ありえなかった選択肢
学年末の試験が終わると余裕が出来る。そこまで根を詰めて勉強をする必要もないし、部活に費やす時間が増えるから次の大会に向けて色々準備出来る。

解放された気分だ。いくらか気が晴れる。試験終了までの残り時間、答案用紙を裏返しにしてぼんやりと窓から外を眺める。問題を解き続けているのか、教室内のあちこちでまだ文字を書き殴る音が聞こえてくる。

「………」

気は晴れるものの、気が楽にはならない。家族の中で干渉されることも繕う必要もなくなって以前に比べれば驚くほど負荷は減ったが、それでも何かしらの接触がある。

―ここに来ればいいだろ。

言われたままに花宮の家に押しかけるのは気が進まない。悶々としている間に試験は終わっていて、担任が何か連絡事項を言っているようだが全く耳に入ってこない。きっと大したことは言ってないだろう。

鬱憤は晴らすに限る。得意な型でもやり込もう。カバンを持って教室を出る時、古橋と擦れ違った。構う暇が勿体ないのでそのまま横を通り過ぎようとしたけど、声をかけられて反射的に振り返ってしまった。

「酷いクマだな、掛川」

「クマ?」

「勉強し過ぎじゃねえの。徹夜でもしてるのか?」

古橋の次は山崎か。ということは残りの2人も確実にいるだろうな。ほいほいと顔を合わせてしまうバスケ部の面々に少しばかりげんなりする。

「徹夜するなら早起きして勉強するけど」

「にしては濃いよ」

どれだけクマが濃いかなんて分からないけど、なんとなく目元を擦る。血行不良か何かでしょ。適当に瀬戸に返事をしていると、チャラいという代名詞がピッタリの原が最後に顔を出した。図らずも周りを高身長な連中に囲まれてしまった。

「部活行くから退いて」

「え、掛川ちゃん今日から練習あるの」

「当たり前」

ワオ真面目だねえとからかう原に眼を飛ばしてさっさと部室へ走る。後で体育館に応援しに行くからねと分かりきった冗談でも頭に血が上った。来るな馬鹿。余裕が出来るとは言ったけど、気持ちに余裕は一切出来ていなかった。



「いつでも好きな時に来ればいい」とは言ったものの、あれきりだ。意地を張っているのか、気を遣っているのか。こんなことがいちいち気になる。部活が終わるだろう時間を見計らって電話をかけたが出る気配は一向になかった。30分は経過している。

「熱心すぎるだろ」

暇潰しにと手に取った本もいつの間にか読み終えてしまった。冷え込む廊下を歩きながらどこで時間を潰そうかと思案していると携帯が震えた。

『何か用?』

「おう、終わったか」

『何が?』

「練習以外に何がある」

俺の姿を視認して悠は携帯の通話を切る。マフラーを巻きながら怪訝そうにこっちに顔を向けた。

「寒いのによくやるよな」

「今日、練習ないんでしょ。何でこんな時間まで残ってんの」

「分かりきったことを聞くな」

分からないから聞いてるんだけど?そうぼやく悠を横目に缶コーヒーを渡すと少しばかり目付きと雰囲気が柔和になる。現金な奴だ。

「帰るぞ」

「は?」

「疲れてんだろ」

「練習の後だし」

「そうじゃねえ」

もっと根っこの部分の話だ。こいつの家庭内事情を知っているのは俺だけだ。試験と練習で疲れている上、馬鹿正直に帰宅すれば余計に疲れるだけだ。しかし着いて来い、と言ったところで素直に首を縦に振らない。強情だから。

「それに顔色が悪い」

「寒かったし」

「今じゃねえ。ここ最近の話をしてんだよ」

素でいられるようになっても鬱屈した状態が続いているのだろう。何もなかったようにして隠しておけば分からないとでも思っているのか。そう言うと、悠は俺から目を逸らして数瞬の間だけ黙殺した。

「しんどいね」

「やっぱりな」

「…そんなに分かる?」

「若干」

「鈍ったなあ…」

この程度で疲れるなんて。悠は落胆した。若干、というには語弊がある。俺にとっては分かりやすすぎる。あれからというもの、母親は歪な形に凝り固まった執念を滲ませてじりじりと焦がすように悠を見下し、父親は顔を合わせる度に恐ろしい者を前にしているかのように怯えまともに会話が出来ないという。

一変した生活は新たな悩みの種を播き、今までの鬱屈が蓄積して出来た土壌で芽を出そうとしている。手放しに喜べる状態ではなく、事態は悪化も好転もしていない。それでもいくらか目を細めて悠は微かに笑う。

「私を気にするなんて、アンタも焼きが回ったね」

俺が少しばかり腹立たしさを覚えているのを悠は仔細に感じ取っている。溜め込んでいる癖に我慢に我慢を重ねていること。いつでも構わないとは言ったが全く頼りにしてこないこと。互いに見透かし見透かされているわけだ。

「ふん」

揶揄する悠にもう一度「帰るぞ」と言って先に歩き出す。選択肢は無数にあって、一つだけではない。好きに選べばいい。でも、多くの選択肢があってもコイツはそれ以外を捨てるだろう。とっぷりと暮れて濃紺色になった空の下、悠は小さく返事をした。

「いま行く」


改稿:20200506
初出:20131110
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