グレイの景色と予防線
バスケットボールプレイヤーは軒並み大きく、同じ人間とは思えないほど体格が良い。飽くまでも傾向であって人並みの大きさのプレイヤーもいるのだろうが少なくとも今、私が見ている人たちの身長は常人離れしていた。
「コートが小さく見える」
「平均身長が190近けりゃそうなる」
「何食べたらあんなにデカくなるの」
「知るかよ」
コーヒーを啜る花宮はつっけんどんに言った。いつの間にか意識を失っていたから、どれくらい床の上に寝転がっていたのか定かではない。でも肩の傷は手当されていたし、適当ではあったけど毛布がかけてあったから体が冷えることはなかった。
時計を見ると12時を回っていて、雪が降っていた。灰色の雪がふわりふわりと窓の外で落ちていく。花宮は、目を覚ました私に声をかけることもなくNBAの試合を見ていた。
「マイアミとシカゴ…?」
「マイアミ・ヒートとシカゴ・ブルズ」
「チーム名?」
「他に何がある」
疑問符を浮かべ見た私を見た花宮は鬱陶しげに「お前馬鹿か」と吐き捨てた。それに対して私は詳しくないから仕方ないだろうと舌打ちした。
惰性で見ていた試合だけど、なかなか面白かった。速いパス回しとたまに飛び出す派手なダンクシュートが目を惹く。あっという間に展開していくゲームを目で追いかけるのが精々。ボールを見失って気がついたらゴールに入っていたこともしばしばあった。
「温い」
「文句言うなら飲むな」
淹れてくれたコーヒーが沁みる。しつこいくらいにキスを繰り返していたからだ、絶対そう。唇だけじゃなくて、口の中も違和感がある。ひりひりと刺すように痛い。その痛みを紛らわすように口を開いた。
「…マイケル・ジョーダンってこの中にいるの?」
「もう引退した。何年前だと思ってんだ」
「いや知らないし」
「今はレブロン・ジェームズだろ」
「どの人?」
「黒のユニフォーム6番」
その“黒のユニフォーム6番”がボールを手に目にも止まらぬ速さで駆けて行く。見たことがないから想像しがたいけどコイツもこんな風にプレイするのだろうか。ボールを手に対戦相手の脇を擦り抜ける。その時、ふと頭に浮かんだ。
―最近プレイスタイルが変わった。
―ラフプレイが減った。
花宮のチームメイトの言葉が突然反芻されて、一瞬考え込んだ。私からすれば、卑怯としか言えないその行為。古橋たちに言った時にも思っていたけど第三者の私がそれに対してとやかく言う筋合いはない。部外者の私が何を言っても花宮の癪に障るだけだ。
とはいえ、引っかかりがある。好きで選んだバスケでどうしてそんなことを。腹の内を探る訳でも、虫の居所を悪くさせたいわけでもない。意図はない。ただ単純に聞きたいだけだった。
「NBAでもラフプレイってあるの?」
静かに食い入るようにテレビを見ていた花宮の肩が小さくピクリと動いた。雰囲気が冷ややかになる。
「あ?」
「わざと肘ぶつけたり」
「………」
「足踏んだり、とか」
「さあな」
白を切るつもりか。横目で花宮を盗み見て更に踏み込む。
「あんなに図体デカい人が狭いコート内で押し合ってたら、わざとやってもバレなさそうなもんだよね」
「で?」
「私が何を聞きたいか分かる?」
「知るかよ」
「好きでもないことにそこまで打ち込めるものなの?」
お前は人を殴ることで快感に近いものを得て満足しているのだろう。そう言い当てられた時どうしてそこまで分かるのか、と恨めしかった。でも事実だったし、自分自身の感受性が歪曲していることは知っていた。先に、私の領域にどんどん押し入ってきたのは花宮の方だった。今度は私が、花宮の領域に足を踏み入れた。
「何が言いてえんだ、悠」
「文句をつけようって訳じゃないんだけどさ」
「文句にしか聞こえねえよ。部外者だろ口出しするな」
当事者でもないお前は入ってくるな。明らかな拒絶。案の定だ。想定した通りの言葉。でもそれは返答じゃない。言ったはずだよ、花宮。私はアンタのすること成すことに忠告をする気は微塵もない。戦術というなら今までと変わらず続けたら良い。人には人のやり方がある。
「それはごもっともだね」
でも、好きだから、こんな風に真面目に見入っているんじゃないの。ウインターカップの予選決勝リーグで、ピクリとも動かずに試合を見ていた顔と全く同じ。無表情だけど、食い入るようにしていたあの時と変わらない。好きなものに、そんな風に逸脱したやり方しか知らないのはどうして。全ては憶測の上で、上辺だけの軽々しい言葉しかかけられないことくらい分かっている。これは文句や忠告、苦言の類ではない。
「それでも」
「うるせえ、黙れ」
有無を言わせぬ力。乱暴に胸倉を掴まれて唇に噛み付かれる。じくりと痛みを伴いながら苦いコーヒーの味が、した。
改稿:20200506
初出:20121025