夜空の天幕
※移転前サイトの拍手お礼文を加筆修正
―決して館の中で眠るな。
―敵が来るからだ。
―剣を手に盾の上で眠る。
―俺たちの天幕は空だ。
ふとこんな言葉が浮かんで、一面に広がった濃紺の布に散らばる煌びやかな宝石を見上げて誰に言うでもなく呟いた。
「この景色の下で寝ない人は損だなあ」
「何だよ」
話しかけられたと思ったのか、いつもなら無視することの多いトルフィンが返事をした。
「私たちの天幕は美しいなと思って」
つい、と星が流れた。それを見ても眉ひとつ動かさずに、トルフィンは何故そんなことを気にするんだと胡乱に思う様子を隠しもしない。夜空を仰いで肩を竦める。
「別にいつもと変わりねぇだろ」
「ふふふ、よく見ると結構違うんですよ」
興味を持ったのかは定かではないけど、視線をこちらに寄越したのをいいことに夜空を指差す。それにつられてか、いくらか遅れてトルフィンの視線が空に向く。
「星と星とを結ぶと形になるんですよ。あの一番明るい星と斜め右下の青い星を支点にして結ぶと子犬に見えませんか?」
空を見上げてあれこれ指を動かしながら説明しても芳しい反応はない。星座の成り立ちを大まかに話した後、トルフィンをじっと見ていると無感情に口を開いた。
「全く見えねぇな。どこか子犬だって?」
「うーん。それなら、あっちの赤い星から…」
頭の後ろで手を組んだまま口をへの字にして、私の言葉に耳を傾けていたトルフィンはぼやいた。
「これ、ずっと続けるのか」
やはり興味がなかったんだなと予想が的中して「面白くないなら止めます」と言うと、特段それに対して諾とも否とも答えずただ「寝る」とつっけんどんに言って目を閉じた。
*
星の形なんざどうでもいい。アリアドネが喧しいわけじゃなかったが、ただ話を続けられるのが億劫で目を閉じた。まだ父上が生きていた時。ああ、そうだ。メスの羊をはたいて買い取った奴隷が死んだ時だ。埋葬して見上げた空にはオーロラがかかっていた。
その光景が鮮明で、目を開けたらそれが広がっているような気がした。ふと目を開けると先ほどと何ら代わり映えのない夜空が張り付いていた。そのつまらない紺色をアリアドネは相変わらず見上げている。自分に向けられた視線を目敏く察知して俺を見遣る。
「あれ、寝るんじゃなかったんですか」
「勝手だろ。放っておけ」
寝れないなら付き合いますか?という申し出もだたのお節介だ。要らねえと一蹴する。変に目が冴えている。寝ようとすれば寝れるのに、暗くなった視界に勝って耳が周りの気配を探ってしまう。
まだアリアドネは夜空に散らばる光の点を見つめている。何が面白いってんだ。寝よう。再三そう思って閉じた瞼をまた開けてぼんやり夜空を見る。星と星を結んでも何かに見えるわけでもない。光る点が、ただただあちこちにあるだけだ。手持ち無沙汰になって見上げるのにも飽きた頃、隣から心地好さそうな寝息が聞こえた。
「ちっ、勝手な奴だ」
自由気ままな振る舞いに閉口して、アリアドネに背を向けて目を閉じた。今度こそ寝る。腕を組んで、外部の刺激を一切受け付けないように体を丸めた。星がなんだ。星座がなんだ。アリアドネの呑気な声が頭の中から抜けきるのに時間がかかったが、ささくれた気持ちが落ち着いた頃にはすっかり眠りに落ちていた。
しんと静かな空。冷たく刺すような風。目蓋の裏には幼い頃、父上たちと見たオーロラが浮かび上がっていた。
出典:冒頭の四節は映画「Northman -a Viking saga-」より。
20200612