死の淵を歩む
※戦闘狂夢主
足元が水浸しだ。生温かいそれは膝を濡らしている。真っ暗闇の中、足元に無造作に転がる男の上にわたしは跨っていた。いつからこうしていたんだろう?微睡んでいて、目が覚めたらこんな風に暗いところでぼんやりしている。現実味がない。体が浮いているみたいに軽くて実体がなくて寒くも暑くもない。ここはどこだろう。
「小夜」
潮が引くように暗闇が足元から退いて辺りが少しずつ明るくなる。心地よい声で名前を呼ばれた。声のする方を振り向くと、 すぐ後ろに河上が居た。
「怪我は」
何のことかと首を傾げた。何のことを言ってるんだ。怪我?怪我もなにもわたしはいま真っ暗闇の中で座っているだけ。そこまで反芻して足元を見下ろしてはたと気がついた。男の首に短刀が深々と刺さっていた。短刀をぎゅっと掴んでいるのはわたし自身の手で、きつく握り込まれた拳には血が付着している。ぐっしょり濡れそぼる感触が唐突に鮮明になって肌が粟立つ。
「か、河上」
怪我はないかって、そういう意味だったんだね。頭のてっぺんから血塗れだから。呆然と手元を見遣ったまま動けないわたしの頬の血を拭う河上の手は大きく硬かった。手が汚れてしまうよ。わたしは男に馬乗りになって深々と短刀を突き刺して頸動脈を掻き切っていたのだ。
この男は、手から槍がすっぽ抜けたのを見てわたしに飛びかかってきて着物の合わせを無理やりこじ開けようとした奴だ。胸倉を掴まれて地面に捩じ伏せられたから、合わせは乱れているしスカートも破けて足にも血が付いていた。
「痛むか」
汗と血が混ざってベタつく髪を耳にかけてくれる。視界が明るくなって、河上と目があった。サングラス越しの瞳から感情が読み取れない。怒っているのか呆れているのか悲しんでいるのか嗤っているのか。無感情な瞳がわたしを観察している。具に、わたしの表情を、行動を見ている。
「大丈夫」
凝り固まった拳は短刀の柄を握ったまま。屍体に馬乗りになって足は痺れている。平衡感覚があるのかないのか覚束ない。でも、痛くはない。血塗れだけどわたしのものじゃない。だから痛くない。だから大丈夫。気持ちが悪かった。ベタつく髪も血塗れの手も水浸しになっている足も、どうにか綺麗にしたい。指を一本ずつ柄から引き剥がし、男の着物で申し訳程度に血を拭って立ち上がろうとして、息が止まる。
「―、」
周りには、裂けた顔の男。腕がない男。喉に刀が刺さっている男。諸々がいた。既に息絶えた男たちが揃いも揃ってこちらを見上げている。そのあまりのグロテスクさに息が詰まって、床に転げそうになる。バランスを取ろうと体を捻る。手を伸ばした先に屍体が転がっている。
驚いて手を引っ込めて逃げ場を探す。でも四方八方に屍体があるから、結局幼子のようにその場で無様に床に倒れ込んでしまった。呼吸がままならない。
「あ、ああ…」
みっともなく口を開けて馬鹿みたいに呆けているのに脳みそは機械的に記憶を辿っていく。多勢に無勢だった。敵アジトに踏み込んですぐ、木島と別れたわたしは一人で20人近くの侍を相手にする必要があった。四面楚歌。前も後ろも敵に囲まれるなんて恐怖でしかない。恐怖を感じるはずなのに、自分でも驚くほどに冷静だった。
昔を思い出すようだった。槍の穂先が刃毀れしていて、刀傷を負って体のあちらこちらが痛んでるのにもっと多くの敵を相手にしたことがあった。でもその時はわたし一人ではなかったから切り抜けることができた。
それに比べたら、体はまっさらで傷ひとつないし愛用の槍も手入れが行き届いてるから、難なく獲物を鋭く切り裂くだろう。刀を構える侍たちをまるでただの棒切れのように無惨に薙ぐ。そうイメージして槍を振るったんだ。
血の匂い、肉の重み。男どもの声、剣戟の音。鼻先を掠める刀、着物が着られる感触。目の前の侍の首を掻っ切ると、赤い血飛沫が空を舞う。血で滑ってわたしの手から槍がするりと逃げ行く。武器を手放して丸腰になったところに、最後の一人が半狂乱になって飛びかかってきたんだ。今さっき殺したばかりの男の腰に差してあった短刀を咄嗟に掴んで、急所目掛けて突き立てて。そうだ。全員わたしが手にかけた。そうして事切れた男たちが倒れている。
「小夜」
尻餅をついて唖然と辺りを見回すことしかできないわたしの耳元で、河上は優しく囁く。急かすでもなく、慰めるでもなく責めるでもなく、ただありのままの意味で言葉を発する。
「帰るでござるよ、小夜」
喉が引き攣って声が出ない。辛うじて頷くと、河上はわたしの腕と肩を支えて立ち上がらせてくれる。知らぬ間に足にできた大きな裂傷が酷く痛んで、槍を支えにどうにか歩いた。
*
阿修羅だと思った。20人ほどの侍を片っ端から斬り伏せていく様は。だのにその結末に酷く怯えている様はただの
女子だ。年相応の、綺麗な世界しか知らぬ、血を血で流す荒んだ冷たい戦さ場など知らずともよい、ただの。
「小夜」
戦い慣れしているとはいえ、震える肩は小さく細い。血と泥と汗に塗れた姿は痛々しい。やはり
女子だ。阿修羅の如く槍を振るっていても。
「帰るでござるよ、小夜」
屍体を避けてヨロヨロと覚束ない足取りで後をついてくる小夜は今にも泣き出しそうだった。足を引きずり、自分が殺めた結果の肉の山に恐れ慄きながら歩く姿は居た堪れない。
夢主の性格の路線変更をしようと思いました。筆が進まねえ。
20181219