理不尽で不条理であるが故
※17巻回想前

凪の入り江の港を片っ端から荒らし、村民を目につく端から殺す。先に上陸した奴らは悉く野蛮に暴力を振るっていく。容赦なく火を放ち燃え上がり始める家々の間を縫いながら歩くアリアドネが、喧騒から取り残され荒らされていない外観の家に吸い込まれるのが見えた。

フラヴンケルを探すべく森の方へ向かったが、どうも気にかかって意図せず引き返していた。ぽつねんと建つ家のドアは開きっぱなしで、荒っぽく物をひっくり返す音が聞こえる。

気配を察してこちらを確認したのも束の間でアリアドネは薄暗い部屋の中で家具などを続けてまたひっくり返した。そしてやや落胆したかのように居間に転がる3つの死体を見つめている。

「何やってんだ」

「ああ……いえ、何もしてませんよ」

歯切れが悪いアリアドネは足元に転がっている頭を割られた死体をまた眺める。まじまじと見つめていいものでもない。

「…知り合いか?」

「いいえ。ここには初めて来ました」

物言わぬ体を眺めている様は生気がない。異様な雰囲気に気圧される。無抵抗だったか或いは許しを乞うたか、戦う気のない人間を斬るのはさぞ簡単だったろう。藁を切るように容易いはずだ。

足元の死体はひどい有様だった。真っ二つに別れた上半身の肩から先は、斬られた勢いのまま飛んでいき屋根の縁に挟まっていた。

「派手にやったな」

「何をやっているかと聞きましたね」

壁に飛び散った血肉のせいでむせ返る鉄の匂いが充満している。そう、この血生臭い家になんの用があるのかと尋ねていた。家の中のものを物色して死体を見ていた、では少しばかり奇妙だ。

「強いて言うなら探し物です」

「は?」

初めて来た場所で探し物とは惚けたことを言う。物か人かと想像するより前にガタン、と突如物音が響いた。咄嗟にナイフを手に身構えたが警戒は不要だった。部屋の隅で、目を見開いて娘が蹲っていた。酷く怯えている。居間に転がっている死体は父親、母親や兄弟姉妹のいずれかで、運悪くアシェラッドたちの手下に出くわしてあっさりと殺されたのだろう。

「い、嫌、お願い殺さないで…!」

あまりの恐怖に声が掠れている。怯えて縮こまる娘一人、気にすることはない。放って出て行くところだがすぐにこの家にも火がかけられるだろう。怒号と悲鳴が交じりあった音が外から聞こえる。気配を探る。近くにヴァイキングはいない。木が多く草が繁るところを辿り、もしかすれば逃げきれるかもしれない。

「怖かったですね、大丈夫ですか」

「こ、来ないで…!」

アリアドネは娘に優しく声をかけるが、怯えて体を小さく縮め壁に張り付いて動かない。探し物とはこの娘のことか。しかし何故。

「心配しないでください。わたしはあなたの味方です。もう大丈夫、怖い思いはさせません」

「…え?」

「わたし達はヴァイキングではありますが、無闇矢鱈に女性を殺しません。さあ、家が燃やされる前に行きますよ」

片膝をついて手を差し出しヴァイキングだと名乗る女を凝視する娘は、震えつつ未だに信じられずにいる。自分に害を成す人間ではないという確証がないからだ。

「ほ、本当?」

父さんや母さんを殺した人たちとは違うの?信じられる者がいない閉鎖された空間で、娘は震えながら問うた。

「もちろんです」

娘はアリアドネの柔和な口調と人当たりの良さに徐々に警戒心を解いていく。いや、どちらかと言えば警戒して気を張り続けることが難しくなってきている。森の中を逃げろ、と突き放すつもりでいたがどうやらこのお人好しは嘘を吐いてまで安心させ一緒に逃げるつもりでいるようだ。呆れたぜ。

「アリアドネ、俺は」

「ご心配なくトルフィン。時間はかかりませんよ」

同行しないと伝えるより先にアリアドネは口を開いた。時間はかかるだろう、どう考えても。腰を抜かしている娘を逃していたら夜が明ける。逃げろと伝えて置いていけ、と言うに言い出せずにいると娘が動いた。ボロボロと涙を零し、自分をこの窮状から救い出してくれるかもしれないアリアドネの腕の中で声を押し殺し泣いている。

「酷い目に遭いましたね、怖かったですね」

幼子を落ち着かせるように背中を撫でる様子は姉妹のようでもあった。震える手でアリアドネの服を掴んで必死に縋る。この恐怖から早く逃げたい、一刻も早く救われたい、わたしを助けてください、としゃくり上げるせいで覚束ないながらも必死に訴えた。

「もう平気ですよ。悪い人が追っては来れない場所へ逃げましょう」

慰めと励ましの言葉の狭間に聞き慣れた音がした。飽きるほどに、麻痺するほどに、寧ろ親しみすらある、刃物で肉を刺す音だ。

「あっ、」

娘の口からは声にならない空気が漏れて、目は大きく見開かれている。アリアドネと俺とを交互に見遣って驚くばかりだった。切られた首筋から血が勢いよく噴き出ていくうちに、腕の中から崩れ落ちそのままパタリと力なく転がった。何気なく行われた一連の出来事に目を見張るばかりだった俺を横目に、アリアドネはそっと娘の目蓋を閉ざしてやり、テーブルクロスを遺体に掛けた。

「お前…」

「わたしたちにも気づかれなければ或いは…。いえ、あの様子では逃げたところで更に酷い目に遭うのが目に見えているでしょう」

生かして逃げる事が叶わないのであれば安らかな死を、悲惨に体を暴かれ苦痛のうちに死に絶えるのではない別の方法を与える。少しでも正気のうちに僅かでも恐怖を和らげてやりたいのだと、アリアドネは下を向いたまま言う。

「殊勝な奴だな」

「それを言うなら一瞬でも逃してやる方法を考えたあなたこそ殊勝だと思いますよ」

「っ!」

「わたしは、自分が彼女の立場ならされたいことをしただけ。ただのエゴですよ」

外の気配を探ったのは僅かな間だったが目敏く気がついたらしい。図星だった。

「痛かったですよね、ごめんなさい」

アリアドネは深く尋ねはしなかった。布の下にある娘の頭と思しき丸みを撫で申し訳なさそうに肩を落として謝罪をした。

「この状況下、隠れきれなかったら死ぬしかないんですよ」

ヴァイキングを前にしたら男でさえ敵わないのだから、弱い女は特にそうだろう。暴力の脅威を前にすればますますなくなる。生きるという選択肢が。

「てめぇは」

「え?」

「てめぇはどうなんだ」

血飛沫を浴びて顔が鮮血に染まるアリアドネは無感情な瞳でこちらを見遣る。

「同じですよ。死ぬしかないんです」

ナイフに付いた血をテーブルクロスで拭い、鞘に収めながら立ち上がる。手持ちの武器を見ながら口惜しそうに続けた。

「何も知らない娘のまま、戦う術も持たないままでいられたらと思ったことはありますよ。でもそんなことを考えるのは現実的ではないんですよ」

弓矢を扱える。行軍にもついてこれる。斥候を任される。普通の娘にはできないことがアリアドネはできる。戦いにも血にも生き抜く術も身につけている。

「戦える者として、戦えない者が取り残されてしまっていたら同じことをします。今までもしてきたし、これからも」

取り残された者の末路を見遣った。尽きて横たわる娘は生きたかっただろう。

「さ、フラヴンケルを探しましょう。他の人より先に仕留めないと手柄を取られますよ」

血の匂いが充満する家からいつもと変わらぬ足取りで出て行くアリアドネを追う。

「指図すんじゃねえよ」

生きたいだけでは生き残れない。だが。



外の様子を確認したということは、あなたはこの子を逃してあげるつもりなんですね。優しいな、トルフィンは。強引に立ち上がらせて発破をかけて隠れて逃げろと無理やり送り出せば、どうにかなると思っている。不十分、あまりに無責任で他人任せな思いやり。

「もう平気ですよ。悪い人が追っては来れない場所へ逃げましょう」

娘のか細い体をキュッと抱きしめながら腰に手を伸ばしナイフを手にした。そう、誰も追っては来れない場所。あなたのようにもう二進も三進もいかなくなってしまったときに行くべき場所。

「あ、」

柔らかい肉に刃先を差し込むと腕の中の娘ではなく、背後のトルフィンの纏う気配が変わった。驚いたでしょう、優しく慰めていた矢先に刺したのだから。不可解でしょう、刺しておきながらまるで慈しむように遺体を扱うのだから。訝しげに睨むトルフィンはわたしに問う。

「てめぇはどうなんだ」

女でありながらヴァイキングの集団に身を置くお前もそれは同じのはずだ。周りや俺と比べても、その体は軽く細い。お前もそこの娘となんら変わらねえはずだ、と。追い詰められたとき、選ぶのかと。

「同じですよ。死ぬしかないんです」

父の仇であるアシェラッドを討つまでは、意地でも死ねないあなたにはわからないかも知れないですね。わたしもこの娘と同じ。違うところといえば、少し腕が立つところだけ。戦える者としてやれることをやるだけです。優しく逃してやるだけ。

フラヴンケルを探すべく外に出れば、木の焼ける焦げ臭さと血の生臭さが混じった風が吹いた。悲鳴がこだまする。剣のぶつかり、肉が裂かれ地面に倒れ急所を刺される。そんな場面がそこかしこで演じられる。平和に過ごしてきた人間がこの惨状を前にして、どれだけが正気で居られる?

「優しいというより、甘いですよトルフィン」

怯えてる人間が逃げ切れるほど、戦場は易いものではない。どう足掻いても火が、暴力が、ヴァイキングが行手を阻む。血煙に塗れて訳もわからぬまま死ぬよりは、いくらか救いがあると思いませんか。


理不尽で不条理であるが故、弱者には逃げ道がなければ


20200216
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