歩み寄って頼る話
※注:湿っぽい始まり方。
けたたましく電話のベルが鳴る。本来なら、私が出る必要はないが、生憎私しか家にいない。電話の傍にいたから居留守使うには忍びないと、なんとなく、出てしまった。
『あらあ、悠ちゃん久しぶり。お母さん、いるかしら』
「すみません、ちょっと外出中で」
聞き覚えのある声で名前を呼ばれ、相手が親戚の叔母さんだと理解する。電話をかけてくるなんて珍しいことがあるものだ。
『おじいちゃんがちょっと体調崩して入院することになっちゃってね』
大したことないけど、歳のこと考えて年のため連絡しておこうと思って。叔母さんは明日の予定を伝えるかのようにサラリと言う。祖父は昔からたまに入院することがったから、この手の連絡があっても親戚一同そこまで驚かない。
『悠ちゃん、受験で忙しいでしょ。お母さんにはまた改めて連絡するわ。他にも話したいことあるし』
受験はもう終わりました、と訂正するのが面倒くさい。お喋りが好きな人だから、これをきっかけに根掘り葉掘り聞かれるのが関の山だろう。すみませんお言葉に甘えて、と電話を切る。数時間後、最後かかって来た電話では、祖父が入院したことではなく他界したことを告げるものだった。
*
進学先が既に決まっていたのが幸いした。急逝した祖父の葬式に参加すべく関西の実家へ帰省するため、初めて学校を休んだ。慣れない環境で着慣れない服を着て動き回って、気が付いたら祖父の火葬も納骨も終わっていて。とんとん拍子で事が運んでいく状況について行けずに取り残されてしまった感覚だけが残った。
「課題が7つか」
公休扱いとはいえ、課題が出るのはさすが進学校といったところだ。周りは受験真っ只中、受験を終えた身としては進学後に備えての勉強が必須であることは重々承知の上だった。が、課題を残り3つまで消化したことろで、どっと疲れが出て来た。
参考にと一緒に渡されたテキストを流し読むが、情報量の多さに参る。「掛川さんにしたら簡単すぎるかしら?でも手は抜かないで頂戴ね」と、笑顔でのたまった教諭の嫌味が、頭の中で巡る。
疲労、課題の山、漠然とした不安、先行き不透明感。同時に押し寄せてくるそれらに一瞬たじろいで、何から手をつけていいのかわからなくなって机に突っ伏す。仕上げた課題が肘に当たって雪崩を起こした。疲れた、眠い、厄介な課題、片付けたい、不安感、拭えない、先が見えない、どうしよう。
「堂々と居眠りか、悠」
コン、と指先に何かが当たる。指先からじわりと温かみが伝わってくる。顔を上げると、仏頂面の花宮と視線が合った。ブラックの缶コーヒーを受け取りながら起き上がって、雪崩を起こした課題をまとめる。
「してるように見える?」
「見えた」
久々に顔を合わせた矢先、花宮は徐に鞄からノートを数冊取り出して私に投げて寄越した。
「とりあえず板書はしておいた。要らないやつあっても文句言うなよ。既読無視する方が悪い」
「既読無視とか気にするんだ」
「別に」
かき集めた課題の山を前に、ぼんやりとして身動きしない私を覗き込んで花宮は眉を顰めた。文字を書くため握ったシャーペンの先は空を指したまま動かない。
「寝てるのか」
「起きてる」
「さっさと片付けろ」
「迷ってる」
「何に」
手にもっていたシャーペンを放って鞄の奥底から手帳サイズのそれを、花宮に渡す。
「これ、どうしたらいいかわからなくて」
「…預金通帳?」
葬式から帰って来てすぐのことだった。
「作っておいたから」
母親は私名義の預金通帳を突き出して言葉少なに言った。訳も分からず勢いのまま受け取って中身を見る。そこには、新居を手に入れ、直近数か月は生きていくに困らないだろう金額が入金されていることを示していた。つまりは、卒業若しくは入学と同時に家を出て行け、ということだった。
追放は願ったり叶ったりだ。いずれは出て行くつもりでいたけど、あまりにも突拍子もなくて事態を上手く把握出来ていない。次に何をしようものか、見当がつかない。4月まで時間はあると言っても、一人で暮らし始めるなら準備に時間はいくらあっても足りない。
「大学に近いところで探そうかと思ってるんだけど」
「わざわざ探す必要ないだろ」
必要最低限なものだけまとめて来りゃいいだけだろ、と花宮は言う。
「余った金は使うなり貯金するなり好きにすれば良い」
思いもよらなかった切り替えしに詰まって、喉が苦しい。
「大学でも家でも顔を合わせないといけないじゃない」
「今と大差ねえだろうが」
返す言葉がない。黙っていると花宮はふう、と溜息を吐いて立ち上がってさも当たり前のように積んである課題を手に取った。
「ちょっと、持って行かないで」
「お前は他のやっとけ。これは片付けておいてやる」
宥めるように肩を叩いて、椅子に座るよう促されるまま、腰を下ろす。テキスト一式を持って行く花宮の背中を見て、安堵した。不安要素の1つが解消されて、目の前の課題に集中出来そうな気がする。少しばかり肩の力が抜けて楽になった。机に向き直って残りの課題に手を付けようとした時、待て、と脳内の片隅で何かが警鐘を鳴らした。
―花宮に言いくるめられている。
ふつ、と久しく抱いていなかった感情が湧き上がる。反射的に椅子から立ち上がって花宮を追いかける。制服の袖を引っ張って振り返らせた花宮は怪訝そうに、肩で息をしている私を見下ろす。
「返して」
「片付けておいてやるって言っただろ」
頑なに譲る気配がないのを見て、少しばかり腹が立って眉間に皺が寄った。それに釣られて花宮の表情も穏やかではなくなっていく。
「いい、自分でやる」
「残り2つ終わらせてから言え」
「終わらせるから返し 痛っ」
「くどい」
分厚いテキストで私の額を小突きながら、抱え込み過ぎるな馬鹿、と吐き捨てた。
改稿:20200506
初出:20141012