縋る手を取って
今まで優等生の皮を被って装ってきたけど、面倒くさいから言いなりになるのは止める。私に干渉しないでくれ。出張やら帰省やらで家を空けるのは今まで通りしてくれて構わない。家の外で愛人作るのは各々の勝手だけど、バレないようにもう少し上手くやったらどうだ。

「悠?」

「何を、言ってるんだ」

「もう一度言おうか?ちゃんと聞こえるように」

久々に家族3人揃っての夕食時。何の前触れもなく投げつけられた私の言葉に両親は硬直した。耳にしたことがない言語を前にしたように呆然としている。

一字一句違わず同じ言葉を口にしていくうちに、父親の顔は物凄い勢いで青ざめた。この世の終わりだ、とでも言いたげに頭を抱えている。一方の母親はマネキンのように一切の動きを止めている。言いなりになっていたはずの私が本性を曝け出した現実を理解出来ずに固まっている。

「お、俺は、」

重苦しい空気の中、言葉を発しようと父親が話し出すが震える声には覇気がない。隠し通せていると、よほどの自信があったのだろう。その自信が足元から無残に崩れて塵と化した。そして突きつけられた事実から逃げようとする。この男が口にしようとしているのは謝罪ではなく釈明。単なる言い訳だ。

「弁解して欲しいわけじゃないから」

そういうの要らない、と皿に手を伸ばす。副菜が口の中に転がり込んだが味はしない。殺伐とした雰囲気に味覚が麻痺している。

「あ、愛人なんて…悠、貴女、テレビの見過ぎじゃないかしら…。一体何よ、その汚らしい言葉遣いは」

母親はようやく喋ったかと思えば相変わらず鬱陶しい喋り方をする。

「率直な気持ちを述べたまでだけど」

「汚らしい言葉遣いは何って聞いてるのよ!」

思った通りの反応を示さない私を怒鳴れば大人しくなると、まだ思っている。自分の意思を押し付けて、子供を抑圧してきた。その上でなされる会話が家族のやりとりだと、そう信じている。一方的な過干渉に対する反応で成り立つわけがない。この女は、今までどのようにして生きてきたのだろう。

「騒がないでよ、うるさいな」

元よりないに等しかった食欲は失せた。箸を置き、興奮気味に前のめりになっている母親を睨んだ。

「外ではいままで通りに“恥ずかしくない”ように振舞うつもりだけど。貴女の顔に泥を塗らなければそれで満足でしょ?小綺麗な家族っていう体裁さえ守れていれば問題ないんじゃないの」

「子供が生意気な口利くんじゃない!」

「子供はどっちよ。譲歩も理解もしようとせずに感情のままに怒鳴り散らす、それが立派な大人だと?玩具を寄り挙げられた子供にしか見えないよ」

「悠、あ、貴女、誰のお陰で生活出来てると思っているの!」

「家計を支えているわけでもない貴女が言えたことじゃない。旦那の稼ぎでのうのうと生活して子供を自分の好き勝手に仕立て上げて、更には愛人でしょ。汚らしいのはどっちよ。それに生活出来る云々と私が言いなりを辞めるのと、根本的に話が違う。論点を擦り替えて自分の有利なように話を進めることしか出来ない?」

そこまで言われてとうとう我慢ならなくなったのか、口元を戦慄かせながら泣きそうなほどに表情をくしゃくしゃにして私に掴みかかってきた。



インターホン越しに聞こえた声に耳を疑った。

『泊めて欲しい』

「は?」

『1日だけで良い。泊めて』

「お前、何でこんな時間に」

一人暮らしである以上、いつ何時誰が来ようが構わない。バスケ部の連中なんて都合も予定も気にせず上がり込むこともある。が、相手がイレギュラー過ぎた。

『お願い』

いつ何時でも攻撃の姿勢を保ってきていた悠が、弱々しく懇願している。搾り出した声は掠れて、俺が聞き取れたのはこの一言だけだった。返事の代わりにロックを解除すれば間もなく玄関のチャイムが鳴る。ドアを開けると、悠が突っ立っていた。

「…………」

口を開こうとしない悠の様子を見れば明らかだったし、何があったかは想像がつく。とうとう言ったか。父親よりも母親の方が一癖も二癖もあったはずだ。立ち竦む悠は意気消沈して死人のように青白い顔をしている。

「上がれ」

気温はだいぶ低く、上着を着ているとはいえ突き刺すような寒気はしのげない。きつく結ばれた唇は動かず、視線も交わらない。

「おい、聞いてんのか」

「…聞こえてる」

「さっさとしろ。こっちまで冷える」

冷えちまえと罵詈雑言が出ることも、威嚇の目すらこっちにくれることもなく静かに悠は玄関に足を踏み入れる。が、足取りが些か覚束ない。

「―っ、!悠」

糸が切れたみたいに、床に突っ伏しそうになる悠を寸でのところで抱きかかえる。膝の震えが止まらない。踏ん張ろうとすればするほど立っていられず座り込んだ。

「いい、自分で、歩く」

「馬鹿野郎。歩けるわけねえだろ。ぶっ倒れるのがオチだ」

大人しくしとけ。そう言って悠を抱きかかえる。意地なのか、強がりなのか。どちらにせよ病人のような面をしている奴に「自分で歩く」と言われて、はいどうぞと正直に歩かせる馬鹿はいない。ようやくたどり着いたリビングの床に膝をついた。

思ったことを全て押し込めて生活していた。優等生の皮を被って笑顔を振りまきつつ心中で毒づいていながら。悠は一線を越えた。生まれて初めて両親に刃向かい、溜まった鬱憤を晴らすべく腹の中の全てを吐き出した。自分を抑圧し続けた仇敵に歯向かった。だからこんなに参っている。

「あいつさ、何て言ったと思う?」

俯いたまま自嘲の色が滲む声で問う。

「子供が生意気な口を利くなって。子供はどっちだって言い返してやったら自分の都合の良い御託を並べて説教し始めて」

溜まった鬱憤が吐き出された時は気がつかない。自分の考えを言い切った達成感で現実が見えていない。デリケートな領域に踏み込んだ言葉はボディブローのように、後から確実に効いてくる。

「論点擦り替えて話を進めるなって言ったら、言い合いじゃ勝てないって分かったのか手を出してきて」

今までで従順だった悠が牙を剥いたとなれば必死になって抑え込む。コイツの母親であれば真っ先にそうする。しかし悠の腕っ節が弱いはずがなく。結果は聞くまでもない。

「それでも敵わないから、最終的には人格否定に走ったんだよ」

悠は予想していた。自分の鬱憤を晴らした時に向こうから投げつけられる言葉を。想像して、受け止める覚悟をしていた。それでも実際、言葉を受け止めるには些か衝撃が大き過ぎたのだろう。

「その言葉、そっくりそのまま返してやる…」

実際何を言われたか、聞く気にはなれない。握り込まれた拳が震える。

「とりあえず落ち着け」

コーヒーの入ったカップを差し出すがこっちに目も暮れず、依然膝をつき悠は完全に無視を決め込んでいた。刺々しい言葉を吐くいつものてめえはどこ行った。無反応な様子に、怒りに任せて頭にカップをぶつけてやった。

「っ!」

「めそめそすんな、らしくもねえ」

ゴチン、と鈍い音と頭に走った衝撃でようやく顔を上げてこっちを見た悠。その目元は少しばかり物悲しそうで気迫がない。家に上がり込み抱え運ばれた手前、反撃も反論もしなかった。

「喋りたくねえなら喋らなくてもいい。無視すんじゃねえ」

「………」

「おい」

「分かった、分かったってば」

カップを握り締めて眉間に皺を寄せて唸った。日頃からの不平不満を溜め込み、心中で人を卑下する形でしか吐き出せなかった。その生活が一変する。悠は、帰るところがない。肉体的にも、そして精神的にも。寧ろ後者の方が重大だろう。

「これからどうするつもりだ」

「今まで通りだよ」

「今まで通り?」

「そう」

何も変わらない。口論はなかったものとして扱い毎日過ごしていくつもりだと言う。何食わぬ顔して両親と顔を合わせて生活していく気か?腹を括っての反抗も、蓋を開けてみれば昨日と何も変わらない生活が待っているだけだと?お前の憎しみを、恨みを全く意味のない茶番にして終わらせるつもりか。

「それじゃ反抗した意味がねえ。何も変わっちゃいないだろうが」

「うるさいな!」

悠は目付きを鋭くして俺を睨みつけた。声を張り上げて俺の胸倉を叩きつける。容赦のない拳は重く硬かった。

「てめえ…!」

気を遣ってやったら調子に乗りやがって。胸元を掴んでお返しに一発殴って大人しくさせてやるかと思ったが、悠の掠れ声に動きが止まる。

「じゃあ、どうしろっていうの」

胸倉を掴む手に、悠の手が重なった。振り払うでもなく掴みかかるでもない。攻撃性なんて感じられない、ただ単純に触れるだけ。

「それ以外に方法なんて…」

残されている方法はそれだけだと思い込んでいる。自分で全部背負いこんでどうにかなるなんざ、勘違いも甚だしい。そうは言っても不本意だろう。一世一代の大勝負だったそれをまるでなかったことにするのは。弱々しく数回、拳を叩きつけるだけで反抗する体力も気力が残っていない悠を抱き寄せた。

「いつでもいい」

しんどくなってからでもそうなる前でも、お前の好きな時で構わない。

「ここに来ればいいだろ」

腕の中で息を飲むのが分かった。今まで通りなんて、無理も承知なことは分かっていた。それでもそれを選ぼうとした。どこまでも馬鹿で意固地な奴。悠は服の裾を掴んで小さく肩を震わせていた。


改稿:20200506
初出:20130715
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -