壊して崩して
「悠」
ずっと靄がかかっているみたいだった。夢でも見ているような、曖昧な感じ。それなのに感覚だけはハッキリとしていて。花宮の体温が傍にある、と分かった。
「悠、」
あちこち痛かった。皮膚に噛み付かれて歯型がたくさん残っているのだと思う。名前を何度も呼ばれて、いつもと違う息苦しさで朦朧とする意識と思考。でも、首を絞められているせいではなくて、ただ胸が痛くて上手く息が出来ない。何故だろう、どうして。滲む視界。涙なのか汗なのか、判別がつかない。
「…、ぃ あっ」
意味を成す言葉を発しなくても、伝わりそうで。目を閉じても、少し苦しそうにしている花宮が見えそうで。考えていることがそのまま筒抜けになってしまっているような、変な錯覚。怖くて何も考えられない、考えたくない。ぎゅっと目を閉じて思考をやめた。拒絶するわけでも迎え入れるわけでもなく、与えられるそれに従順になっただけ。触れてくる手が、破壊的だった。物理的なものではなくて、何か目に見えない、別のものを徹底的に壊すような。
「花、宮」
でも、肌に触れるその温度が、無性に愛しい。
*
この数ヶ月恋人ごっこなんざしてきたが、こういう風にするのは初めてだった。こうやって唇を重ねるのは。黙れ、と言う代わりにしたことは何度かあったが。
「ん、っ ぅ」
1回で離れていくものだと思っていたのか、悠は続くこの行為に酷く困惑している。俺から距離を取ろうと後退するばかりだ。
「や、」
やだ、じゃねえ。ちょっと頭にきたから、後頭部を掴んで引き寄せて更に唇に噛み付いた。それでようやく観念したのか、突っ撥ねようとしていた手を下す。初めからそうしておけ、バカ。途切れないキスに、おずおずと舌を絡ませて稚拙に応えた。下手くそ、とは思ったが別に文句があるわけじゃない。息継ぎの合間に漏れる吐息。相変らず眉間に皺が寄ったままだけど、目元は赤く、涙目になっている。
「息、出来ない」
「鼻でしろ」
「無理、…っ!」
口を開けば生意気ばかり。それなのに、シャツを掴む悠の手は、拒絶するような縋るようなどっちつかずのもの。突き放すかと思ったら、助けを求める。制服を取っ払う時も大人しくて、いざとなったら少し煙たげにこっちを見てくる。大して慣らしもしてないのに、ぬかるんだそこには易々と入り込めた。
「ん、 ぁ…」
「悠」
気がついたらあちこちに噛み付いていた。肩の傷跡や、鎖骨の辺りに脇腹辺り、柔らかい皮膚の下にある骨の硬さを直に感じられるところ。歯を力任せに押し付けていく度に悠は体を竦ませた。何度も噛み付いて歯形が残っているところを舌で舐めると、息を呑んで俺にしがみ付いてくる。
痛いのか感じているのか、どっちとも取れる反応をする。曖昧ことばっかりしやがって。ハッキリしろ。首筋から肩にかけてしつこく噛みついて肩口の骨に、歯を押しつけた。ぎぎ、と軋む音がすると焦ったように悠が声を上げた。
「やめ、…っ!」
ぬめった感触と鉄の香りと小さな悲鳴。加減を忘れた。肩から、少しだけど血が出ている。
「、っいたぁ …」
「悪い」
「加減してよ、ばか…っ」
あまりに痛かったのか、涙ながらに睨み上げてくる。その表情はそそる。脱ぎ捨てられたシャツを傷口にあてて止血しながら、そこを抓りあげるとその顔が大きく歪んだ。
「―っ!」
「締めておいてそりゃないだろ」
噛みつく度に反応する体。変態、と罵ってくるお前だって反応している。また皮膚に歯を立てる。噛み付きたい衝動が抑え込めない。悠は泣きながら苦しいと訴えてくる。あってないような弱々しい抵抗だ。
「花、宮」
呼吸に合わせて上下する下腹部に手を当てた。柔らかい体の奥の方、この手の下で、内側で繋がっている。がらでもないことを考える。考えたところで何かの足しになるわけでもなし。動くと、汗が伝って悠の腹の上に落ちていく。暑い。
「 あ、ん」
緩やかに動き出すと、鼻にかかったような艶っぽい声で鳴く。体中にある歯形が少しばかり変色して痣のようになっている。青黒いような赤黒いような。パッと見はグロテスクな印象を受けるそれ。白い肌の上に点在するそれが妙に映えて、悪趣味だが綺麗に見えた。
自分が残した痕だと思うと、無性に堪らない。優越感なのか、独占欲が満たされるのか、妙な安心感があった。与える痛みに歪む顔も、穿つ快感に上げる声も、流す涙も向けられる言葉も。それら全てに。
「ふ、 あっ」
「声、抑えんな」
「、…やだ」
「また、やだかよ」
それなら抑えられないようにしてやる。互いの腰骨ががつんとぶつかるくらいに深く刺し込むと、さっきまでの威勢はどこへやら、甲高い声で喘ぎ出す。鋭い目つきも鳴りを潜めて、ただ情の色が映るだけ。
きつく目を閉じる度に目尻から涙が溢れて、頬に後を残す。拭う余裕もないから次々と流れて、しゃくりあげながら声を漏らしている。膝裏を持ち上げてもっと深いところで繋がれば、必死に耐えている様子が視界の端で見えた。息も荒くなってきた頃合いでそろそろとか思い、いつものように首に手を伸ばす。
「、 と」
ほとんど音になってないが、ハッキリと耳に届いたそれに一瞬面食らう。今まで一度も呼ばれなかったそれ。何かが崩れていくような感覚に、伸ばした手は行き場を失って、苦し紛れに悠の手を握るだけになった。
ハッキリとは覚えてないけど、優しく抱きしめられたような気がする。
改稿:20200506
初出:20120907