かき回される日常
ここ数日、花宮の機嫌がすこぶる良い。
「掛川さん」
昼休みに「人を呼んで来い」と指図をされ教室に来て理解した。分け隔てなく人と接して、成績が良いことを鼻にかけたりしない優等生。部活の大会でも結構表彰されていた記憶がある。どんな部活だったかは忘れたが。なるほど、そういうことか。彼女はさながら新しい玩具か。
「古橋くん?」
何か用?と普段接することのない俺を見て不思議そうにしている、中身も外見も優等生な掛川。言われた通り、彼女に一字一句違えず伝える。そもそも間違えるほど言伝は長くないけど。
「花宮から伝言。“本は預かった”って」
花宮の名前が出ると一瞬顔が凍った。そして一旦こちらから目を逸らして瞳を閉じて深く溜息をついた後、向き直って彼女はきっぱりと言った。
「“子供みたいなことするな。返しに来い”って伝えておいて」
表情だけじゃなくて声のトーンまでさっきとはまるで違う。眉間に皺が寄り、低い声で突き放す。あまりの豹変ぶりとその速さに驚いて感嘆の声を上げてしまった。
「うわ、聞いた通り凄い二面性」
その言葉に一層イライラしたのか、更に眉間に皺が寄る。凄いな。「美人が台無しだよ」と言おうとしたけど、言ったら余計に酷くなりそうだから黙っていよう。
「監督命令だから。来て貰わないと俺が困る」
「監督?」
「花宮はバスケ部の監督も兼任してる」
「とんだ職権濫用だな」
腕を組んで5秒くらい沈黙があってからまた溜息をついて、「どこに行けば良いの」とつっけんどんに言った。
「関わりたくないけど、アンタが困るなら仕方ない」
さっきまで“古橋くん”呼びだったのに花宮と関わりがあると判明した途端にこれだ。ものの数分で人をアンタ呼びわりするのはいかがなものか。
しかし人に迷惑かかるようなことは控える、という道徳を遵守する点は素晴らしい。花宮はそういうところ、彼女を見習うべきじゃなかろうか。俺は昼飯の途中にここに来させられたわけだし。はた迷惑な話だ。
*
夏は過ぎて暦の上ではもう秋になるけど、日差しはまだまだ強い。屋上に照りつける陽は焼けるように熱い反面、日陰は風通しが良く涼しい。人がいなくて意外と静かで穴場だった。大きな貯水タンクの横の日陰でたむろしているのが4人。花宮以外の男子生徒はバスケ部のメンバーと思われる。壁に寄りかかって本を読んでいる花宮が一瞬こっちを見た。私に気づいても表情ひとつ変えずにいる。
「おらよ」
大型書店の紙カバーで覆われた文庫本をぞんざいに差し出した。人から勝手に拝借した本を我が物顔で読むな。拝借、とかなり譲歩した言い方だと我ながら思う。いや、はっきり言ってやろう。これは窃盗だ。
「人のものを勝手に持って行くな、死ね」
花宮の手から毟り取るように奪い返して、さっきから腹の中で渦巻いていた感情を一気に吐き出した。即座に花宮も切り返す。
「お前が死ね」
「掛川って本当にこんなキャラだったの?」
「こっちが本性だ」
「へえ、意外」
「お嬢様っぽいのにね。あらやだ怖い」
山崎に瀬戸に原。それに私を連れてきた古橋と、私がここに来ざるを得ない理由を作った花宮。反応を見る限り、私の素性はとっくに話してあるようだ。最悪だ。最悪の集団が出来上がって目の前にいる。
「ねー、どうなのそれ。面白い?」
前髪のせいでよくわからないが、こっちを見ている原がゆるいトーンで話しかけてくる。風船ガムを膨らませながら指差すのは、ついさっきまで花宮の人質よろしく連れ去られていた本だ。
「は?」
「それ、いま話題になってるでしょ?立て続けに賞とりまくってるやつ」
「何で知ってる」
「さっき花宮がカバー外してたから見えた」
勝手な振る舞いを腹立たしく思いながら質問に答える。
「人を選ばず楽しめる内容だろうけどこれが賞を取るほどとは思えない。所感だけどね」
普段本を読まないライト層には響きやすい傾向かも知れないと付け足すと、原は「ふうん」と空返事だけしてグラビア誌を眺め始めた。聞いておいてその反応はおかしい。失礼にも程があるだろう。前髪鬱陶しいから切れよ。
度の過ぎた粗さがしをするほど、頭に血が上りかけていた。好き勝手な輩を目の前に、端から順に蹴飛ばしたい衝動に駆られていると花宮がぽつりと言った。
「文学ってのは既に開拓され尽されているからな。二番煎じにならざるを得ない中で新しいものを作るならニッチな層に訴えかけて深化したものを如何に提供するか、なんだよ。今回、それがお前には合わなかっただけだろ」
冷静な分析に思わず花宮を見遣った。すっと血の気が治まり、純粋な疑問がこぼれた。
「…花宮、小説は読むの?」
「ビジネス書とか読んでるの、ちらっと見たことあるよ」
ビジネス書、と私たちの年代ではなかなか馴染みのない分野を口にした。私の質問に一切答えることなく、花宮は徐に立ち上がる。
「そろそろ戻るか」
「そうしよう」
「5限目、物理かー。眠くなるな」
腕時計に目を落とせば、間もなく昼休みが終わる時刻を指していた。群れをなすバスケ部の後をついていくと最後尾を歩いていた原が振り返った。
「あ、仲良く一緒に教室戻る?俺らは別に構わないから。おいでよ」
「心の底から遠慮する」
「遠慮しなくていいよ」
「はっきり言わないとわからない!?断るって言ってるんだけど!」
からかいを盛大に込められた上に手招きされるという、最早煽りに近いそれを侮蔑の表情と言葉で見送る。急いで距離を取って姿が見えなくなるまでその場で立ち竦んで時間を潰す他なかった。屋上に取り残されて手持ち無沙汰だった間に文庫本を開いてパラパラとページを捲った。
「本持ってこないわけにはいかないしなあ…」
またこれをきっかけに呼び出されるのでは、という杞憂が湧き上がったが盗まれないようにすればいいだけだと開き直った。こんなことをするなんて馬鹿らしい。暇人め、と悪態をついて花宮一行とバッティングしないように様子を窺いながら屋上を後にした。
文学についての蘊蓄は詳しくないです。雰囲気でお楽しみください。
改稿:20200506
初出:20120906