物言わぬ王
※8巻
※ネタバレ注意
スヴェン王の首と体を両断したあと、群がってくる衛兵を片っ端から切り捨てていくアシェラッドを眺めていたトルケルはひどくふてくされている。
「オレは知らねえ」
次いで、「やらねえからな」と続ける。肉にかじりつきながらけじめをオレにつけさせるのはお門違いだと鼻を鳴らす。
「あいつはお前の手下だろうが。飼い犬の始末は飼い主がつけてやれよ」
アシェラッドは、ウェールズの地を、彼の母君の故郷と、クヌートを救う最も確実な選択肢を取ったに過ぎない。取りかけた剣の柄から手を離し、取り乱した自分を恥じた。そして猛り狂い乱心のふりは王殺しの罪を一人で被るためであり、私に出来る事は、もう何もない。迷いのない剣一閃で死へと突き進む様を、黙って静かに見守るしかないのだ。
「アリアドネ、それを」
「っ、」
腰に提げている剣を寄越すように促され、身構えた。一瞬でも「お前がそれで殺れ」と解釈してしまうほどに、私は混乱して、思考も行動も、何もかもが浮き足立っている。それを差し出せというクヌートから距離を取った。
「これで、彼を刺すのですか」
クヌートは手を差し出したまま答えない。
「私の手から渡した剣で、彼を」
「私がやる」
「それなら、これである必要など」
ないでしょう。言葉尻はしぼみ、声が震える。その間にもアシェラッドは衛兵を切り捨て、広間は死屍累々の様相になりつつある。
「そなたの故郷もウェールズであろう、アリアドネ」
彼の死なしには成立しないのだ、と言われるまでもない。そんなこと理解している。分かっているから、怖じ気付いている。声を荒らげそうになった。私に、止めをさすそれに加担しろと言うのか。
「渡せ」
広間に押し入って来たトルフィンに「来るな」と言ったほんの僅かな隙だった。アシェラッドの口から鮮血が吹き出る。鮮やかではなかった。両手で柄を握るその切っ先はまだ頼りなかった。それでもその剣はすとん、とそこがあるべき場所であるかのようにおさまった。
「人を刺したのは初めてか」
己の体の一部になった剣に手を添えたアシェラッドは、血飛沫を浴びた顔に精悍な笑みを讃えてクヌートに言うのだった。想定通りに事が運び、予想と違わずそうなったことに喜びを感じているかのようにも見えた。
「上出来だ」
抜き去る剣とともに、重力に従ってアシェラッドの体が傾ぐ。どう、と彼の体が地面に仰向けになった。
*
王に刃を向けた謀反者として処罰されるのは明らかだった。トルフィンの手から離れ、床にぽつねんと取り残されているナイフは、誰も目にも留まらない。背を向けるクヌートと、腑抜けと化したトルフィンが引きずられていくのを、呆然と見ているしか出来なかった。
「王殺しの賊め」
ただの亡骸と化したアシェラッドを足蹴にする衛兵から隠すように、身につけていたローブで彼を覆う。天井の一点を見つめて息絶えたアシェラッドの血にまみれる顔面を、申し訳程度に拭い瞼を下ろし顔まで覆った。
「アシェラッド」
途端に涙が溢れてローブに染みを作った。彼のために腕を磨き、彼のために兵団に身をおき働いた。存在理由が消えた今、何を拠り所にして生きていけばいいのだろう。
「私は、誰に仕えればいいのです」
敬愛していた貴方を置いて、先になんて進めません。トルフィンと同じ言葉を私にも言うのですか。こんなところで引っかかってないで先に進めと、言うのですか。
―自分の仕える王は自分で決めるもんだぜ、アリアドネ。
「お前は見て知ってるはすだぜ。忘れなさんな。俺がクヌートに仕えたようにな」
聞こえるはずのない声に弾かれるように顔を上げた。彼はどうしてクヌートに仕えるに至ったのか。その経緯を見たのはトルフィンだけではなかった。
「…ありがとうございます、アシェラッド」
私は、貴方を敬愛してここまで来ました。貴方は、マーシアの地でクヌートに王の気質を見出し仕えた。貴方が命を賭した彼に仕えて、私はその果てを見届けます。
失ったものは途轍もなく大きい。彼がいないこの先のことを考えると胸が張り裂けんばかりだった。亡骸を前に、一緒に添い遂げることが出来たらと、考えていた。でも、生きろと言うのですね。先に進めと。
「アシェラッド、貴方は私の王でした」
熱い涙が頬を走る。彼の声は、もう聞こえなかった。
20150411