ここにある
例年桜の開花が早くてこの時期は青葉ばかりになっていたけれど、今年は新学期に合わせて桜が満開になった。
「また同じクラスか。残念だわ」
「奇遇だな。俺もそう思ってた」
体育館近くに貼り出された紙を見上げてぼやいた。学年が一つ上がって、クラスの顔ぶれと担任が変わる。それだけのことなのに、周りの生徒は誰と一緒になっただの離れただのと騒ぎ立てている。環境の変化に一喜一憂しては浮足立ったように喧しくなる。
今年は受験だ。成績を反映してクラス編成されているので、試験期間前だけハイエナの如く群がる自堕落な連中とは大方は縁が切れた。それは喜ばしいことだ。
「あれれ、お二人さんお揃いで」
聞き慣れたトーンの挨拶。事あるごとにちょっかいを出してくる人物は少ないから想像に容易い。振り返ると原がいた。
「朝から見せ付けてくれるね。待ち合わせでもして来たの?」
「まさか」
「だよね。そんなことがあったら明日は確実に雨だね」
薄笑いを浮かべて「桜散っちゃうね」と煽る原は空を見上げた。新学期スタートに相応しい晴れやかな空だ。しつこい嫌がらせにじわりと怒りが込み上げる。
「やだ掛川ちゃん。目付きだけで人殺せそう」
「殺せたらどんなに楽だろうね」
「新学期早々物騒だなあ」
物騒なことを言わせているのはそっちだろう。
「おはよう」
「おう」
見慣れた面々が集まる。新たに現れたメンバーに原の気が逸れた。からかいの標的から外れたものの話題の中心は花宮と私であることは変わりなかった。
「この2人、朝からいちゃついてる」
「ありもしないこと吹聴しないでくれる」
「あたっ」
適当なこと抜かすな。練習道具一式が入ったカバンで原の背中を突くと、わざとらしい声を出して痛みを訴えてきた。大して痛くもない何を大げさに。こういう態度をあざといと言うのだろうか。私が見る限りは全くそうとは思えなくて、ただ気に障るだけだ。
「邪魔から山崎と仲良くしてれば。クラス同じだし」
「またザキと一緒?やだあ」
「露骨に嫌がんじゃねえよ」
至って普通だ。少しばかり難しくなったけどすることは変わらない勉強も、新入生の入った部活も新しい人間関係も、家庭内環境も。とはいえ、蟠りはある。時間が経てばなくなるものも、そうでないものある。
花宮と接触してから、まだ1年も経っていない。この間に何があったか、思い返すだけでも腹立たしい。触られたくないものを無遠慮に触られて、踏み入れられたくないところを土足で荒らされ、知られたくないものを見透かされてしまった。必死に繕ってきたものを剥がされて、花宮の傍若無人な振る舞いに振り回された。逆に私も同じことをした。踏み込んで詮索して引っ掻き回した。
「悠」
憎らしい、恨めしいそれがあったから今こうしている。花宮と関わらなかったら、今でも何も変わらず鬱屈したまま本音を隠し偽り続けていたはずだ。
「おい、悠。起きろ」
花宮の声でハッと我に返る。ぼんやりとしていた視界が急に開けて明るくなった。
「…あ」
いつの間に放心していたのか、授業はとっくに終わっていて教卓に教員の姿はない。クラスメイト達がぞろぞろと教室を出て行く光景をきょとんとして見ている私の肩を、花宮が小突いた。
「行くぞ」
「どこへ。何かあるんだっけ」
「進路指導担当のご高説を聞きに行くんだよ」
「そうだった」
朝礼でそんなことを言っていた。凝った肩を解すべく、腕を頭上で伸ばして脱力する。面倒くさい教室移動も気分転換だと思えば、悪くないだろう。
「突っ立ってないでさっさと行けって。邪魔で通れない」
「誰が起こしてやったと思ってる。一言あってもいいだろ」
「寝てたわけじゃない。勝手にやったのはそっちでしょ」
心底鬱陶しかったし憎たらしかったし、出来るものなら花宮と関わった記憶の全てを抹消したい。そう思えば思うほど記憶は色濃く鮮明に刻まれた。消せない記憶、したことやされたこと、知ったこと。それら全てを補って余りある。何が、と口にするのは難しいけれど私の中に在るそれは唯一のものだ。
「喧嘩売ってるのか」
「どうだか」
それは感覚で、視覚としては一切認識出来ないけれど。悪態をついて、僻みを言って、減らず口の叩き合い。今までと変わりないのに、決定的に違う。真っ黒に淀んでいたものが半透明になって、そして透明になった。
「やっぱり、買ってくれてもいいけどね。喧嘩」
花宮の肩を拳で軽く叩いて、さっさと歩き出した。確証はない。でも、これはきっとなくならない。
改稿:20200506
初出:20131110