在りし日から
※コミックス11巻の描写あり(アニメ未登場キャラ名の記載あり)


「ラグナル殿は寝ないんですか」

ふと聞こえた声にクヌートは目を覚ました。囁くほどの小さな声だったがやけに耳に残る。かと言って不快な響きではない。テントの外にいるラグナルが誰かと話している、と考えたのは僅かな間で相手がアリアドネであることはすぐにわかった。

「殿下をお守りするためにはおちおち寝ておれん」

「体に堪えますよ」

「それはそなたも同じだろう」

夜も深い頃合いだ。朝まではまだだいぶ時間がある。テント前で焚いた火を囲むようにしているのか、ほかの従者たちもいるだろうに二人の声だけがクヌートにははっきりと聞こえた。

「いえ、私は先程“耳”と見張りを交代してきたので大丈夫です」

兵団唯一の女がよく動き回ることは言葉尻と兵団の雰囲気でわかった。食事を運んでくるかと思えば斥候に出て敵の動向を探り、夜はこうして見張りを買って出る。臆することなく戦闘にも加わるだろうことは持っている弓矢で聞くまでもなく判断できる。

「仮にあなたが疲労で倒れたら誰が彼を守るんですか。ご自愛ください」

アリアドネの言葉にラグナルは素っ頓狂な声を漏らした。思いがけない言葉に驚いて次ぐ言葉がないようだった。クヌートは気配を押し殺して耳をそばだてた。

「肉体的にもそうですが、精神的に支える人がいなければ人は脆いものです。クヌート殿下はまだお若い。賊から命をお守りするのも大事ですが彼の心に寄り添っていられるのはこの場では貴方しかおりませんよ」

焚き木の爆ぜる音がした。

「妙に気を遣うではないか。アシェラッドの差金か? そうであれば耳は貸さぬぞ」

「変な勘繰りは止してください。疲れてるので本音を言ってしまってるだけですよ。アシェラッドは関係ありません」

トルフィンもラグナル殿も二言目にはアシェラッドの名前を出しますね私はそんなに信用がないのでしょうか。やや早口で捲し立てるようにアリアドネは愚痴をこぼした。

「いえ、私の日頃の言動で判断されるのは致し方のないことです。彼のあとをついて周り指揮を執る姿に惚れ惚れしていることもありますしやれと言われたことはやり遂げて戦果もあげる。自分で言うのもなんですがトルフィンとは違って従順ですからそう捉えて当然と言えば当然です」

「そ、そうだな」

「ですが、それとこれとは別ですよ」

相変わらず捲し立てる様に気圧されてどもるラグナルに釘を刺すようにアリアドネは芯のある声で強く言った。

「私には私の意思があります。貴方を気遣うのは私の考えで第三者の助言や謀略故で声をかけてるのではありませんよ」

成り行きとはいえ道中を共にするのだから配慮は必要である。アリアドネの言い分は他の者たちとは一線を画すものだった。ラグナルはやや間を置いて非礼を詫び少し休む旨を伝えた。

「おやすみなさい」

柔らかい声に誘われるように目を閉じた。不思議と深く寝入った。

クヌートにとって心より信頼できる者はラグナル以外にいなかった。アリアドネは信頼にまだ至らぬものの、心を許し得る人物にはなった。少なくとも野蛮なヴァイキングに囲まれていた状況下では唯一の存在だった。



本を読んでいるうちに寝てしまったらしい。

クヌートはデンマークのユトランド半島イェリングにいる。病に倒れた兄ハラルドの見舞いのために久方ぶりに故郷へ帰ってきた。

治療の甲斐も虚しくハラルドの病状は悪くなるばかりで言葉を交わすこともままならなかった。死を前に、ハラルドはクヌートにデンマークを譲渡した。兄の葬儀も終わって一息吐いた途端に疲れがドッと出たらしかった。

休む間もなく公務に追われ、その合間にウルフによる手加減のない剣の稽古。心身ともに休まるいとまなどなかったせいで気を抜けば意識が遠のく。

ドアをノックする音で覚醒したクヌートと、盆に水の入った瓶とコップを手に部屋に入ってきたアリアドネと視線がかち合った。

「陛下、お疲れでしたら出直しましょうか」

「構わぬ。昨日の続きだ」

覚醒間もない様子だと察して辞す素振りを見せたアリアドネをクヌートが止める。机の端に置かれている盤の上には駒が並んでいて対局の途中だったことを示している。状況は互角。向かい合って盤を見遣り二人して昨日の展開を思い返していた。

クヌートは忙しい。だが忙しさを理由に後回しにしていいものではない。アリアドネとの対話は息抜きのようなものだった。休息をとらなければいずれは行き詰まる。

「そなたからだったな」

「はい」

「珍しい服を着ているな」

「エストリズ様が貸してくださりました。私の持っている服はどれも男物ばかりでしたので。手触りの良い生地に綺麗な刺繍が施されて素敵です。しかし動きにくい。私にはもったいない物です」

クヌートの妹・エストリズ。明るく人懐こい性格で彼女がいるだけでその場が華やいで心の澱が少しばかりなくなる。いつの間にやら親睦を深めたのだろうか。

借りた服の良し悪しはエストリズ本人の前では決して言わないだろう。女にしては傷の多い働き者の腕が裾から覗く。側近として上質な物を身につけるより動きやすさを優先するのはアリアドネの経歴を考えれば当然かもしれない。そして性分として、この者は正直である。クヌートは口を開いた。

「先日、スヴェン王と腹を割って話した」

「本心を隠さずにお話出来るのですね」

スヴェン王の名を出しても怪訝な顔をするどころか当然のことのようにアリアドネは駒を動かしている。盤上はクヌートがやや優勢。

「おかしいとは言わぬのだな」

「真偽はさて置き一人問答に思い入れのある者を自分と対峙させるのはよくあることかと」

私には私の意思がある。謀略故に言っているのではない。昔、そう言っていたのをつい先程夢の中で見た。クヌートは駒を一つ動かした。アリアドネがクヌートの側近になって長い。遠慮をしたり気分を損ねないように忖度するより意見を提示するべきだと分かっているが、それ以前にアリアドネの性根が真っ直ぐである。側近でなかったとしてもクヌートの機嫌を取ろうと口先だけの言葉を吐くようなことはしない。

「ふ」

「何故笑うのです」

「アリアドネ、お前は素直だな」

「素直?」

アリアドネにしては間の抜けた声だった。自身にかけられた言葉の意味の理解に時間を要している。

「よく言えば純粋、悪く言えば考えなしだ」

「……ええ、隠し事は得意ではありません。ですが、考えなしとは酷い」

「そうだな。考えなしは言い過ぎた。謀などしないと分かるが機密をだだ漏れにする阿呆とも違う」

「今日は私への悪口が多いですね」

口数と手数の多さは比例しない。劣勢のアリアドネは耐えてゲームを進め、徐々にではあるがクヌートの勢いを削ぎ始めている。

「褒めているのだ」

「そうでしょうか」

「ああ」

「それなら、いいです」

そういうところが純粋で素直で正直で考えなしだと言ってるのだ。クヌートは腹の中で唸った。褒めているのか貶しているのか判別がつかないにも関わらず、褒めていると言えばそれを信じてしまう。もちろん彼女なりに信じるか否かの境界線はあるのだが、その度合いが他者より緩い。

「腹の中の探り合いは苦手です。探られる前に曝け出しておけば、敵意が向けられることはないと思うのです。時と場合によりますが」

少しばかり本音を多く言う。諫言に誠意があれば不忠だと罰せられることもないかもしれない。嘘が少なければ信頼を得られるかもしれない。と、アリアドネは言う。かもしれないばかりで半ば博打ではないか。クヌートは肩を竦める。

「向けられたら」

「本心を否定されたのです。甘んじて受け止める外にないかと」

「私が敵意を向けたら?」

「向けるのですか?」

幼な子のように悪意のない目をして問うアリアドネにクヌートは口の端を上げて少しだけ笑った。意地が悪かったかと思ったが、そもそも意地の悪い質問だと言うことも伝わっていない。言うだけ野暮だったか。

「いや向けぬ。子供を虐める趣味はない」

「子供」

盤上では決着がついた。アリアドネの堅牢な耐久も虚しくクヌートの猛攻を前に屈した。

「もう一戦しますか」

「いや、そろそろ稽古がある」

「わかりました」

盤と駒を片付けるアリアドネをぼんやり眺めてクヌートは水を飲みながら言った。

「私の周りで信頼に足るのはウルフくらいか」

「それを言いますか。私の前で」

その反応を見てクヌートは「思えば今まで自身のアリアドネに対する人物評を伝えたことがなかった」と気がつく。妬くような性格ではないが同じ側近のウルフを立てる話題というのは気になるらしい。

「そなたの名は出すまでもないだろう」

アリアドネは驚いて目を剥いた。あの日から、厳密に言えばラグナルを喪った日以降、その立場を継ぐようにこの女が側に居るようになった。本当の親子のようだったラグナルに取って変わることも欠落を完全に埋めるには至らなかった。が、変化していくクヌートとアリアドネが新たな関係を構築するには十分だった。

20211010
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