歩み寄り
※3巻

ロンドン橋で敵将のトルケルとの戦いに敗れたトルフィンの怪我は酷かった。脱臼に捻挫、挙げ句は肋骨が数本折れていた。寧ろこの程度の負傷で済んだのは非常に運が良かったのか、泳いで逃げたトルフィンの諦めの悪さが功を奏したのか。命があったことは何にも代え難いことには明白ではあった。が、あまりにも痛々しすぎた。

行軍の途中、人の目を避けて物陰に隠れ飢えを凌ぐだけで精一杯。怪我の様子はいつまでも芳しくないようだった。そんな様子のトルフィンを目敏く観察していたのはアリアドネだけではなかった。首領のアシェラッドだ。彼が手負いの一匹狼の行動をつぶさに見ていたのは目敏い云々ではなく、首領としてだ。

「トルフィンが気になるか、アリアドネ」

「わかりますか」

「バカ正直に表情に出てるからな、お前は」

「彼、ろくに手当てもしていないと思うのですが」

「だろうな」

素直に手当てされるような性格じゃねえしな、とアシェラッドはアリアドネの隣に立ち、言う。

「親の仇を討つために兵団にいるっつーのに、その仇に情けなんざかけられた日にゃアイツ憤死するんじゃねえのかね」

「ああ、なるほど」

そういうことですか。アリアドネは推測していつも口にはしてこなかった疑問に納得がいき、確信がもてて合点がいったようだった。

経緯はどうであれトルフィンの親を殺したのはアシェラッドである。そしてトルフィンはアシェラッドを討つべくこの兵団に身を置いている。しかし決闘を餌に使い走り出来るせっかくの手駒がいつまでもあんな状態ではよろしくないのでは、とアリアドネは思案する。手駒は多いに越したことはない。

「強情も考え物ですね。頑固は結構ですが」

これでは支障が出ます。アリアドネはトルフィンが身を隠している藪の辺りを見遣り、その後アシェラッドを見上げる。「手当てしなくてもいいのですか?」という無言の問いかけに放っておいても死にゃしねえ、と言う彼の言葉はアリアドネの背中に向かって発せられた。放っておいたら治りが遅いでしょうと言いたげに、相変わらずの柔和な笑みを返しアリアドネは藪に向かって歩を進めていた。

「なんつうか、あんな真人間が俺のあとをついて周ってるんだか心底不思議だな」

周囲のでかい図体の男たちより二周りは小さいアリアドネの後ろ姿を見て、アシェラッドは一人こぼした。



藪の中に身を滑り込ませれば即座にトルフィンと視線が絡んだ。それ以上近づくなよ、殺すぞ。と言わんばかりか、まさに視線でそう訴えている。

「看ます」

「寄るんじゃねえ」

「治りが遅くなるけですよ」

「触るんじゃねえ」

「痛いでしょうに」

「お前にゃ関係ねえ。すぐ治る」

「とか言ってここ数日まともに行軍について来れてるわけでもないようですが?」

やることやらずに口だけ達者でも意味がないんですが。煽るように侮蔑の言葉を投げれば、つっけんどんに振る舞っていたトルフィンが私を睨み上げる。一瞬の間、トルフィンはナイフを手にしていて目にも止まらぬ速さでの刺突が繰り出された。とは言え所詮手負いだ。止まって見える。

「、 ぐうっ!」

「こうやって実力行使しないと理解出来ませんか?」

ナイフの切っ先が腹部に滑り込む刹那、手刀でトルフィンの手首を叩き攻撃の手段を挫き、落ちた刃を爪先で撥ね退ける。同時に、脱臼したあと無理矢理はめたであろう肩口へ一発突きを見舞う。たったそれだけで苦悶の表情を浮かべてのたうつトルフィンは、先ほど同様に私を心底憎らしそうに睨んだ。

「女に負けて気分悪いでしょう」

「負けて、ねえ」

「この体勢でまだ吠えますか」

肩を押さえて息も絶え絶え、膝をついて頭を差し出している様はどう見てもトルフィンの負けを意味しているのに。

「親の仇の前に私も蹴散らすことも出来ないんです。治すことをまず第一に考えたらどうです」

「情けは受けねえ、特にあいつのはな」

「私が勝手にやってることです、アシェラッドは関係ないです」

転がったナイフを拾い、土を払って差し出すと、トルフィンは訝しげに私の顔とナイフを交互に見つめた。私がこうして手当てしに来たのは首領の手回しだと勘ぐったらしい。私がアシェラッドのそばについて離れないのもあるにしろ、その結論は早計すぎる。

どうやら、というよりやはり。この少年の頭の中はアシェラッドを起点に動いている。仇に情けをかけられまいといっぱいいっぱいなようだ。自分自身の行動原理やらレゾンデートルが親の仇であるということに気がついているのだろうか。

「貴方がアシェラッドの首を取ろうが私は止めないし、仇を討ち果たしても私は貴方を討とうとは思わないですよ。略奪殺しが当たり前なんですから」

差し出されたナイフを鞘に納めて上体を起こしたトルフィンのそばに膝をつくと、観念したように体の緊張と解いた。これでようやく手当てが出来る。手持ちの布袋から薬と布を取り出し、裂傷が目立つところから処置をする。

「頑固や強情は構いませんが、譲歩や許容も必要ですよ」

「あの野郎は許せねえ」

「貴方は頑固というよりバカですね。そういう意味じゃないです。折り合いをつけろと言ってるんです。状況に応じて臨機応変に対応しろってことです。親を殺されたことを許せと言ってるんじゃないです。状況次第で何かに妥協しないと本懐を遂げることも出来なくなる。怪我の手当を拒んだせいで貴方はアシェラッドを討つことすら出来ずに死ぬ。そうならないとは言い切れません」

仇討ちを応援するかのような口ぶりだと感じだのか、トルフィンは眉を顰め、訝し気に問うた。

「てめえどっちの味方だ」

「どっちでもないです」

仇を取ろうが私は干渉しない。だってアシェラッドが貴方に負けるわけないもの、という本音は口に出さず胸の内に仕舞い込んだ。



この女は、どうやらアシェラッドの旧友の孫娘らしい。も俺よりは年上のようだ。どういった経緯で兵団に加わったのか理由は定かではない。興味もなかった。だが、こうして甲斐甲斐しく手当をしている様子を見ているとこちらに敵意があるわけではないらしい。

あのハゲのあとを子犬みたいについて周るこいつは、この戦場において存在自体が希有だ。手当するその姿は幼い頃、戦争ごっこで怪我をした俺に優しくしてくれた母上の姿に似ている気がした。久しい感覚にむずがゆさと居心地の悪さが沸き上がる。

「そもそもなんでこんな所にいるんだ、アンタは」

「子供が生めない体になっているから」

淀みなく答える女は作業を終えて顔をこちらに向ける。穏やで優しさを湛える目が俺を射抜く。この女は弓矢の名手で目がいい。

「嫁いだところで、私は子供が生めないんですよ」

ノルドにおいてまず丈夫な子が産めることが嫁入りする女にとって欠くことの出来ぬ要素であり、大前提であった。それが出来ないとなれば、言うまでもない。

「物好きでここに身を置いてるわけじゃないんですよ。今じゃ慣れたし”住めば都”ともいうし居心地は悪くないけど、最初は自分が疎ましくて仕方がなかったんです」

新しい命を育むことが出来ない体。足掻いても男に勝ることはない身体能力。どっちつかずの中途半端な存在は、生きるか死ぬか、奪うか奪われるかのシンプルな世界に身を置くことを選択した。幸か不幸か戦う方法と素質はあった。

山育ちで養った並外れた視力の良さと、弓矢で遠距離からでも標的を射られるだけの膂力を持つ。身の危険に晒されもしたし重篤な傷も負った。自ら命を絶つ覚悟も戦死する覚悟も、とうの昔、戦場に出る時点でしていた。しかし、幸か不幸か寸でのところで命を繋いだのだという。

「故郷に戻ったところで出来ることがあるわけでもなし、だったら少しは役に立てるこちらにいた方がまだいいんです。男だらけの環境下で少しばかりでも女の真似事が出来るから、惨めではないんです、きっと」

言葉を失っていたのはアリアドネの境遇に驚いたり胸を痛めているからじゃない。会話があったとはいえ互いに踏み込んだやりとりをしていなかった。そんな自分にこの女が己の感情を吐露するのがあまりにも不思議で不可解な言動だったからだった。沈黙をなんと解釈したのか、少しばかり気まずそうに、「故郷で目の上のたんこぶ扱いされているわけじゃないですから、そこは誤解なきように」とつけたす女は薬と布を片づける。

「トルフィン、くどいようですが無理はだめですよ」

解けないよう布を結んでいた手を掴んだ。欠けた爪にささくれだらけの指先。それでも自分のものよりかはいくらか細い。手を掴まれて、弾かれたように上げた顔には驚きと戸惑いがごっちゃになった表情が浮かんでいた。

「昔のことを、母上のことを思い出した」

「?」

「女の真似事じゃねえだろう」

あんたのそれは。最初こそ嫌煙したが、この兵団の連中にされる手当よりはずっと優しいはずだ。懐かしさを覚えていたその手つきは確実に女そのものだった。

「………」

きょとんをして固まっているアリアドネ。握った手を離そうかとしたとき、アリアドネが俺の手を小さく握り返した。

「そんなこと、初めて言われました」

困ったように眉を寄せ、照れくさそうに視線を外して微笑むアリアドネは、女特有の柔らかい顔をしていた。


20161223
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