立往生
※5巻冒頭あたりの時間軸
“耳”と呼ばれる隊の一員と木に登り状況を確認する。どこまでも白い。一面雪で覆われていて、葉を落としたやせっぽっちの樹がちらほらとあるだけで、代わり映えのない風景が目の前に広がっている。わたしは今この兵団の目の役割を担っている。
「耳、アリアドネ。どうだ、異状はねえか」
痩せた樹に登り、四方八方に意識を巡らせているわたしたちの足元から声がかかった。アシェラッドだ。トルケル軍からクヌート王子を奪還したあと、身を隠しながらの行軍をしている最中だった。大雪に見舞われ露営は不可能になった矢先、村を見つけた。
村の襲撃・略奪はヴァイキングの伝統とすら言える。キリスト教徒62人、内子供24人。昨晩まで貧しい食料で生を繋いでいた村人たちの数だ。彼からは陽が昇る前に冷たい土の中に葬られた。酷い吹雪も朝になるとすっかり止み、膝下まで埋まるほど積もっていた。
「大ありだ、クソ寒い」
「骨の芯まで凍えるようです」
寒いのは分かっているとアシェラッドの隣に立つビョルンは鼻を掻いた。肺が凍りそうなほど冷たい寒空の下、動くものはそうそういない。
「精々シカが数頭ってところ…静かです。人の気配はこれっぽっちもありません」
「1〜2マイル先で狼が吠えた。が、2マイルより先のことは知らん」
「おいおい、お前らの耳と目が頼りなんだ」
「雪が音を吸うと聴き取れる範囲も狭くなる、あまり頼りにしてくれるな」
「期待には応えたいですが…眩しくて目が焼けそう」
雪に陽の光が反射してよく見えない。目を閉じても瞳の奥で光がちらついて、頭まで痛くなりそうだ。堪ったもんじゃない。
「ここにいることを宣伝しなくて済むからな」
歩哨をばら撒くよりはマシだ、とアシェラッドは言った。この雪に覆われた村に兵団がいることを悟られてはいけない。ひっそりと息を殺すように存在しないかのように潜む必要がある。“耳”は見張りを継続、わたしは別の仕事に取りかかる。柔らかい雪の上に着地するとアシェラッドが僅かな食料を投げて寄越した。塩漬けの肉だ。
「アリアドネ、お前、目は良いんじゃねえのか」
「雪の中じゃ話が違ってきます。条件が悪いんですよ」
フードを目深に被り、目について問いかけたビョルンの脇を通りながら肉を少し齧る。雪原に反射する太陽光は目に優しくない。折角アシェラッドが頼りにしてくれているというのに、この体たらくだ。何度見てもやはり真白い雪原が憎い。
「アリアドネ、修道士どもを見張っておけ。またバカをやられたら敵わん」
「わかりました」
生かしていくということは監視をせねばならない。損得で考えれば村人同様に殺してしまうのが解となるのだが、特に王子は切り札だし、王子に付き従う従者と神父をそうする訳にはいかない。柱に括り付けておくのも一つの案だが、この深い雪の中を出歩くほど阿呆でもないだろう。
64人の亡骸が埋まる場所には粗末な十字架が建っている。その前に跪いて祈りを、許しを乞う者が三名。髭面で年齢不詳の神父ヴィリバルド、従者ラグナル、そして王子クヌートだ。その様子を見て、「許しを乞わないとやってられないそんな神のどこがいいんだか」と樹の上で呆れながら“耳”は言った。
「その点オーディン神はシンプルです。戦争と死の神ですから、あんな風に祈る必要もない」
「そうだな、死ねばヴァルハラ行けるしよ」
しばらくは雪が降らなければ都合がいいと願いつつ雪を掻き分けて王子たちの近くへ行けば、彼らを遠目に監視しているトルフィンがいた。なんだ、既に見張りがいるじゃないか。大事そうにナイフを磨いているトルフィンの背中を見て拍子抜けした。
「いと高き方。天に坐す我らの父よ…」
神父が言葉を唱えている。監視されながらも、王子らは胸の前で手を握り締め、神に祈る。なんとまあ悠長なことを。死んだ人に祈っているなんて。トルフィンはその様子をナイフの手入れをしつつ呆れながら眺め一人ごちた。
「他人のために祈ってる場合かよ、てめえら」
「同感です」
一瞬ギョッとして振り返ったトルフィンだったが、声の主が誰だか判断したようですぐに警戒を解いた。わたしは井戸の縁に積もった雪を足で寄せながら腰を下ろした。身じろぎもせず三人は雪に座し祈りを捧げる。
「立場を理解していないんでしょうか。自分の身の安全でも祈っているならまだ合点がいきますが死んだ者に祈るなんて」
祈るという行為が腑に落ちないままわたしも弓と矢の手入れをする。彼らは許したまえと言う。なぜ許しを乞わねばいけない。村を襲わなければあの吹雪の中で野営をする羽目になっていた。もちろん野営など出来るはずはなかったのだが。自分が生きるためにはほかの手段がなかったのに。生きること、殺すことを許せと言うのだろうか。
「暇なのか呑気なのか」
どっちかじゃねえの。トルフィンはさも興味がないように布でナイフを磨く。正直言えば、わたしも彼らの行為にさほど興味がない。祈る理由や意義を知らなければ彼らに理解を示すことなどできないのだから。
「祈ってなにかいいことがあるんでしょうか」
「さあな」
「許したまえ、か。彼ら、食事の前にも祈るんですよ。何をそんなに許してもらいたいんでしょうね」
「知らねえなキリスト教徒のことなんざ」
ナイフの切っ先に光が反射してキラリと光った。キリスト教徒である彼らからしてみれば、オーディン神を信仰するヴァイキングという存在は理解に苦しむ存在なんだろう。
倹しさとは無縁で人々から力を以て奪う伝統は、彼から見れば嫌悪するものだろう。わたしはキリスト教徒ではないから彼らの心持ちなど知らないが、嫌悪するという根源的な感情を持つ由来は想像できる。
「生きることも殺すことも生活の一部。その度に許しを乞うてたら何もできないのでは…」
「他人のことはどうでもいい」
「トルフィンは淡泊ですね」
雪に阻まれ行軍できないこと、略奪した村で逗留せざるを得ないこと、村人の死を悼んでいる呑気なキリスト教徒三人を監視していること、見張りの相方が喋り続けて姦しいこと。今この村にいて程度は違えど窮していない者はどこにもいない。
「難儀ですね」
「そうだな」
クヌートの父・スヴェン王が軍を駐留させているゲインズバラまでの道のりは、遠い。
アニメ放映、本当におめでとうございます。
20190713