歪な拒絶と忠告
生徒がごった返す昇降口での挨拶。やりとりで途切れるはずの会話が、続いている。朝からただでさえ気分が悪いというのに、更にこの仕打ち。知らず知らずのうちに拳をぎゅっと握り締める。ああ、どうしよう。物凄く鬱陶しい。目の前にいる同類の男が、心底、鬱陶しい。

「さっきは災難だったね」

「え?」

「平気?気分悪くなったりしてない?」

「えっと、何のことだか。私さっぱり…」

「掛川さんとたまたま同じ電車だったんだけどさ」

傍から見れば体調を気にかける仲の良さそうなクラスメイトとの会話。誰もその光景に目を留める人なんていない。周りで他のクラスの生徒が通り過ぎる中、私と花宮はその流れに取り残されている。不自然なはずなのに、誰も気に留めない。その異質な空気の中、顔を合わせている。花宮の表情が朗らかなものから一転、笑顔のまま、無感情な瞳にふと切り替わる。

「あんなことするとは意外だね」

ついさっきの出来事が、嫌な感情とともに思い出された。



通勤で混雑する車内。クーラーは利いているものの、厳しい残暑と雑然と乗り込んだ人の熱気が鬱陶しい。ぼんやりと考え事をしながら窓から外を眺めていると、不穏な動きに気を取られた。足元―太もも辺り―を蠢く感触。それには覚えがあって、不快感と同時に怒りが湧いてくる。これを体験するのは2回目で、―1回目は随分前だったが―溜息が出た。気のせいということもあるだろうと暫く様子を見ていたが、感触は止まらず一層粘っこく動き回る。うざい、と舌打ちしながらエスカレートするそれに容赦なく手を伸ばす。

「朝からご精が出ますね」

感触を与え続ける手首を掴んで捻り上げた。斜め後ろにいた真面目そうな会社員のような風貌の男と目が合って、相手がぎょっと目を見開いている。私が大人しそうに見えたから、されるがまま声なんか上げないと思ったのだろう。男の顔が見る見るうちに青ざめる。

「この人、痴漢です!」

ちょっとだけ声を張り上げて呼びかけると一斉に緊張が走る。掴んだ手を頭上高くに挙げたお陰で、視線を集めるのは簡単だった。周りがさっと一歩身を引いてその男に対して完全に侮蔑の視線が注がれている。

「ち、違う」

そもそも何の証拠が、とどもりながら言う時点で説得力はない。僕はやましいことをしていました、と言っているようなものだ。あの人いつも一緒になる、と小声で女性が汚いものを言うような声色で呟いた。痴漢が悪足掻きすんなよ、と誰かが囁く。

「い、言いがかりだっ」

あまりに必死な顔が滑稽で思わず笑いが込み上げる。大勢の人間に知られて慌てふためくほどの恥ずべき行為を、ついさっきまでお前は私にしていたのを理解しているのか?それを白日のもとに晒された途端に“私は無実です”だと?馬鹿馬鹿しくて腹が捩れそうだ。

以前に同じようなことがあった時、親が酷く取り乱して非常に迷惑した。電車通学をやめさせられて学校付近までの車での送り迎えに加え、外出禁止にもされた。キチガイめ、と胸のうちで何度罵ったか。

足を撫で回されて気色悪いことこの上ないが、親に知られて私生活が不便になるのはもう御免だ。どういう性癖か知らないが、密室で人の体を撫で回すような人間だ。豚箱にぶちこまれるなり社会的に抹殺されて然るべきと思った。しかし然るべき状態へと移行させるために使われる私の時間と労力、男の人生とを天秤に掛けたらどちらに傾くかは言うまでもない。

「喚くのやめてもらえます?耳障りです」

私は手を離して距離を取った。車内は相変わらず嫌な雰囲気のまま、人々が男から一定の距離を保っているせいで、妙な空間が生まれている。駅に到着する旨のアナウンスが流れたのをきっかけに男は呟いた。女子高生が粋がりやがって、と恨めしそうに掴みかかってきたのだ。

「おい撤回しろ!俺は触ってなんかいない!」

「うるさいな。見逃してやるだけ有り難く思いなよ」

しつこく撤回を求める往生際の悪い男の手を振り払い、顔面に裏拳を一発食らわした上で胸倉を強く押しのけると面白いくらい簡単に転がった。鼻血を流しながら腰を抜かして座り込む男を尻目に、さっさと電車を降りた。



あんなこと。事の顛末が一瞬で脳内を駆け巡った。私以外は知る由もない出来事を話題として持ち出され、顔面に貼り付けていた表情が消える。笑えてないし、全く笑えない。

「状況が状況とはいえ、一歩間違えば暴行罪じゃないかな?」

「………」

「掛川さん、真面目な優等生然としているけど、猫被ってるなんて思いもしなかったから驚いたよ」

脅しのつもりかと思ったけど違う。目の前の花宮真という男は、私の本質を突こうとしている。相手の成そうとすることがわかれば、構うことはない。そっちも気がついていたなら、どうでも良い。別にアンタにどう思われようと痛くも痒くもない。

「だから、何?」

上から冷めた瞳でじっとこちらを見る花宮を見返す。空気が一瞬で張り詰めた。

「アイツをどうしようと私の勝手でしょ」

雑談で騒がしいはずの昇降口の雰囲気が、私と花宮の周りだけひんやりと冷たく静かだ。

「あんな屑に時間を割くのは勿体無ないとは思わない?」

沸き立つ負の感情を全面に押し出して言い切った。

「アンタとは関わりたくない。金輪際、話しかけないで」

普通のクラスメイトならば、会話を続けて友人関係と築こうと思うだろう。しかし相手が相手だ。友人として何になる?ましてや同類。考えただけでもおぞましい。これでもか、と己があらん限りの憎悪を込めて拒絶の言葉を突き立てる。

「ふはっ」

人を小馬鹿にするような笑い声を上げた花宮の両の瞳がしかとこちらを見る。互いに凍るような冷たい目線で睨み合って、最大限の嫌悪を露にする。私が言葉なら、花宮は視線でそれを突き立てる。

しばしの膠着状態の後、花宮がへえ、と呟いて目を逸らした。意味の分からない行動に面食らったが、気分が悪いのを理由に踵を返す。忠告はした。つけ入る隙などない態度を示されては近寄って来る者はいない。二度目は、ないはずだった。


改稿:20200506
訂正:20121207
初出:20120906
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