謀略の盤上の駒たち
※単行本7〜8巻辺り


「奴隷を一人買ってこい」

ヨークに着いてすぐ、アリアドネはアシェラッドに用を言い渡された。なんの前触れもなく指示を出すことは今までにあったが使い途の想像がつかないことはあまりなかった。

「長い金髪の奴だ。選ぶのはお前がやって、実際に買うのはトルケルの部下だ。顔が割れない方が都合がいいからな。もう話はつけてある」

「長い金髪…? 女性の奴隷ですか?」

「ああ。なるべく品が良いのを頼むぜ。ほれ金だ」

核心を突かない曖昧な要求に事情を聞いても「後で話す」としか返ってこず少し釈然としないまま承った。トルフィンはクヌートの護衛についていて自由に動ける者は少ない。白羽の矢が立ったアリアドネはトルケルの部下と奴隷市場に行くことになった。

「ようアリアドネ」

「アシェラッドから話を聞いてると思いますが部下を二人ほどお借りしたいんです。手隙の方はいますか」

トルケルの顔を見て話そうとすると首が痛い。あまりに体の大きさが違うせいでトルケルとアリアドネは熊と鳥ほどの差がある。その小さい鳥を見て熊はにっこりと屈託なく歯を見せた。

「聞いてるぜ。市場に行くんだろ。おうい、アスゲート。ちょっくら買い物行ってきてくれ」

「俺が? アリアドネ、アンタ一人じゃ持てないもんでも買うのか」

「理由は道中で話します」

「ヨルンドも連れてけ。アイツ値切りが上手いから」

「ありがとうございます」

「で、何買うの? 酒?」とトルケルは能天気に言う。トルケルを満足させるだけの酒を持ってくるのは骨が折れるからあと十人は手下が欲しいとアリアドネは笑った。


「品の良さそうな長い金髪の奴隷? なんだそりゃ」

雪が溶けて泥でぬかるむ道を歩きながら事のあらましを説明した。アスゲートは妙な指示に眉を顰める。

「詳しくは教えてくれませんでした。あとで話す、と濁してそのままです」

「なんで奴隷を買う必要があるんだ。御前会議の前に王に贈呈してゴマを擦っておこうって魂胆か? いや奴隷の女を贈ってどうする」

「スヴェン王のご機嫌取りではないと思うんです」

「だよなあ」

人の往来が増えた道に出て、賑わいのある方へと一行は進んだ。手錠と足枷をつけられた奴隷たちがいる人集ひとだかりをアスゲートとアリアドネは注視しながら通り過ぎた。目当ての奴隷はいない。

「機嫌伺いじゃねえし、飯炊きも困ってねえ。夜伽をさせるでもなさそうだ」

「長い金髪……。殿下と似た奴隷を探してこい、ということでしょう」

「……影武者か」

剣呑な言葉で俄かに緊張感が走る。

「他に使い途がありません。でも変です」

「戦さ場でもないのに影武者が要るか?」

「そうなんですよね……」

確信を明かさない割には容姿を指定して奴隷を買えと言う。アシェラッドの口から「今はまだ話せない」と出た時点で使い途は想像がついただろう。アリアドネは浅慮だったと肩を落とす。

奴隷を売ってるいくつかの人集りを見てようやく目当てを探し当てた。他にも見て回ってる間に買われては堪ったものではない。健康で整っている奴隷は買い手がつきやすい。

「長い金髪、上品な顔立ち。あの人はどうでしょう」

「いいんじゃねえの。王子によく似てる。ヨルンド、柱の近くに立ってる金髪の女奴隷買ってこい」

「うぃーっす」

やる気のない返事をしたトルケルの手下に金を持たせてアスゲートとアリアドネは市場の隅で事の成り行きを見守っている。しばらく二人とも黙っていたが口を開いた。話の種は奴隷の使い方だ。互いに腑に落ちない。

「影武者を用意するなら暗殺が前提だよな。おかしな話だな。王が御前会議の前に第二王子を殺すか?」

「仮に暗殺が考えられるとしてもアシェラッドが悠長に影武者を準備するはずがないですし、スヴェン王が割に合わないことをするとは思えません」

「時機じゃねえよな」

「私でも悪手だとわかります」

考えられ得る奴隷の用途の候補が挙がっては消えていく。アスゲートとアリアドネは揃って眉間に皺を寄せて唸りながら人の流れを見ている。商品を求めて歩く人波の向こうで商人とヨルンドのやりとりがヒートアップしていた。会話は聞こえないがヨルンドの勢いがやや優勢らしい。どうにもならん、と先に折れたのはアスゲートだった。

「奴隷を連れて行ったときにもう一度聞いてみればいいんじゃないのか」

「いえ、アシェラッドの考えていることは言われなくても察しておきたいんです」

「まるで度の超えたフリークだな、アンタ」

ほかに考え得る方法はないものかと頭を捻るアリアドネを見てアスゲートは苦笑いを浮かべた。

アシェラッドのやらんとすることが曖昧なのに憶測をしても的外れな見解しか出てこない。結果堂々巡りになる。意図を明示されない命令ほどやりにくいものはない。

「アンタのかしらは何を考えてるかさっぱり読めん」

商人と長いこと口論していたヨルンドは提示された額の三分の二で女奴隷を買ってきた。顔立ちも気品があり髪の毛も傷んでおらず、アシェラッドが求めた通りだった。地方豪族の姫のような雰囲気に、どういう経緯を経てここにいるのかとわずかな間だけ考えた。

「どうした」

「なんでもありません。戻りましょう」

言葉があまり通じなかったが容姿さえ違わなければ問題ない。アリアドネは震えている女奴隷に自身のマントをかけてやった。不安そうにしていた女奴隷はその物腰に少し警戒の色を薄めて歩き出した。



珍しく晴れた空の下、アシェラッドの怒号で事態が急転する。

「射たれたぞォー!!」

深々と胸に弩の矢が刺さっている。苦しそうに喘ぐ口の端から血が滲み出して量が増えていく。昨日買った女奴隷は虫の息だった。誰が見ても助からない。

「あれ、やっぱ王子って女だったの!?」

「馬鹿者。私はここだ」

別船から移ってきたクヌートと女奴隷は遠目で見れば瓜二つ。配下たちは慌てふためいて両者を交互に見てあわあわと落ち着かない。アリアドネは自分で選んだ奴隷の顛末を見遣る。涙を浮かべて血に塗れ悶えている。

止めを刺すべきか否か。大勢が見ている前で、影武者とはいえ王子のなりをしている者の喉元へナイフを突き立てるのか。などと逡巡している間に、クヌートが女奴隷の手を取っている。心痛と憤りから眉間の皺は深い。

「済まぬことをしたな」

言葉を理解していないがそれでもクヌートの言わんとすることだけは態度で女奴隷には伝わったらしく、自身とそっくりな出立ちの王子をジッと見返している。

「その者を労ってつかわせ。できる限りのことを施すのだぞ」

矢が深く突き刺さった胸が浅く上下する。血の気が引いていく女奴隷は近くにいたアリアドネを見た。買われた自分にマントをかけてくれた人。その程度の認識だろうが凍える奴隷を気遣う者は少ない。

できる限りのことを施すのだぞ。

クヌートの言葉が耳に残っていたアリアドネは女奴隷の手を取り額の脂汗を拭きずっと側にいてやった。配下たちのせめてもの手当ても虚しく女奴隷は間も無く息絶えた。

「日頃の用心が功奏しましたな、殿下。影武者がいなかったらどうなっていたことか」

スヴェン王につくフローキを前にアシェラッドは大仰に声を張る。

「あなたに仇なさんとする者が潜みおるようですな」

アシェラッドはこの町で小芝居をうっていた。アリアドネは図らずも小道具を揃え血生臭い舞台に上がってしまっている。薄暗い部屋に集まるのはクヌートの配下たち。アシェラッド、トルケル、アスゲート、グンナルそしてアリアドネ。トルフィンの姿はない。

「王子暗殺を自作自演したってことか」

隣に座っているトルケルが驚きと感心の交じった声を上げた。

「なるほど。男では身なりが似ないから女奴隷が必要だったんですね」

「そういうことだ。あまりにそっくりな奴隷を見つけてきたから俺はびっくりしたぜ。アリアドネよく探し出したな」

アシェラッドは計画を話した。影武者として使うのではないか、と推測した時点で死ぬことは決まっていたのだ。知らなかったとはいえ結果として女奴隷の死の道案内をしたことになる。育ちの良い、凛々しい顔立ちを思い出した。他に奴隷を探せばよかったのではないか。だがクヌートの命をには変えられないし必ず誰か一人が犠牲にならねば成り立たない。奴隷の死は致し方なかった。

「ん? 不機嫌だなアリアドネ。おこなの?」

「まさか。驚いただけですよ」

トルケルの少しからかうような問いにアリアドネは素っ気なく答えた。

影武者だろうとは想像していたがああいう使い方をして凌ぐのか。

ウェールズの首領の末娘として生まれて好き勝手に戦さ場を駆けてきたアリアドネは腹の内の探り合いや騙し合いの類いに強くない。ヨークの町はスヴェン王の膝元。座して待つだけでは首を絞めるだけだ。アシェラッドの書いた脚本通りに動く以外にできることはない。売られて言葉も分からず自分の行く先が如何なるものか想像すらつかなかっただろう女奴隷を推測する。不安だったろう。苦しむ奴隷が息絶えるのを黙って見ているしかできなかった。何もできなかった。

「今後、わたしの身代わりを立てるようなことは許さん」

クヌートがきっぱりと言い放った。彼の怒りは当然だが、アシェラッドの立てた計画の効果は大きい。

「感服致しましたぞアシェラッド殿! 万の軍勢を味方につけたようなもの、心強いですな殿下!」

グンナルはおそらく間者である。そそくさと立ち去るグンナルが白か黒かを確認するためトルフィンが後を尾ける手筈になっている。間者とわかっていても敢えて泳がせる。それもアシェラッドの策だ。次から次へ湧いて出てくる王への対抗手段の数々にトルケルは感嘆の色を滲ませた。

「悪知恵が働くなあ。どこでそういうの教わるの?」

アシェラッドとトルケルが話す声を他所にアリアドネは影が深い天井を見上げた。皆が皆、騙し合いに夢中になる。アリアドネもその騙し合いゲームの盤上の駒の一つ。戦さ場の方が自由がきいてよかった。計画を聞いたこの部屋はどこか空気が重々しい。外に出れば寒々しい空気が肌を刺すが息苦しいよりはマシだった。

「見当違いだったな、俺らの思案は」

「そうでしたね」

気がつけばすぐ後ろにアスゲートが立っている。積もった雪を踏み締めながら呟く。日中のやりとりで出なかった結論を首謀者本人から聞き納得したように顎を掻いている。

「奇襲を恐れるなら先に動くのが得策ってことか。なるほどアンタの将は頭がいい」

明かされたとはいえアシェラッドの企みの全貌は見えない。氷山の一角のその一端しか見えていない。次は何があるのだろう、と気を病んでいるようにも見えたのかアスゲートはアリアドネに声をかける。

「顔が暗いぜ。気を落とすなよ」

「いえ、痛みを和らげる薬でも用意しておけば良かったと思いまして。彼女には辛い思いをさせました。できる限りを施すようにと殿下も言ってましたし。止めをさせないなら他の方法で楽にさせるべきでした」

思ってもいなかった返答に面食いアスゲートはまじまじとアリアドネを見遣った。

「アリアドネ、アンタ真面目だよな」

「そうでもないですよ」

アリアドネはアシェラッドが付き従うと決めたクヌートにも従うだけだ。

「アシェラッドの行くところにはどこへでもついていきますよ」

濃紺より更に深い夜空に星はない。松明の灯りがなければ深い闇が広がっているだけだ。明日、御前会議が開かれる。


20211221
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