かすかな感傷となぐさめ
ファーストコンタクト前、アニメ2期4話前くらいの時間軸です。前半にモブと微エロ、後半に少しグロい描写があります。苦手な方は注意。


薄暗い寝屋の中。アリアドネの隣にいた男が不意に呟いた。

「拾った鳥の様子はどうだ」

「傷の痛みも治ったみたいでだいぶ落ち着きました」

昼間の出来事だ。大きな動物に襲われて翼を怪我していた幼い鳥を保護した。

「早めに小屋を作ってやらないとな」

「いつもありがとうございます。わがままを聞いてくれて」

動物を放っておけずについ連れ帰って来てしまうアリアドネの癖を嫌な顔ひとつせず、また拾ってきたのかと笑いながらこの男は受け入れた。男は半身だけ体を起こし大きな手でアリアドネの頭を撫でる。

「わがままじゃないさ」

目の前にいる男は昔からの顔馴染み、幼馴染というべき人物だった。名はヨルゲン。つい二ヶ月ほど前、アリアドネはこの男の妻になった。頼られたり困っている人を見ると放っておけない質の、怒っているところを見たことがない穏やかでよく働く性分の男だった。

鳥小屋を作って欲しいと言えば二日と明けずに作ってくれる。何に関してもアリアドネの頼みとなるとヨルゲンは真っ先に対応するし、二言目には「他に必要なものはないか」とか「困ってることはないか」と声をかける。

「どうしてこんなによくしてくれるんです」

「決まってるだろ」

ヨルゲンは幼少期から一途に思いを寄せていたが、当のアリアドネは海の向こうにしか興味がなく隣村にいる同い年の少年としてしか認識していなかった。その思いを報されたのは婚姻間近になってからだった。ヨルゲンはただただアリアドネを第一に考える愛妻家だった。

「お前だからだよ。お前に頼まれたら、お願いされたらすぐに答えたくなるんだよ」

「私だから、ですか」

「そうだ。お前だから。それ以外にない」

目の前に広がる海の向こうに囚われていたアリアドネは、嫁ぐ相手がヨルゲンだと知ってから初めて己のいる環境を思い返した。倹しい土地ながらも生活するには事欠かない。跳ねっ返りのじゃじゃ馬だった自分を長年好いてくれていた男がいる。嫁いで子供をもうけ家族をなす。女としてごく当たり前の未来がそこにあった。

ずっと戻って来ない人を待つのに、どこかで疲れを覚えていたのかもしれない。思い焦がれた人は思い出の存在として胸に刻み、この国で生きることを選んで水平線の向こうに思いを馳せるのを止めた。

ふと、隣で横になっていたヨルゲンが体を起こしてアリアドネの腕を掴んで引き寄せた。

「なあ、もう一度いいか」

「ふふ。またですか」

「笑うなよ。嫌か?」

「いいえ」

「そう言ってくれると思った」

最初こそ内臓を拓かれるような感覚に戦慄いたものの、夜を重ねるうちに自然とヨルゲンを受け入れられるようになっていった。

いつもと変わらずアリアドネを第一に考えて事に及ぶヨルゲンの手つきはどこまでも優しかった。毎日が、毎時間が、顔を合わせているこの空間も全てが大事なのだと噛み締めるようにヨルゲンは囁く。言葉の端々から、行動の一つ一つからアリアドネはヨルゲンに愛されていることを実感した。

「アリアドネ」

触れる手が、囁く声が、何もかもが優しい。アリアドネはヨルゲンの太く厚いあたたかな腕の中で思った。

――人に愛されるというのは幸せなことだ。

陽が昇り、陽が落ちる。その繰り返しの日々の中でアリアドネはヨルゲンの手を取り、ヨルゲンと語らい、ヨルゲンと暮らし、ヨルゲンと床を共にした。ヨルゲンはアリアドネの意見に耳を傾けて、その意志を尊重した。

仲睦まじい二人のあたたかな幸せは長くは続かなかった。

ヨルゲンが病に倒れ、坂を転がり落ちるように悪化して回復の兆しもなく死んだ。僅か四ヶ月の夫婦生活だった。

ヨルゲンの両親、兄弟姉妹とともに悲しんだ。泣いた。遺されたアリアドネは、ヨルゲンの墓の前で茫然自失としながらも忘れかけていたものを思い出していた。視線は水平線の向こうを捉えそうになっている。
見てはダメだ。

目を逸らそうと、気を散らそうとした矢先のことだった。

「あなた、月の物は来ているの?」

姑の言葉が最後の一押しになった。自分の体には何も宿せないことを知って、無視をし蓋をして見ないように考えないようにしてきた本当の願いが吹き出す。押し殺してきた気持ちが膨らんで、溢れ出して止まらなくなった。

アリアドネをウェールズに繋ぎ止めるものはなくなった。

アリアドネがウェールズに留まる理由はなくなった。

何もなくなったアリアドネの胸の奥底に眠っていた願い。

あの人物との再会だった。

アリアドネは悟る。

再び会うためにはここから出ていくしかない。

思い至って僅か数日後。夜も明けぬうち、誰にも別れを告げずアリアドネはウェールズを発った。





「おい、おいっ! アリアドネ! なにやってる!」

肩を揺さぶられ名前を呼ばれて我に返る。アリアドネの頭上で声を張り上げていたのはアスゲートで、剣戟や矢の降り注ぐ音や叫び声に負けじと怒鳴っている。額に飛び散ったように血がついているが彼のものではない。

「しっかりしろ! この期に及んで血に驚いたなんて言うなよ!」

「おい弓使い! こっから弩隊を狙えるのはアンタだけなんだよ!」

アスゲートの声に続いて隣にいた兵士も声を張り上げている。他の弓兵は散り散りになっていてうまく統率が取れない、と悲鳴に似た声で懇願していた。

切羽詰まる状況にも関わらず、アリアドネは足元に転がる死体を見ていた。深く抉られた首筋の傷からはまだ血が勢いよく溢れ出していた。

アスゲートの顔面と同じように自身の服や弓、顔にもべっとりと血が付着している。この血は足元に転がる死体のものだ、とようやく気がついた。

「ああ……」

つい先ほどまで隣にいた弓兵の一人で、弩の矢が喉元を引き裂いた。瞬きをする間に男は死体になった。死体の目元にヨルゲンの面影がある。そう思ったのは一瞬で、きちんと見れば似通ったところなど一切なかった。死体の瞼を下ろしてやったあと、顔から滴り落ちる血を手の甲で拭いながらアスゲートを見遣ってアリアドネは弓矢を構えた。

「すみません。少し呆けてました」

「そうかよ! 起きたんならさっさと射手を仕留めてくれ!」

「善処します」

鋭い弓の弦が鳴る音と共に矢が飛んでいく。周りで息絶えている仲間の矢筒から矢をかき集め、狙いを定めては射る。途中から散り散りになっていた弓兵が少しずつ弩隊の射手を仕留めていった。拮抗する戦いを制し、敵兵を退けるに至ったクヌートの兵たちは勝鬨の声を上げている。

雄叫びを上げる仲間とやや距離をとっているアリアドネの表情は浮かない。足元を見遣れば、つい昨日まで共に食事をしていた仲間たちが地面に転がっている。いつも気にかけてくれた者、顔を合わせる度に弓矢の勝負を挑んできていた若い弓兵、アリアドネが死んだ娘にそっくりだからと「こんなところに居ねえでさっさと嫁に行け」が口癖だった初老の槍兵も、みな血塗れの肉塊になっていた。

敗走していく敵の姿を横目に、負傷した仲間に声をかけ肩を貸して宿営地まで戻った。怪我を負った仲間たちの手当てをして回ったあと、痛みに呻く弓兵の隣に腰を下ろす。また今日も顔見知りがたくさん死んだ、と悶々と考えだそうとしていたときに負傷した弓兵がアリアドネに懇願するように声をかけた。

「腹が痛え……なあ……トドメ頼んでいいか……」

「何を言ってるんです。スープでも飲んで寝てください」

「千切れそうに痛えんだよ」

服を捲り腹の様子を見た。包帯に血はほとんどついておらず、止血されている確認がとれる。うじうじと泣き言を言う弓兵を見遣ってアリアドネは呆れたように息を吐いた。

「全然深傷ふかでじゃないでしょう。それ以上弱音を吐くようでしたらわたしがこの腹を千切りますよ」

「わ、悪かったって……」

大袈裟に痛がる仲間をいなして一息ついているとアリアドネのもとにアスゲートがやってきた。

「大丈夫か。さっきはひでえ顔してたぞ」

戦闘中に呆けていたことを指摘されアリアドネは気まずさから視線を外した。

「昔のことを思い出してました」

「あの戦いの中でか?」

「はい」

「呑気なもんだな。ま、あんたの前の首領が指揮を執ってたとしたら少しは戦術も違っただろうな」

実際、アスゲートの言う通りだろう。アシェラッドが存命でクヌートの臣下として、或いは軍師として戦いの指揮を執っていたら戦況は違うものになっているはずだ。アスゲートの意見には同感だった。

アリアドネの認識する“昔のこと”が少しばかり行き違っているとわかったが特段訂正はしなかった。

「おまえさん、ちょっと痩せたな」

「そうですか?」

「というよりやつれてる」

アリアドネに自覚はなかった。食事もそれなりにしているからやつれるはずがない。血や汗やら土埃のせいでそう見えるだけだろう。普段なら「数日前にやった厳しい剣の稽古のせいだ」と上手い言い訳を考えて躱すところだが今日に限って言葉が出て来ない。

「ここのところ眠りが浅くて。そのせいかもしれないです」

「なるほど。だから寝てたのか」

「起きてましたが?」

アスゲートはアリアドネの隣に腰を下ろすと皿を差し出した。手渡されたスープをぼんやり見ながらアリアドネは口を開く。必要はないと考えていたがふと、話し始めてしまった。

「倒れた弓兵が昔の知人に見えてしまって」

「知人?」

兵団の仲間だったならそう言うだろう。妙に思ったのかアスゲートは首を傾げたがアリアドネは無視して続ける。

「ちゃんと見れば全然似てなかったんですが、知人に似てると思ってしまったのは確かで。それで、昔のことを」

「昔ってのは、兵団にいた時よりも前か」

「……ええ。私がまだ故郷にいた頃です」

アリアドネは数秒考え込んだ。知人と言えばいいはずだったがどうにもその気になれなかった。このささくれたような、それでいて湿っぽい感情のせいで湧き上がった思いを吐露したかった。

「知人、と言いましたが訂正します。夫を思い出しました」

「夫? アンタ結婚してたのか」

「厳密には元夫です。亡くなってもうだいぶ経ちます」

互いに踏み込んだ話をあまりしていないのでアスゲートが面食らうのも無理はない。驚いているのを横目に、アリアドネは己の胸中を静かに語る。

「こんな性分の私を好いてくれる稀有な人でした。夫に大事にされてました。愛されてました。私も夫を愛していました。そう思ってました」

惚気じゃねえか、と思ったが続く話を聞くとそうとは言えないらしいと察したアスゲートは口を噤んでいる。

「夫を愛していたのなら、故郷に留まっていたでしょう。でも私はじっとしていられなかった。彼に、どうしても会いたかった」

顔を上げたアリアドネは遠くを見つめていた。ここには存在しないものに想いを馳せている。アリアドネが口にした「彼」という存在に思い当たる人物は一人しかいない。

「会いたかった、てのはアシェラッドにか」

「はい。子供の頃に別れてそれきりで。どうにか会えないものかと考えて幼少期は一人で国を出ることばかり考えてました」

「はは。そりゃ筋金入りだな」

ふむ、とアスゲートは顎髭をいじった。

トルケル軍がアシェラッド兵団のほとんどを駆逐したあと、ともにしたのはわずかな間だった。その間に見聞きしたアリアドネのアシェラッドに対する言動は妙に従順だった、とアスゲートは思い返していた。

クヌートがまだ皇子だった頃。アスゲートはヨークの町でアリアドネとともに行動を共にした時のことを思い出した。用向きは奴隷の調達。指示を出したのはトルケルとともにクヌートの配下となっていたアシェラッドだった。アリアドネは指示の意味するところを、彼がどんな理由で以て「金髪の奴隷を買って来い」と言ったのかを思案し続けていた。

「夫を思い出すなんて」

アリアドネの声は低い。

「とうの昔に、故郷を出る時に気持ちを清算したつもりだったんですが実のところまだしきれてなかったようです」

アシェラッドを追い故郷を飛び出したことに後悔はない。区切りをつけたはずの思いが、感情が蘇った。ただそれだけ。でもそのさざなみはいつの間にか大きな波になっている。決して口にしてこなかった過去をアスゲートに打ち明けてしまうほどには動揺していた。

「意外だな」

「そうですか」

「戦闘好きの頭がイッてる奴にはまるで見えなかったから事情はあるんだろうとは思ってだが。……いや、一人の男を追いかけて来たなら酔狂であることには変わりねえか」

「そうかもしれませんね」

「しかしここまで一途な女を無視するかねえ、普通」

「やめてくださいよ」

そばにいられただけで幸せだったのだと呟く。アシェラッドに関わる話になるとアリアドネの表情は少しばかり綻ぶ。

「欲がねえ奴だな」

「いいえ。欲しか、願いしかなったから彼に会いに来たんですよ。でももういいんです」

願いは叶うはずもなかったのだが、とは口にしなかった。

「他に知ってる奴は」

「誰にも打ち明けたことはなかったです」

「話してよかったのか」

「本音を言うと話す必要はないと考えてたんですが、あなたなら誰彼構わず吹聴したりせず腹の内に留めてくれるかと思って」

「そうか」

二人は黙り込む。

ある程度、信頼しているとはいえ互いに知らない部分が多い。それでも気が置けない人物である。その認識は共通している。妙な会話をしたなと思いつつもそれが嫌なわけではなかった。

「スープ、足りるか」

「はい。ありがとうございます」

何気ない会話で普段の二人に戻っていく。少しばかりプライベートに踏み込んだ昔話などなかったかのように。アスゲートはこれから先、アリアドネの生い立ちなど知らぬ顔をする。だから気を遣ったり態度を変えない。アリアドネも、アスゲートの生い立ちなどは全く知らない。わかっていることといえばトルケルと付き合いが長いことくらいだった。だが積極的に話して欲しいとは思っていない。今の関係で充分だからだ。

「そういえばトルケルの姿が見えませんね」

「大将はあっちの方で戦闘がまだやってるって手当てもそこそこに突っ込んで行っちまったよ。全く元気なもんだ。とっくに戦闘は終わっているからまだ暴れ足りねえって暴れてんだろうよ」

「食事より戦争が好きそうですしね」

「飯も好きだがな、大将は」

「そうでした。迎えに行きますか?」

「あー……駄々捏ねてるだろうから気が向かねえが仕方ねえな。手伝ってくれるか」

「ふふ。もちろんです」

戦場に似つかわしくない柔らかく気の抜けた笑い声を漏らしながら二人は立ち上がり、トルケルがいるであろう方向に向かって歩き出した。

「アスゲート」

「ん?」

「助かりました」

「気にすんなよ。スープくらいまた持ってきてやる」

「できたら肉多めだと嬉しいんですが」

「あ? 優しくしたらつけ上がりやがって」

「冗談ですって」

遠くの方でトルケルが腕を振り回しているのが見えた。「もっと戦わせろ戦い足りん」と文句を言う声が聞こえる。アスゲートと顔を見合わせて、予想が当たったと笑い合った。


アスゲートはアリアドネの過去を聞いても態度や見る目が変わったり色をつけたりしないだろうと思って(願望)


20231104
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