花火大会に行く話
※みんな大学生
※山崎と他夢主が付き合っている旨の表記、他夢主のデフォルト名表記あり。
1週間ほど前から夏祭りに行こうと誘われていた。誘い主は高校時代からの友人で、私の腹の内を知っても避けることもなく受け入れた稀有な子だった。以来、趣味は違えども馬が合うことを理由に交流を続けている。その子が、和希が、頭を深々と下げてその上で手を合わせて私に懺悔している。
「ごめん悠、怒らないで」
「それは無理だわ」
怒る対象が違うだけだが、それでも私の感情メーターが「怒り」に振り切れてしまうのを心底申し訳なく思っているらしい。お門違いだ、貴女は悪くない。少なくとも、知らなかったんだから。
「首謀者は誰よ。山崎、アンタか」
「ち、違っ!」
手近にいる人物に鎌をかけてみようと思ったが、相手を間違ったようだ。一見すればこれは火の粉を被ったようなもので、とばっちりだと文句を言われてもいい。知るかそんなもの。てっきり2人で行くものと思っていたのだが、待ち合わせ場所に着いてみれば予想外の光景が待っていた。
その場にいたのは、和希に、山崎に原に、花宮。知らぬ間に和希は山崎と恋仲になっていたようで(私には関係ないけれども)、2人がデートするというのであれば理解は出来る。その場合、私を誘う意味と意図を聞き質したいものだし、問うて納得のいく返答があればそれで済まそう。しかし私は和希本人から誘いを受けていたわけだから、山崎の存在がどうしても邪魔になる。2通りの仮説を立てた上で、どちらのパターンにも不必要な因子が存在する。花宮と原。お前らは、どこから湧いて出た。
「行く気はなかったって花宮は言うけど、来たから楽しみにしてたんでしょ?」
「抜かせ。通りかかっただけだ」
「古橋と瀬戸が来れないのが残念だったね。掛川ちゃんの怒る姿見せたかった」
「アンタは何がしたいの?」
「お祭りは人数多い方がいいでしょ?」
「質問で返すな」
「私、弘くんは原くんたちと行くって聞いたから悠を誘ったの」
「俺は和希が掛川と行くって聞いたどな」
「つーか互いに友人を優先するって、君ら本当に付き合ってる?」
「和希、山崎が原たちと行くって誰が言ったの」
「原くん」
「お前が元凶か」
他校に進学したバスケ部の連中も含めて行くんだ〜。久々に顏合わせるんだよね〜、とでも言われたんだろうか。それを鵜呑みにした和希も和希だ。一方の山崎は、女の子は女の子同士で楽しんでくるんだからいいじゃん、と最もらしく言われ丸め込まれる様子が容易に想像出来た。揃いも揃って人を疑わないのか。どういう過程でこの場所に全員集まったか、真偽のほどは定かではない。
「まあ、いいじゃん」
ところで2人とも浴衣がよく似合ってるよねと場を和ましているつもりだろうが、少なくとも私の気分は悪化している。白地に朝顔柄の和希に、対する私は紺色に金魚柄の浴衣で、色合いが対照的なように褒められて満更ではないのは和希だけだ。
結局、5人で出店などを見て回ることになってしまった。腹を立てて、この場に及んで予定をキャンセルしてしまったら大人げない。既に、和希・山崎・原の三人が既に楽しそうに会話の輪を作っており、必然的に花宮と私が取り残されるわけで。
「嵌められたな」
「被害者面しないでよ」
「俺だって騙されたようなもんだ」
「原の奴、詐欺師め」
仕方なく歩調を合わせて隣り合う。陽も暮れて濃紺の夜空の下で所狭しと並ぶ出店を覗いて、子供のようにはしゃぐ様子を遠巻きに見ている。時間の経過とともに人が増えて歩きづらくなっていく。
“面白そうなところを見つけるとまず行ってみる”を実行していく3人に取り残されて、手持ち無沙汰の花宮と私は2人して人気の少ない畦道で時間を潰していた。途中で和希から杏子飴を渡されたが、食べる機会がなくそのまま手に持って移動する羽目になった。
「酒とつまみは買ったから、花火見ながら食べれらるところ行こう」
「花火なんかあるの?」
「毎年恒例じゃん」
「知らない」
「同棲して結構経つのに?」
「それとこれと関係がある?」
「ないの?」
「あるわけないだろ」
「原くん、悠がキレそう」
「いやもうキレてるっしょ」
分かっているならおちょくるの止めろ。しょうもない原の煽りを受け流しきれずにそのまま小高い丘にある小さな公園まで向かう。意外と穴場で、案外空いていた。風通りのいい場所に来て、原の煽りをまともに受け止めたのは愚かだったと、ようやく血の気が治まり落ちついた。
「悠、お酒は?」
「飲めないからいいよ」
スマホのゲームで連携プレイをして盛り上がる3人を他所に消沈している私と花宮はそれぞれだんまりになっている。花火はいつ始まるかと星がちらつく空を見上げていたが、ふと隣に座る花宮がぼんやりと3人を見ていることに気が付いた。話すことはない。が、なんどなく聞いてみた。
「楽しい?」
「楽しそうに見えるか」
「全然」
「なら聞くな」
「何で来たの」
「通りかかっただけだって言っただろ」
「わざわざ出店の多いところを」
「近道」
「ああ、そう」
ハイスコアを叩き出した和希が腕を振り上げて喜んでいる。逆にドベだった原が頭を抱えて唸ったあと、酒を一気に煽った。罰ゲームのようだ。その阿呆丸出しのやりとりを見ていると、今度は花宮が口を開いた。
「それ、自分で着付けしたのか」
「時間かかったけどね」
昔に親戚の叔母さんに着付けして貰った記憶とネットで調べてやったのだが、時間が経っても着崩れないということはしっかり出来たということだろう。子供の頃に感じた息苦しさはなく、腹部を適度に締め付けられて自然と背筋が伸びる。その制限は存外に悪くはなかった。帰省した時にしか遊んだ覚えもないため、こうして友人と外出すること自体が新鮮だったのに。要らぬ茶々が入ってその他大勢と時間を共有することになってしまった。
「久しぶりに出かけるっていうのにこれか」
「俺に言うな」
八つ当たりしたいのは花宮も同じなのだろう。杏子飴を齧ると、水飴の粘り気のある甘味が口に広がった。やっぱりこの類は苦手だ。小さな液晶とにらめっこして一喜一憂する3人を横目に、言おうか言うまいか踏ん切りがつかなかったことを話すいい機会かと思った。
「そういえば…」
それと同時に空気を大きく揺らして、夜空に大輪の火薬の花が咲いた。火薬の爆ぜる音が遅れて聞こえてきた。爆音の中で話をするのは到底無理だ。そのままずっと紺のキャンバスに映える花を見上げていた。
*
ゲームの勝敗の行方は和希に軍配が上がったようだった。
「原くん強かったなあ」
「いやいやいや、和希ちゃんの強さおかしいって。チートじゃん」
「弘くんは弱かったねえ」
「うるせ………」
「完全に酔っ払いになってる」
三者三様、酔いの大小はあれど酔っていることに変わりはない。1時間ほどで終わった花火の後も酒盛りと銘打ったゲーム大会はしばらく続いた。何のために祭りに足を運んだのか甚だ疑問が残る。罰ゲームに必要な酒が底をついてようやくお開きになった。
「また行こうね、悠」
「今度は野郎抜きでね」
「人数多くて楽しかったでしょ?花宮も」
「いや全く」
つれないの〜、と間延びした声を背中に聞きながら家路につく。喧噪の代わりに静寂と蝉の鳴き声が強くなる。
「結局最後まで付き合ったね」
「お前もな」
「友達いたから」
「らしくねえ」
「らしくないのは花宮も… っ!」
足先に小さく破裂するような感覚が走って思わず声が上ずった。
「あ…」
鼻緒が根元から外れていた。暗がりではっきりと見えないから、切れているのかも知れない。しゃがみ込んで、下駄を手に取って鼻緒の役割を果たさない紐を摘まんだ。下駄に開けられた穴に紐を通して結び目を作って留めていたらしいが、元から抜けてしまっている。差し込んで結ぶには紐が短すぎて、どうすれば元に近い状態に戻せるか見当がつかない。
「直せるか」
「無理。入れても多分、すぐ外れる」
もう片方の結び目は大きくしっかりしていて、外れる心配はなさそうだった。片方だけ履いて歩くのは気持ちが悪い。壊れていない下駄を脱いで裸足で歩こうとする突拍子のなさに花宮の眉間に皺が寄った。
「何してる」
「裸足で歩くのは慣れてる」
「熱でもあるのか」
「ない」
浮かれて正常な判断が出来なくなっているのかと心配、否、迷惑に思ったらしいが私は至って正常だ。
「直せそうもないなら、このまま帰った方がいいでしょ」
どうせそんな長い距離を歩くわけじゃないんだから。ぺたりぺたりと足裏とコンクリートが触れる音と、革靴の硬質なそれが交互に反響していく。
「そういえばさ、この間、父親からメールが来た」
「何て」
「当たり障りのないことと近況が少し。父親は10月に昇進が決定。まだ内示だけど。母親は相変わらず、みたい。親戚も変わりないって。言うほどの変化もないのに」
「で」
「体には気を付けてって、最もらしいけど薄っぺらいことが書いてあった。字数稼ぐために書いたんだろうし、無視した」
親と言い争いをした直後、花宮の家に転がり込んだことを思い返す。
「本来帰るべき場所を、追い出されたようなものだから」
出て行くつもりではいたけど、それでも不安になる。言葉が口の中で渦巻いた。出してはいけないとそのまま飲み込んだ。既に出てしまった言葉もなかったことにしたい。追い出されたようなものだから。それに続いて締めるべき妥当な文言が出ない。花宮は敏い。言わずにいた言葉を汲み取った。
「手放す気はねえって言っただろ」
雪の降る寒い日、そう言われた。胸につかえていたものが消えて溜飲が下がった、あの感覚が蘇る。門燈を背にしていて、花宮の表情は窺えない。
「…うん」
本当に、らしくない。感傷的になっていたことに僅かながら後悔した。沈んだ気持ちのまま帰宅すると、自分が雑多な匂いをまとっていたようで、家の空気が懐かしく感じられた。
「待ってろ」
床を汚すな、というつもりだろうが、私があとで始末すればいいんだから気にする必要なんてないのに。濡れたタオルを投げて寄越した花宮の変な気遣い。玄関に座り込んで、汚れを拭おうと前屈みになる。
「あ」
いつの間にか爪が割れていた。痛みは全くないのに指先は真っ赤になっていて、乾いた血がこびれついている。タオルで拭き取ると、赤黒い絵の具のように繊維を染めた。まだ僅かだけど出血している。
「ねえ、花宮。絆創膏取ってくれる」
床の軋む音に振り返ると同時に、私は花宮に腕を掴まれた。
*
肌に辿りつくまでが案外簡単で拍子抜けしたのが正直な感想だった。少し汗ばむ肌に髪が数本張り付いている。前触れなく開始した行為に、まず抗う。壁に押し付けて合わせを無理矢理開いて悠の手を背中で一つに拘束してしまえば、いくら暴れられても特段困ることはない。
「いきなり、 あっ、 何、」
「余裕が、あるのか」
「― いっ」
口応えを、無駄口を叩く暇があるんだな。気に食わず深く穿つと、途端に目を伏せて足を震わせた。噛み締める唇が白くなる。抵抗の手段を奪われた以上、ただ屈しないように耐えるので精いっぱいだ。
「はなみや、いたい…っ」
掴まれた手なのか、滑りのいいそこなのか、押さえつけられている背中なのか。ご丁寧に順応しているそこを何の気遣いもなしに穿っても甲高い声をもらす。そんな反応をしておきながら痛いなんざ、嘘だろうに。
「どこが痛いって?」
「ん、ああっ…」
周りに流されることなく強情で、自分の考えを貫いてればそれでいいんだ、お前は。他のことでそんなに感情を波立たせるな。不安に感じる要素が、どこにある。紺色の生地から覗く肌が色づいて、腰が撓る。歯を食いしばって快感に抗う悠の髪を掴んで顔を上げさせて、その唇に噛みついた。微かに水飴の、甘い香りがした。
*
欠けた爪を最中にどこかに引っ掛けてしまったのか、悠の足の爪に小さく血溜まりが出来ている。
「欠けてる」
「そんなこと言ってなかっただろ」
「今、言った。あと痛い」
乱れた髪を適当に直して、指先の後始末をしながら悠は愚痴を零した。俺が手を出しさえしなければこんな割れることもなかったという。恐らく気が付いていないだけだが、着崩れた浴衣の裾から白い脹脛が見えることに頓着せずに爪を切って血を拭く。
「部活大変だな」
「誰の所為だっつーの」
「は?俺の所為だと」
「アンタ以外に居る?」
「事の前から割れてたんだろうが。知らねえな」
「本当、ムカつく。腹が立つわ」
絆創膏を貼り終えて頼りなく立ち上がって自室に戻る悠はいつものように刺々しい態度を取って言葉を吐く。調子が戻って来たと、らしくもなく思った。
改稿:20200506
初出:20151025