半端なふたりごっこ
「クリスマスは、どこかに行くの?」
そう聞かれたのは数日前だ。これを聞いてきたのが、毎日のように遊び歩いてやりバイトに明け暮れて勉学をそっちのけにしている人間であればいくらか得心がいく。何故なら彼ら彼女らは、イベントがある毎に恋人の有無を嘆き騒ぎ立てるのが生き甲斐だからだ。
しかし、クリスマスの予定を問うてきたのはどちらかと言えば、大人しいと認識されるような部類の子だ。自己主張はほとんどなく、部活にも属さず恋愛の噂も立たない地味な子。何故そんなことを。運動部に休みがあると思っている時点で間違っている。
「部活あるから、どこにも行かないよ」
大晦日まで部活漬けだ。空手部は新年早々に2日から練習が始まる。読書が趣味という点だけが共通のその子は、大変なんだね、と言った。
「それなりに練習しないと結果なんか出ないからね」
追い払おうと少し棘のある言葉を放ったけど、会話が途切れるどころか意外な言葉をかけられて当惑した。
「あの、掛川さんって、花宮くんと付き合いだしてから雰囲気変わったよね。悪い意味じゃないの。今まで以上に気さくに話せるようになったというか…。それで付き合っているなら出かけたりするのかなって思って、」
「………」
「あ、あの、怒ってる?」
無意識のうちに顔に出てしまったのだろうか。花宮と関係を持ったことで表に見えるほどの変化があったこと、それを指摘されたのがとても気に入らない、と。困ってその場に立ち尽くすクラスメイトに向かって、平静を装い飽くまで柔和な表情で笑いかける。
「怒ってないし、話しやすくなったのは気のせいじゃないかな」
全くもって、気のせいであって欲しいものだ。私は何も変わっていない。
*
冬休みに入っても学校に足を伸ばして部活に励む。クラスにいる頭のネジが緩い連中と顔を合わすことがないから、気分は悪くない。練習が終わって体育館の外に出てみると、空は真っ暗闇でどんよりとしていた。底冷えする日の練習は特に手足が冷え切ってしまう。寒さには勝てなかった体を少しでも温めようと買ったホットコーヒーから、手にじんわりと温度が伝わる。
「よう」
花宮だ。しんと静まるように凍てつく空気の中、自販機の前で立ち話をする。
「この時間まで部活?」
「いや、顧問の相手してた」
花宮は監督とキャプテンを兼任しているが顧問は別にいる。老齢の日本史教諭で、バスケの知識がないため技術的な指導は出来ず、日常的な生徒指導を行うだけだ。立場だけの顧問。その話相手になっていたという。
「珍しいことがあるもんだわ」
「仮にも全国模試1位の優等生だからな」
「嫌味かよ…」
周知の事実であるステータスを唐突に誇示され白けた。冗談のつもりで言ったのだろうが全く面白くない。アンタは正真正銘の優等生だよ、外道の皮を被ってはいるけど。
「今帰りか」
「そうだけど」
互いの吐く息は真っ白で、ほんの僅かな間に消えてしまう。切るような冷たい風が吹いて、前髪が大きく乱れた。顔が冷たくて引き攣りそうだ。コーヒーは何の気休めにもならなかった。
「遅いと親が煩いんじゃねえの」
「どっちも出張と帰省で家には誰もいない」
父親は年末まで仕事、母親は田舎の方で、いつも通りそれぞれ逢引するに決まっている。熱心な人たちだ、全く。呆れてものが言えない。みっともないことを好き好んでやっているのだ。体裁を保とうと思うなら完璧に隠し通せ。バレないようにもう少し上手くやれ。中途半端にしているから、こっちだって勘付いてしまうのだ。
「おい」
「ぐっ!」
考え事をしていると、マフラーを後ろから突然引っ張られた。強く引っ張られたわけじゃないけど、反射的に体が委縮する。
「っ、何!?」
「帰るな」
「はあ?」
「誰もいないんだろ」
帰ったところで、何をするでもなく一人で過ごすだけだ。
「まあ、そうだけど…」
「それなら決まりだ。来い」
「命令するな。腕を掴むな!」
世の中はクリスマス一色だった。仕事帰りのサラリーマンに加え繁華街に向かうカップルや人でどこもかしもこ混んでいる。浮き立つ雰囲気に置いてきぼりを食った気分になる。
「仕方ねえ。俺の家に来い」
「…やっぱり帰る」
「逃げんのか?」
踵を返したところを鼻でフッと笑われた。臆病者め、と嘲ってくる花宮が心底憎たらしい。見え透いた挑発に引くに引かれず、結局花宮の家に行くことになってしまった。
*
悠は本棚にびっしりと並べられた本を食い入るように物色していた。特に小説が並べられている辺りは念入りに。
「小説は読まないのかと思ってた」
以前に原がビジネス書を読んでいるのを見た、というのを聞いたらしい。必要性を感じれば絶版の本も探し出したし、翻訳出版前の洋書も取り寄せ蒐集された書籍のジャンルは多岐に渡る。
「そりゃ俺にだって好みはある。読みたいものを読む」
「これ、読んで良い?」
「好きにしろ」
初めは文句ばっか言っていた癖に人の家に上がった途端、これだ。自制の利かないガキのように本に齧りついて離れない。
「…………」
テレビをつけたところで目ぼしいものはやっていなかったが、部屋の中が無音になるよりはマシだった。出演している芸能人がどんなに面白おかしく話をしていようが、取り巻きが盛り上げていようが、無味乾燥なものだ。番組が終わってしまえば記憶に残らない。
外を走る車のクラクションに電車の車輪が線路をゆく音。テレビの中で馬鹿笑いしている奴らより、そちらの方がまだ趣があるとさえ思えた。盛り上がるテレビの中とは対照的に、部屋の中は静かだ。
「…………」
辛うじて聞こえる座り直す時の衣擦れの音や、ページを捲る乾いた音の方が、テレビのそれより耳に付く。視線を横に逸らす。髪の間から見える耳に項、ページを捲る指先。悠は相変わらず本を熱心に読み込んでいる。貸してやるから、今は読むな。
遠巻きに眺めていたがソファから立ち上がって、床に座り込む悠に歩み寄る。俯いて夢中になっているその頬に触れる。意図を察したのか、一瞬だけ鬱陶しそうな目線をこちらに投げかけた。が、抵抗は一切しなかった。
どう足掻いても読書の量は、越えられない壁の向こうに花宮、と言う感じ。
改稿:20200506
初出:20120906