視て、観て
軒並み体格の良い周りの男どもと比べれば小さい肩。その肩に乗っている鷹の首元を撫でるアリアドネは行軍の最中とは思えないような顔付きをしている。赤ん坊をあやすような声と優しい目付きだ。
「よしよし、お前は可愛いね」
まだ幼く見える鷹はアリアドネに撫でられ目を瞑っている。妙に緊張感のないその光景を横目で盗み見る俺に気がついたアリアドネはこっちを振り返る。
「撫でてみます?」
「いや」
「噛みつきませんよ?」
「別に怖えわけじゃねえよ」
ある日から大事そうに何かを抱えている様子だったが、懐で温めていたのはこの鷹だったかのかと合点がいった。トルグリムに「食わねえの?」と聞かれて結構な勢いで否定していた。食えるところは多くなさそうだがそもそも美味いのか、それは。
「巣立ちしてすぐに自分より大きな動物に襲われたんでしょうね。翼と足を怪我していましたから拾いました」
「そーかよ」
聞いてもないのによく喋る。「知ってますかこの子たちは自分で羽根に体の脂を塗って水を弾くようにしてるんですよ」だの「賢い鳥だから躾をすれば狩りもできるようになるんです」だの。知って役に立つでもないことを延々と話して何が楽しいんだ。
「狩りなんかできるわけねえだろって思ってません?」
「……」
「聞いてます?」
「うるせえな。キャンキャン喚くんじゃねえよ」
緊張感の欠片もない呑気な話を聞き流しているうちに日が暮れる頃合いになった。野営の準備をする連中に紛れてアリアドネから距離をとる。これであれこれと話かけられずに済む。当のアリアドネは夕陽を背に受けながら誰も気に留めない馬の首を撫でて何やら話しかけている。
「今日も頑張ったね」
アリアドネは慣れた手つきで数頭の馬を可愛がっていた。馬の方もいつものことらしく撫でられて低く嘶いて尻尾をゆらりと振った。機嫌がいい証拠だ。
「お前たちは偉いね。働き者だね」
放っておけば勝手に草を食み水を飲むのに甲斐甲斐しく世話をするアリアドネの様子を俺は遠巻きに見ていた。辺りはだいぶ暗い。焚き火の灯りが届かない場所にいれば気が付かれることはない。馬と戯れているのか時折アリアドネの笑い声が微かに聞こえてくる。
「……」
ナイフの手入れをしながら変な女だと改めて思った。転がり込むように兵団に加わったアリアドネはあのハゲを妙に慕っていて、親鳥について回る雛のようだったりする時もあれば他の連中とやけに仲良さげにしている時もある。そして女の癖に戦場に出て、弓兵として片っ端から敵を射る恐ろしい腕を持つ。粗暴かと思えばそうではなくさっきみたいな気の抜けた話ばかりをしたり一歩引いてついてくるような奴だ。強いかは正直よくわからないが戦場で役に立つからすっかり兵団にも馴染んでいる。今や自分の手同然のナイフをいじりながらその理由を考えていると声がした。
「食べますか?」
顔を上げるとすぐ側にアリアドネが焼いた肉が入った皿を手に立っていた。香ばしい香りが漂っている。しかしいつの間に馬と遊ぶのをやめたのか。虚を突かれ釈然としない気持ちと同時にこいつの話をまた聞かされるハメになった面倒くささも込み上げてきて、勝手にため息が出た。
「この子が獲ったウサギを捌きました。一人じゃ食べれそうにもないので」
この子、と指差す先には相変わらず肩を定位置にしている幼い鷹がいる。甘えて頬擦りしてくる鷹にアリアドネは答えるように撫でてやる。俺は、女と鳥の間にある信頼関係のようなものを築く気はない。それはここにいる奴ら全員とだ。一人で食えない肉は他の野郎にくれてやればいい。無視を決め込んでいるとアリアドネは納得がいったように一人で頷いて声をあげた。
「ああ、なるほど。アシェラッドの差金とかじゃないですよ。彼は関わってないのでお気になさらず」
「してねえよ」
俺の態度を勘違いしたのかハゲの名前を持ち出した。そもそもアイツが俺に肉を持っていってやれなどと間違っても指図するはずがない。
「この子が獲った肉は食べたくないですか」
「別に」
「もしかしてもう食べました?」
「お前にゃ関係ねえだろ」
「冷たいですね」
食べてはいないが貰う謂れもない。あとで干し肉でも食えばいい。突っぱねる態度に怯むでもなく肉を齧りながら俺の隣に腰を下ろした。よりによってなんでここに座る?焚き火の近くに座り込んでいる連中を遠目に見ながらアリアドネはポツリと呟く。
「気に障りますか」
「何がだよ」
「私の思い違いならそれでいいんですが。視線を感じるので」
つまりは眼とばしてんじゃねえ、と遠回しに言いたいらしい。アリアドネはよくアシェラッドの後をついて回る。勝手に視界に入ってくるからどうも目で追ってしまう。それだけだが、暗がりから見ていたのを勘づかれていたのは気に入らない。アリアドネは“耳”のように感覚が鋭い。遠くの物を認識する視力を買われて夜半の見張りもしているし、獣並の勘の良さを持つこいつは重宝されている。言わば兵団の眼だ。
「女の私が戦さ場で成果を上げるのが嫌ですか」
「お前がその矢で何人殺そうが俺には関係ねえな。どうでもいい」
俺がすべきことは一つだけだ。父上の仇を討つ。アシェラッドの首にこのナイフを突き立てるためだけにここにいる。汚れ一つない刀身を奴の方に向けていると、もう一口だけ肉を齧って不思議そうに首を傾げる。
「それならどうして私を見るんです。監視ではないんでしょう」
見張っとけと言われたわけじゃない。当たり前だ。もし言われても絶対にやらないし兵団に溶け込んでいるこいつを監視する意味はない。それならどうして俺はアリアドネを見ていた?アシェラッドにくっついて行動しているから嫌でも目に入る、と思っていた。しかしよくよく思い返してみればこいつは単独で動いていることが多い。行軍の最中は肩に止らせた鷹によく話しかけているし、野営となれば馬の世話に鷹を使って狩りをしている。アシェラッドや兵団の連中と話しているより長い時間、ずっと一人だ。
その姿を俺が見ていただけのこと。それに気がついた。が、言葉が出ない。なんで俺はこいつを見ていた?アリアドネを横目で睨みつけると埒があかないとばかりにため息をついて「折角焼いたんだから、食べてくださいよ。干し肉だけだと堪えます」と言って皿を俺の隣に置いて立ち上がった。懐に干し肉を忍ばせてあることをどうしてコイツは知ってるのか。目が利くにも程度ってもんがある。見透かされているようで腹立たしかった。
「チッ」
それと同時に意図せず、無意識にアリアドネを目で追いかけていたことを自覚した俺自身の間抜けさにもムカついた。ナイフを皮の鞘に入れて腕を組んで考えている途中もまた目で追いかけていると分かって、むしゃくしゃしながら肉を食う。癪なことに美味かった。
20210728