鋼と血と意義の在る処へ
※戦闘狂夢主
仕事は至極当然のように緊張感がなく日々を無為に過ごしていた。
「はぁー、嘘だと言って」
以前より、事あるごとに店のキャバ嬢に嫌がらせに近い接触を繰り返していたヤのつく職業を生業としている組織の若頭が客にいた。あまりに頻度が多く粘着質なそいつの接触に困りに困ってキャバ嬢は店長に何度も相談しており、つい先日に店長からその若頭に入店拒否を言い渡した。
激昂した若頭はチンピラどもを引き連れて「俺たちは客だぞ!高い金を出している分、丁重にもてなせ!」と粋がって店の敷居を跨いてきたわけだ。お前らより何十倍も金を落としてくれる上客がいるんだ。来なくとも痛くも痒くもないし、寧ろ来ない方が店のためになる。
しかしまぁ、もてなせと言うならわたしが全身全霊で対応してやろうじゃないか。店で暴れ回る5人の男どもに歩み寄ると、女は引っ込んでろとドスのきいた声で怒鳴ってきた。おうおう、面白いじゃない楽しませてよ。
「粋がっておいて雑魚とか期待外れにも程があるんですけどー!」
緊張感のなさを攘夷時代と比べるのは些か度が過ぎたかもしれない。怒鳴り散らす若頭とチンピラどもに一発二発の打撃を加えたところ、あっさり泣きながら許しを乞うたのだ。さっきまでの威勢はどこ行ったんだ、まとめて相手をしてやるから一斉にかかって来いと挑発したら瞬く間に謝罪をし二度と店には近寄らない旨の誓約書を書き脱兎の如く去っていった。
それが15分ほど前のこと。呆気なさすぎて就業後に吸う煙草が不味い。いつものことだが今日は殊更に不味い。
「骨がなさ過ぎる、あまりに平和すぎる、面白くない」
延々と愚痴を溢していると、「歌舞伎町でお前を満足させる仕事なんかねーよ」と店長が呆れながら茶封筒を渡してきた。中身は給料だ。灰が落ちる寸前の煙草を灰皿に押し込んで店を出た。空の向こうがやや明るくなり始めたばかりの雨に濡れる街が活動的になるまでには、まだ時間がかかりそうだった。人気がない街を傘を差して歩く。
「間違い、だらけの、街から抜け出し〜」
休憩室のラジオから流れていた曲の冒頭を歌った。気が抜けていると思わせたかった。私の後を尾けてくる、どこのどいつとも知れない輩に。向こうは単独で動いていた。こんな時間に一体何のために。女の夜遊び帰りを狙ってなのか、私の職業を知ってなのか。どちらでもいいけど尾行されたままでいるのは居心地が悪い。
背負っているギターケースをつい、と触る。中身はギターではない。音楽にはまるで明るくないが見た目がそれらしければ問題ないし、背負っておけば「明け方に売れないミュージシャンが街を歩いている」シチュエーションが作れる。違和感はあるまい。廃刀令のご時世、堂々と仕事道具を持ち歩くわけには行かないのでカモフラージュに使っているものだ。
「さて…」
尾行は撒いてしまえば良いだろう。所詮わたしの足についてはこれないのだから。目の前にある曲がり角に入った瞬間に傘を放り出す。狭い路地を駆け、廃ビルの非常階段から隣の雑居ビルへ飛び移り、忍者よろしく寂れ気味な小料理屋の屋根へ音もなく登り、埠頭近くの倉庫群のコンテナが積まれた区画に走り込む。ここなら人目がない。
万が一にもここまでついて来れたなら腕が立つ人物やも知れない。闘い、始末するのも悪くない。そう思って暫く身を潜めていたが私を追う者の気配は感じられない。小雨の中、息を抑えて周囲に気を配る。やはり誰もいない。
「ふん、ただのチンピラだったかな」
肩透かしを食らったような気分になった。正直言えば少し気持ちが高ぶった。誰かはわからぬとはいえ何かしらの理由があって私を尾けた。狩りのようなものだ。勘付かれないよう距離を詰め仕留める。一方でこちらは狩られないよう逃げ切る。シンプルな話だ。今回は狩る側よりもわたしの足が優った、それだけ。
「この生活にも飽きたな」
高級キャバクラ店の用心棒など張り合いがない。相手はチンピラやそれを束ねる組織くらいだ。攘夷戦争の頃の記憶がふと去来する。槍を振るい命の奪い合いをしたし、死ぬやも知れない傷を負ったりもした。あの頃が恋しい。わたしの命は、あの使い方がしっくりくる。雨も止みそうだ。そろそろ家の近くの食事処が開く時間だ。そこで朝食を済ませてから帰るのもいいだろう。
「大荷物な割には身軽でござるな」
頭上、斜め後ろから声がして「あれ?」と思った。何という見当違いだ。温い生活で感覚が鈍ったか。巧妙に尾けていることを匂わせつつ私が撒くのを先読みして、しっかり距離を詰めていたのだ。見上げれば、静かに佇んでいる男がいる。自分より腕が立つ気配がする。何者だろう、この男は。ロングコートに三味線を背負い、ヘッドホンをしている珍妙な格好をしている。サングラス越しに薄っすらと伺える目元からは意図や感情はあまり読み取れない。
「お兄さん、大層足が疾いみたいだね」
「いや、お主には敵わん」
何を謙遜しているんだ、気配も出さずにぴったり追尾した力量を見せておきながら。男はコンテナの上からヒラリと無駄のない動きで飛び降りて私の間合いギリギリの外側に立つ。やるか。ギターケースに後ろ手を伸ばす。特殊な構造にしてあるから背負ったまま仕事道具を取り出せる。あとは速度の勝負だな、と考えた。如何に速く相手の急所を穿つか。
「どこの誰なのかな、お兄さんは」
わたしが歌舞伎町一番の高級キャバクラの用心棒って知らない訳ないよね、と軽口を叩きながら一歩踏み込んだ。虚をついたはずの刺突は男の体ではなく地面に突き刺さっていた。
「ふむ、重畳でござるよ諸星小夜」
仕事道具である槍の穂先は男の刀でいなされている。仕事で使っていない本名を何故知っているのかと問う間も考える間もなく男はわたしに刃を向けた。
*
脳裏に高杉との会話が過ぎる。
「刀はからきし駄目だが長具足の扱いがべらぼうに上手かった。攘夷戦争が終わった後は用心棒やら始末屋稼業の片棒やらを担いで生活してるらしいんだが、どうだ?使えると思わねえか」
晋助から提案された人物の情報をつぶさに聞けば、どうやら旧知の仲というわけではないらしい。
「人選といえるのか?ただが一度同じ戦場に居たというだけの人物を招き入れるのは」
「話したことはある。なかなかの奴だった。一人で20人ほどを手にかけたとも聞いたし大将首を獲ったところも実際に見もした。強いのは保証できる」
「ふむ、面識がある上にそこまで判っているなら話は早いかも知れぬな」
「女の長具足使いなんざそうそう居ねえしな」
「女…?」
「ああ。すぐ見つかるだろうよ。酔狂な奴さ。頼むぜ」
本名を偽っていたので探し出すのにやや手間がかかったが、高杉の言うように女の長具足使いはそうそう居なかったし手合わせしてみれば実際強かった。自身が尾行されていることに気づいてからの対応、判断が早く的確だった。
背中には仕事道具と思われるものが入ったギターケース。嵩張るものを背負って尚あの身のこなし。尾けられていることを認識してからも取り乱すこともなく至って冷静で、虚を突いた攻撃。戦いの一線から身を引いているとはいえその手腕は衰えていないようだ。
「さて、まだ続けるでござるか?」
「吊るしただけでわたしが降参するとでも?」
女はよく動いた。背負っていたものを放り投げたあとの動きはまた格別に速く、足首に弦を巻きつけ吊るし上げても動じない。肝が据わった女だ。
「お主の腕はよくわかったでござる。女だてらにここまでの使い手はなかなかおらぬだろう」
「ご高説痛み入るね」
「その弦は簡単には切れない。拙者が解かなければそのままだ。早急に折れるが身の為だぞ」
女は己の足に巻き付く弦を見遣ってからフンと鼻を鳴らした。甘く見るなと言いたげに強気に槍を握り直す。逆さ吊りの状況を打破するだけの術があると確信している顔だ。
「降参はしない。せめてあなたに一太刀入れるまではね」
「ではしばらくそのまま吊るしておくでござる。なに、時間はある。気の済むまで付き合うでごさるよ」
「それはどうも」
槍の穂先を弦に沿わせ目測し、体を捩った。捩りの反動と遠心力で断つつもりらしい。無茶な体勢での撫で斬りは、女ならではの柔軟さと回転運動で増した重量で成功したかに見えたが、それで切れるほど甘くはない。
「!?」
甲高い金属音と共に砂利に槍の矛先が落ちて刺さった。
「うそでしょ」
焦りの色が濃くなり女は、他に刃物はないかと自分の服の中を探るが、目当てのものは出てこない。頼みの綱が切れた。徐々に顔色が芳しくなくなり、水溜りに落ちた蟻が手足をバタつかせているかのように忙しなくしている。が、間もなく癇癪に似た声を発した。
「あー、はい、わかったわかった降参!降参します!頭に血が上って気持ち悪い!早く!下ろして!」
「素直でよろしいでごさるよ」
弦を弛めると猫のように軽やかに体勢を整えて地面に着地した。と、同時に女は砂利道に寝転がり頭を抱え出した。長い時間宙吊りにされて頭に血が上り目眩がするらしい。
「い、痛い〜…」
「だから身の為だと」
言ったのに。頭が痛いと唸る女の傍にギターケースを転がし武器を仕舞えと促した。負かされた故、女に戦う理由はない。大人しく武器を収め疼く頭を抱えながら立ち上がる。
「本当に、お兄さんはどこの店の用心棒?なんでわたしの本名知ってるの」
「拙者は鬼兵隊の者でござる」
「…鬼兵隊?」
「知らぬか?」
「いやいやいや、鬼兵隊くらい知ってるわ」
なんで武装集団の遣いが私のところに来るわけ。状況がいまいち飲み込めず女の眉間に皺が寄った。こちらをどこぞの店に雇われた用心棒だと勘繰っていたらしく、予想外の組織名に理解が追いつかない様子だ。
「鬼兵隊総督直々のご指名でごさる」
「………高杉とは、一度会ったことがあるだけだよ」
「理由は本人に直接訊くといい。拙者はお主を連れてくるよう言われた」
埠頭の外れに停めておいたバイクに跨りながら振り返ると女はギターケースに寄りかかり逡巡しているようだった。
「断るならば斬ってこいとも言われている」
「指名する割には容赦ないな…。断る理由がないもの。その話、受けるよ」
止みかけた雨粒が頬に当たっていたのも女を後ろに乗せてバイクを走らせ始めた頃だけで、直に雲間から朝日が差し始めた。港に停泊している大きな船を見て驚くばかりの女は興味深そうに周りを見遣る。
「こんなに堂々としてるけど見つからないの?真撰組とかに」
「輸送船の名目で停めてある。許可も下りている」
「結構ザルなんだね。あ、タバコ吸っていい?」
返答より早く煙たい匂いが漂ってきた。振り返ると女は朝日に照らされる江戸の街並みを眺めながら一服していた。
「何か思い残しでもあるのか」
「まさか。キャバクラの用心棒に始末屋の片棒担ぎばっかりで張り合いがなかったからね。清々してる」
今の生活に飽きていたこと、戦場での日々が懐かしいこと、ポツリポツリと小さな不満を溢す。退屈な日々とはおさらばだと言う表情は素直で晴々しい。
「槍も腕も錆びつく平穏より命を削る方が性に合ってるんだよね」
苛烈な戦場でこそ滾るのだ、と言いたいらしい。晋助の言うように女だてらに酔狂にも程がある。その物好き故、一人で20人ほどを手にかけるだの大将首を獲ったりだのが出来るわけだ。
「ところで1000人斬ったっていうのは伝説でもなんでもないんでしょ、河上万斉」
数歩後ろをついてくる女を振り返る。名乗った覚えはない。こちらの反応を見て満足気に煙草を咥えたままにっこり笑っている。
「名乗ってくれないから鎌をかけてみたけど本当に”人斬り万斉”なんだ。見たことないから分からなかった」
「何故わかった」
「勘だよ」
対峙した瞬間から剣戟の寸暇に至るまで、大袈裟に言えば細胞が「こいつは強者だ」と叫んでひりつくのだと言う。体捌き、太刀筋、視線、立ち振る舞いから想像したに過ぎない、と続けた。
「わたしってば戦場で生き生きする性質の人間だからね、そういうのわかるんだよ。というわけでよろしく河上。また手合わせしようね」
まるでご飯食べに行こうと誘うように殺し合いの申し出をする様は突き抜けた清々しさがある。
「晋助の言うよりずっと酔狂でござるな。なるほど、戦闘狂と呼ぶに相応しい」
「自他と共に認めるとなるとちょっと面映いね」
ケタケタと笑いながら女は短くなりきった煙草を海に放った。女は、諸星小夜は夜明けと共に鬼兵隊の一員となった。
タバコのポイ捨てをしてはいけません。きちんと捨てましょう。序盤で歌ってる曲はどーずさんの「星を集めて」です。活動再開おめでとうございます。
20200216