り込みました。ふかふかの布団からは嗅ぎ馴れない余所のおうちの香りが、して、
「………あれ…?」
ここは一体どこのおうちなのでしょうか。確実に俺の家で無いことはわかりますがそもそもなぜこんなところにいるのでしょう。がばと俺が跳ね起きて辺りを見回すと六畳ほどの広さの部屋にいることがわかりました。テレビだとかパソコンだとかが置いてあって、床には運動部が使うエナメルバッグや読みかけの漫画なんかが適当に投げてあります。背の低い本棚の中に小説やはやりのゲームソフト、CDとなんだか怖そうな映画のDVDがいっぱいに詰め込まれているのを見て気づきましたが、どうやらこの部屋の主は俺とそれほど年齢が変わらないようです。
もっとこの部屋を調べるためにベッドから降りようとしたところで俺はようやく部屋の主を知ることとなりました。
元々はベッドにもたれかかっていたのでしょう。カーペットが敷かれた床の上で薄手のタオルケットにくるまって眠っている梨本くんが、そこにはいました。
つまりここは梨本くんのおうちの、梨本くんの自室、と言うことなのでしょうか。
そろそろとベッドから這い出した俺は梨本くんの横に座り込んでその綺麗な寝顔を見つめました。彼の寝顔はとても安らかで小さく開いた口からかすかに寝息が聞こえてきます。閉じたまぶたも思っていたよりずっと長い茶色のまつげもこんなにも近くで眺めていられるのがまるで嘘のようでいつまででも見ていられる、そんな気がしました。
「…う……ん…ぅ」
梨本くんが小さく声をあげうっすら目を開けます。俺はほんのちょっぴり残念に思いながらも気持ち少しだけ梨本くんから離れました。彼はのそのそと起き上がりあくびをした後、その金髪をくしゃくしゃと掻きながらこちらを向きました。薔薇の色をした目はとろりと濁って俺の方を見ています。
ぼんやりとした顔のまま、彼の口が小さく動きました。何か呟いたようで、俺にはどうしてだかその掠れた声が「おかあさん」と言っているように思えました。そう感じた理由は、わかりませんけれど。
俺が梨本くんへ、なんと声をかけるべきか戸惑っている間に彼の頭もある程度目が覚めたようでした。少し恥ずかしそうな顔で「ちょっと待ってて貰えますか」と梨本くんが言うのに、俺は頷くことしかできませんでした。

数分後、彼は俺の良く見慣れた、いつもの梨本くんと同じ姿で部屋に戻ってきました。手にはマグカップが二つ乗ったトレーがあります。
「あ、あの、梨本くん。」
俺は部屋の中央にあるローテーブルにトレーを置く梨本くんへ声をかけますが、梨本くんはちらりと俺の方を見て微笑んで
「先輩、紅茶飲めますか?」
と俺に対し質問を投げかけました。
「え、あぁ、うん。すき……です。」
面食らった俺がそう答えると彼は「よかった」と笑い、砂糖の数とミルクの有無を問いかけてきます。俺は、砂糖は一つミルクはたっぷり、と答えます。なんだかまるでこれじゃあ俺と彼とが同棲しているみたい………違う。そうじゃない。
「ねえ、梨本くんってば。」
「なんですか?」
梨本くんが俺に紅茶の入ったマグカップを差し出してきました。俺はそれを受け取り、ほんの少し口をつけました。
「えっと。色々聞きたいことがあるんですけど…」
テーブルを挟んだ向こう側に腰掛けて、梨本くんは自分用に持ってきた白地に紺で模様の入ったすてきなマグカップを持ち上げました。
「………先輩が倒れてるのを俺が昨日、家に帰る途中で見つけたんですよ。」
そう言って彼は一口紅茶を飲み、続けます。
「先輩のお宅に連れて行こうかとも思ったんですけど俺の家の方が近かったので……。あぁ、お宅の方にはきちんと電話をしてありますから、そこは心配しないでください。」
「そう…なの」
どうやら俺は昨日、帰っている最中に気を失ったようで、それを思い出した途端、さっき見た悪い夢が実は夢ではなかったということに気がつきました。
「…先輩」
それは表情にも表れていたようで、梨本くんが俺の顔を心配そうに見つめてきます。俺は気持ちを落ち着かせようと思いゴクリと紅茶を流し込みました。
「……先輩。昨日あそこで、何か見ましたか?」
唐突に真剣な面持ちになって、彼は俺に問いかけてきました。
何か、とは一体なんでしょう。気になった俺はあの悪い夢の内容を思い出そうとしますがなんだかいろんなところがかすみがかって、肝心な部分が何も思い出せませんでした。ただなにかとてつもなく悪いことが起きた。という事実だけは確信を持てるのですが、果たしてその『悪いこと』が何だったのか。それは何一つとしてわかりませんでした。
俺がその旨を梨本くんへそのまま伝えると、彼は少し悩ましいような表情を浮かべてしばらく黙り込みました。
続いて俺がなぜこんな事を聞いてきたのかと質問をしても彼は何も言いません。
しばらく静寂が続いて、再び彼が口を開いたとき、彼は静かに話し始めました。
「…昨日あの辺りで殺人事件があったそうです。」
「……さつじん……」
「…俺、実は昨日先輩を見つける前に、見たんです。」
死体を。
梨本くんは淡々と、あまりにも無感情にその言葉を付け加えました。死体。その言葉が付け加えられた途端に殺人事件というフィクションにしかないような言葉が確かな現実味と重みを帯びてきて、背中がひんやりと熱を失っていくような気がしました。
「でも、そのことは誰にも言ってないです。……だって、めんどくさくないですか…?そういう……色々聞かれたりだとか…。先輩も何も覚えてないのに質問されたり、無理に思い出させようとしたり、嫌でしょう?」
俺はなんだかとんでもない話に頭がついていかなくって、ねぇ?と言った梨本くんの首をかしげて微笑む仕草がとてもキレイでかわいらしいなだなんて事だけをぼんやり考えていました。けれどその俺の頭の中に梨本くんは気付いていないようで、詰まること無く俺に話しかけ続けています。
「だから……ヒミツにしません?」
彼のその声が、なぜだか俺にはとても唐突な物に思えました。
「……ヒミツ…?」
「そう、俺と、先輩の。二人だけのヒミツに。」
そう言って彼はテーブルに手をついて身をぐいと乗りだし、気がついた頃には彼の顔が、ともすれば俺と額がぶつかるほど近くへと来ていました。
梨本くんの口からこぼれる『ヒミツ』の、その響きがなんとも甘くて妖しくて。ブラインドの隙間から差し込んだ光が瞳を輝かせ、けれど彼の顔には影があって。なにより彼の、梨本くんの顔がこんなにも近くって。
「………。」
「ねえ先輩。」
あまりに早い展開に頭が軽いパニックを起こした俺に、たたみかけるように彼は言葉を続けてきました。
「俺、先輩の事が」
いやこれはその、展開的におかしいじゃないですか、だって。貧相な俺の頭でもはっきりとわかります。彼はきっとこの後俺にあの台詞を言うのでしょう。
「スキです。」
そう。この言葉を。
予想はしていました。そう言われる予想は。それでもその言葉を、待ち望んでいたその言葉を実際に聞いてしまった俺は当然のように混乱して何も言えなくなってしまい。
そんな俺の唇に彼は、さも当たり前のように口づけをしてきたのでした。



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