半透明色した水の中
純白の雪が泥と混じって、土色にひしゃげている。道路の隅の至る所に山積みされている雪の方がまだ綺麗だ。明らかに態度が変わったのは、ラフプレイの話の後だった。黙れと無理矢理に唇を塞がれた。苦いキスのあと、体温が離れて。それから、会話をすることはなかった。寒くて湿っぽい空気の中、私は悶々とした気持ちで歩いている。



寒々しい気温の中で行われた部活が終わったあと、体育館へ足を運んだ。体育館を仕切った片方では卓球部が片付けをしていて、数人の部員が私を訝しげに見ている。

目当ての人物は部活専用のジャージを着て指示を出していた。練習が終わって片づけをしている部員を横に、瀬戸と何やら話し込んでいる。2人の会話が終わるのを待って、声をかけた。

「花宮」

声だけで私だと分かったらしい。不機嫌な顔をして、私を一瞥する。いつもつるんでいる奴らがこちらを見ているのが視界の端に映ったけど、気にするまでもない。どうせこの距離じゃ話の内容なんて聞こえるはずがないし、聞かれても構うものか。

「人のことあれだけ引っ掻き回しておいて、自分の番となったら逃げるわけ?」

「何言ってんだお前」

「昨日の続き」

そういうとただでさえ歪んでいる眉を益々吊り上げて私を睨んでくる。言いたいことが分かっているなら、話は早い。

「責めるつもりで言ったんじゃない」

「うるせえ。話は終わりだ。それ以上言うと殺すぞ」

「もう慣れた。気が済むまでスれば」

「意味を履き違えるんじゃねえ」

「そっくりそのまま返す」

「てめえ」

「聞かれたことに、アンタは返事をしてない」

―好きでもないことにそこまで打ち込めるものなのか。

「言いたくないなら、言わなくて良い」

―そんな逸脱したやり方しか知らないのは、どうして。

「でも、拒絶もなにもしないで有耶無耶にするのだけは止めて」

―アンタの言葉で教えて欲しい。

吐き出された言葉は静かに消えていく。しんと静まり返る2人の空間は、数ヶ月前に昇降口で腹の内を探り合っている時と同じ空気を纏っていた。その静寂を破るように、花宮は舌打ちして踵を返した。柄にもないことを言ってしまった。何をそんなに必死に噛みついているのだろう。ほんの数分前の行動が酷く滑稽に見えた。苦々しい感情を胸に抱きながら悪態をつく。

「馬鹿じゃないの」

嫌がらせには嫌がらせを。やられたらやり返す。そのつもりだった。以前の私ならそうした。でも口を衝いて出た言葉の真意は、探求に近かった。 “理解したい”だの“知りたい”だの、そんなものただの独りよがりのはずだ。はずなのに。問い質さずにはいられなかった。

「ん?」

逃げるように歩いていると、ポケットに入れた携帯が震えた。やたらと長い振動が着信であることを伝える。画面には“花宮真”と表示されていた。迷った末、通話ボタンをタップする。

『偉そうに講釈して満足か』

「そのつもりはないけど」

『部外者のお前に言われる筋合いはねえって言ったはずだ』

問う度に考えていたことだし、昨日も聞かされた言葉だ。承知の上だ。

『口出しもするな』

「口出ししてるつもりもない」

『じゃあ、どういうつもりで物を言ってんだてめえ』

「言っただけ」

『あ?』

「思ったことを言っただけ。アンタが今後どうしようが、私には関係ないからね。でも、知りたいから聞いた」

ほんの一瞬、間が空いた。

『それだけか』

「そうだよ。単に知りたい。答えがどうであれ、否定しないしする気もない。ただ、返事が欲しいだけ」

「その強情っぷりには、呆れるぜ」

背後から聞こえたのは、機械越しの声よりずっと透明で直に耳に入り込んでくる花宮の声だった。電話の相手が突然目の前に現れたことに驚いて声が引っ込んだ。

「は、花宮」

通話を切って、携帯をポケットに仕舞いながらこっちを見下ろす花宮は不機嫌な顔をしている。

「胸糞悪いんだよ、そうやって詮索されんの」

触れられたくもないところを、ねちねちと弄くり回されたら誰だって胸糞が悪い。私の領域に土足で踏み入って荒らした花宮は、えらく都合の良い理由をもっともらしく述べる。

「もう聞いてくるな」

大きな亀裂が生じたように思えた。深く暗澹として、底の見えない奈落が私を花宮の間を裂くようにしてぽっかりと口を開けている。この関係も、もう終わるのだろう。強引に言いくるめられるまま始まったこの恋人ごっこが終わる。清々すると思いつつも、心のうちに穴が空いたような、物足りなさを感じた。ひやりとした空気が、制服のスカートから剥き出しの膝にまとわり着いてくる。引っ掻き回されて終わる。引っ掻き返す前に終わる。そう思っていた。

「あとで教えてやる」

あとで?有り得ない言葉に、弾かれたように顔を上げる。

「早く来い」

「え」

「これだけ寒いんだ。また雪、降り出すぞ」

「そう、だけど」

「何だその顔は」

肩透かしを食らって間抜けな声を出した私を、花宮が不審そうに見遣った。掌で顔を隠しながらそっぽを向いた。一体どんな酷い顔をしていたのか、想像もしなくない。

「悠」

名前を呼ばれてもう一度花宮の方を向くと、こっちに背を向けたままゆっくりと言葉を紡いだ。

「もしお前が知った上で」

綺麗な形の後頭部、髪が昇降口の扉から吹き込む風に揺れている。

「どんなに嫌がっても、逃げようとしても」

前を見て、振り返ろうともしないまま、花宮は言う。

「手放す気はねえからな」

拒絶することは許さない。その言葉がどういうわけか嫌ではない。寧ろ、救いを感じる。妙なものだ。あれだけ嫌だと感じていたこの関係が、確かなものとして在り続ける。そう理解した瞬間に、肩の荷が下りたような感覚になった。もう、演じる必要なんてないのだろうか。合わせたくもないベクトルを合わせて生活することもないのだろうか。

「だから、早く来い」

そう受け取って良い。胸のうちにつかえていたものが消えて溜飲が下がった。考えるよりも先に、体が動いた。他人に諂って、思考をフル回転させながら生きてきた私にとってそれは、ずっと忘れていたような感覚だった。

「花宮」

20センチ近くある身長差。私より一回りは大きい背中に額をくっつけ、寄りかかった。

「悠」

この不確かな感情を言葉に出来ない。不透明ではない、かといって全てが鮮明に見えるほど透明なわけでもない。自分の中に渦巻く言い表しようのない思いを、どうにか口にしないといけない気がした。でもどんな言葉を選んでも、真意が間違って伝わってしまう。

「言いたいことあるなら、聞いてやる。別れるなんていうのは却下だけどな」

口を開いては閉じ、閉じては開いてを繰り返していると、見計らったようなタイミングで花宮は声をかけてくる。

「私にしたことを、許すつもりはない」

声が震える。

「後悔させてやる。泣いて詫びても、許さない」

踏みにじられ心の奥底に巣食い影を落としている、あの日の出来事。恐怖、痛み、屈辱。それらを鮮明に覚えている。吐きつけた呪詛の言葉は、紛れもなく私の本心だ。それなのに、何かが決定的に違う。

「バアカ」

誰も居ないけど、誰にも見えないように、どちらからともなくそっと手を握った。自分の手が、あまりにも小さくて冷えていたことに気がついた。


改稿:20200506
初出:20121115
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