ファーストコンタクト
※時系列を無視してるかもしれない描写があります。
※モブの名前がたくさん出てくる。ゴメンね。
つい三日ほど前のこと。トールギルは同じ従士団に属している友人のイェルハルドと顔を合わせる機会に恵まれ酒を呑んでいた。
「久しぶりじゃねえか。ウルリクやオットーは元気か」
「それなんだが」
向かいに座るイェルハルドの表情は暗い。何かあったのかと聞けば、重たげに口を開いた。
マーシア伯領とデーンローの境界付近での戦闘のあとのこと。イェルハルドはウルリクやオットー、他数人と仲間たちと略奪行為を行っていた。乞食の中から売れそうな女を探すのは至極当然の行為だ。
たまたま見つけた女の外見は整って気品があり、売ればそれなりの値段が期待できそうだった。その女は略奪者から幼い子供を守るように抱えていた。引き剥がされそうになった子供は手足をバタつかせて体を捩りながら反抗して、仲間の腕からすり抜けて女の元へ戻った。女も子供を庇いながら甲高い声を上げて激しく抵抗をしていた。
――耳に障るから黙らせようぜ。ガキがいなければ少しは静かになるだろ。
ウルリクの提案に乗った仲間たちとともに、子供に縄をかけて吊るし首にした。今にして思えばやり過ぎだったのかも知れねえ、とイェルハルドは呟いた。
「でも王の命令に背いてる、なんて言う奴は一人もいなかったんだよ。周りも俺らと同じようなことしてたし」
「だろうよ」
イェルハルドは角杯に入った酒を飲み干して話を続けた。酒が入ると陽気になる男だったが今日はその気配がない。
「俺らが子供がもがいてるのを笑って見てたらどっからか矢が飛んで来た。その矢が子供を吊っていた縄を切って、ウルリクの肩に刺さったんだよ」
振り返るとなだらかな坂の上に一人の弓矢を持った女が立っていて、早足で歩いてきたらしい。その女が従士だと分かったのは仲間の一人が耳打ちしてきたからだった。
トールギルは突然出てきた女の存在に目をすがめる。
「そいつが狙って矢で縄を切ったってのか?」
「ああ」
「そんでその矢でウルリクの肩を、ねえ。どんな腕してんだ? その従士」
「……あいつ、そのあと、乞食の女を足蹴にしていたオットーの頭を撃ち抜きやがった」
イェルハルドは苦々しそうに呟いた。
オットーは抵抗する間もなく、射られた衝撃でそのまま仰向けに倒れた。周りの奴らは口々に女従士を非難しようとしたが、口を開こうとした瞬間にはもう矢を番え狙いを定めていた。全員を鋭く睨んで「クヌート陛下の命令に背くのであればこの矢で頭を射抜いた後、首を刎ねて道に並べます」と淡々と、それでいて力強く言ったらしい。
道の向こうでは、自分達と同じように略奪を行っていた者たちが捕まり首を刎ねられているのが見えた。仲間たちは分が悪い、とそそくさと駆け足でその場から逃げ出した。
「で、ウルリクが別の日にその女従士と鉢合わせしたらしいんだ」
「ほう」
「肩の調子はどうです、と声をかけて来たんだと。女従士はあの場にいた奴の顔と名前をばっちり覚えていやがったらしくて、釘を刺してきた」
「なんて言ったんだ、その女従士」
「今後同じようなことをするなら警告なしにその眉間を射抜きます、だとよ」
見つからなければなんのことはないはずだ。そもそもだだっ広い戦場で略奪をしたところで、女従士の目が届くはずがない。誰がどこで何をしているかなど分かりようがない。にもかかわらずウルリクはその後、一切略奪に加わろうとしなくなった。
戦利品を我が物にして何が悪い。女の忠告など無視していればいいものを。
そう思いながらトールギルは角杯を傾け、同時に思案した。
ウルリクが怖気付くとは、女従士は一体何者なのか。
*
そんな話を思い出したのはつい数メートル先を女が横切ったからだ。周りの兵士たちと比べれば一回りほど小さな背丈の、少し髪の短い女。羽織ったマントの間から弓矢を携えているのが見えた。イェルハルドが言っていたのはこの女か、とトールギルはすぐに判断がついた。
「おい、そこの女」
「はい?」
トールギルは振り返った女を見て違和感を覚えた。どんな強者かと思ったが、目の前にいるのはどこか愛嬌を感じる顔つきをしている女だった。図体が特別大きいわけでもなく、人を萎縮させるような険しさも感じられない。
「私に何か用ですか」
「弓矢はお前のものか?」
「はい」
「それならお前で相違ないな」
「どういう意味です?」
「従士の中に腕のいい女弓使いがいると聞いてな」
どんな奴かと顔を見に来た、と言えば聞こえがいいが実際はただ出会しただけである。だが、女はトールギルの言葉を疑いもしない。
「そうですか。私の話をどこで聞いたんです」
「従士団に所属している奴からだ。どんな的でも射抜くらしいじゃねえか。ウッルの化身みてえだとか」
子供を吊るしていた縄でも、とは言わなかった。この女が今までにどのような的を射抜いたかなど知らなかったし聞いたこともなかった。
「兵の間ではそんな風に言われてるんですか。なんだか照れくさいですね」
照れている素振りを一切見せずに女は笑う。己の腕前は当たり前のものだと確固たる自信があるように見受けられた。そしてひとしきり笑ったのち女は静かに呟く。
「で、私の腕のことを言ったのはイェルハルドですか。トールギル」
「なんだと?」
トールギルは思わず声が大きくなった。自身だけでなく、よく連んでいる男の名まで出てきたのが不可解だった。
この女はどうして自分と仲の良い人者の名を把握しているのか。
名乗っていないし、以前どこか会ったかと思考を巡らせたが思い当たる節はない。トールギルの雰囲気から自身に対する疑念や疑問を抱いているのを感じ取ったのか、女は弁明するように続ける。
「あなたと彼が話しているのを以前見かけたので近しい仲かと思ったんですが。違いますか?」
「違わねえ。あいつとはよく酒も呑む」
「そうですよね」
女はにこりと笑う。己が見たものに相違がないことを確認するような反応に、トールギルは自分が女の掌の上で転がされているように思えてきた。全くもって居心地が悪い。
「どうして俺を知ってる」
「従士団に所属している者たちの顔と名前は全て覚えていますよ」
「何? 一体何人いると思ってるんだ」
「目が良いんですよ、私」
目元を人差し指でトントンと叩きながら女は口元を少し緩めた。笑った顔は柔らかく、ますます従士として働く立場の人間には見受けられない。
「目がいいだけで覚えられるわけがねえだろ」
「そうでもないですよ。実際にあなたの名前を覚えていたでしょう。一度見た者の顔は違えませんし名前も覚えます」
トールギルは信じ難いと思ったが、初対面で名前を呼ばれたのだから強ち嘘ではない。法螺でもハッタリの類でもない、というわけだ。
「お前、名前は」
「アリアドネです。どうぞお見知り置きを」
そう言ってアリアドネは踵を返して歩いて行った。
トールギルはアリアドネから強さなど感じなかった。寧ろ容易く捻り潰せてしまいそうな印象を受けた。従士らしさのない普通の女のようだったのに、この違和感はなんだろうか。
――あの女従士は何かを隠してやがるな。
何のために従士団の兵の顔と名前を一人残らず覚える必要があるのか。ただの従士のフリをしている、何かを企てている腹の内が読めない女弓兵。向こうが優位に立っているように感じるのは、知らぬ間にアリアドネがトールギルに関する情報をある程度まで把握しているからだ。それにアリアドネの話が本当だとすると、イェルハルドたちは略奪をする前から顔と名前を覚えられていたことになる。
「一体いつから俺を知ってやがったんだ? こっちは今日初めて名前を知ったってのに。見透かしてるみてえで気味の悪い女だ」
トールギルは舌打ちをしながら腕組みを解いて歩き出した。
ウッル(あるいはウル)は北欧神話に登場する狩猟や弓術、スキーなどを司る男性の神のこと。
20230623