それは紛れもなく不透明で
「仕事熱心だな」

「一応優等生として通ってるからね」

人気のない校舎の更に人気のない階の資料室。教諭に押し付けられた資料を黙々と片付ける。人気がなさ過ぎて夜になるとお化けが出るのだとか、そういう類の噂が絶えない場所。

静かで良いけど資料室の大きなソファで寛いでこっちをぼんやり眺めているだけの花宮が気に食わない。わざわざこんな所にまで出向いたかと思えば、ゴロゴロしているだけだ。サボるには最高の場所なのだとか。勉強しなくても問題がない成績を誇るだけある。頭良いとサボりの天才にもなるわけね。良すぎるのも考えものだ。

「自分の時間を割いて手伝いとは、優等生も骨の折れることだな」

「これで外面を繕えるなら大した労力じゃないね。ま、あの先生は生理的に受け付けないから避けたいんだけど。退職してくれないかな」

「さすが真っ黒いこと考えてる優等生は言うことが違うな」

「アンタには言われたくない」

あの人、手際悪いな。資料がこれほど散らかって収拾がつかなくなっていたら人に丸投げしたくもなる。元の場所に戻すのは面倒だろうが、自分の事務能力のなさをどうにかしようとはしないわけだ。そして断りそうもない私に押し付けた、と。そんな未熟者に教わっていると思うと腹立たしくなる。授業料の返還を求める。

「おい次の授業、何だ」

「現代文。自習だけど」

「よしサボる」

「勝手にすれば」

「出るのかよ」

「一応」

何を思ったのか花宮はソファからダルそうに起き上がった。資料を仕舞う棚の前、テーブルの上に座って私の髪に手を伸ばす。思わぬ行動に一瞬面食らってぽかんと見つめてしまった。いきなり何をやり始めるのコイツ。

「何」

「別に」

「そう」

部活の時以外は基本的に髪を結ばない。花宮はその肩甲骨まである髪を掬って指先にクルクルと巻きつけて遊んでいる。最初はそこまで気にならなかったけど、ずっと続けられると迷惑だ。

「…何?」

「別に」

「邪魔なんだけど」

「あ、そう」

一定のリズムで巻きつけていた指を動かすのをやめると、私の髪の毛はするりと花宮の指から滑り落ちた。残りが少なくなった資料を全部まとめて棚に押し込んでしまおうと、花宮に背を向けた。それがいけなかった。

「おい」

声をかけられて振り返ろうとした、その刹那。耳元でガタンと大きな音がして思わず肩を竦めて目を反射的に閉じた。

「思ったよりビビりだな、お前」

薄っすらと目を開けると目の前には呆れ顔をした花宮が立っている。よく見たら壁を背にしている私を囲むように手を伸ばしていた。壁と花宮に囲まれて逃げ場がない。閉じ込められた。

「何してんの」

「お前も付き合え」

「はっ?」

「自習なんか出るなっつってんだ」

「断る。付き合ってやる義理がない」

壁に押し付けられた状態で、言葉を紡ぐ間もなく無理矢理に唇を奪われてしまった。性急な動きに面食らったけど、ここがどこかを思い出し全力で抵抗した。渾身の力で胸を押し退けようにも逆に腕をあっさり掴まれて壁に縫い付けられる。コイツ、180近く身長あるんだった。160もない私じゃ、体格差で何にも出来やしない。

「逃げられると思うなよ、バアカ」

血の気が、引いた。



もとから期待なんてしちゃいないけど情緒も雰囲気もあったもんじゃない。立ったままで繋がっているせいか、いつもと感覚が違う。中途半端に出て行ったかと思えば奥まですんなり入り込んでしまう。普段じゃ当たらないところばかりを責められて何度も悲鳴をあげそうになった。その度に花宮にしがみ付いて声を押し殺して、どうにか息をする。背中の筋を、つうと汗が伝った。

「いつもより反応が良いじゃねえか」

「う、るさ   ―っ!!」

「生意気な口利くと殺すぞ」

息の根を止める、という意味じゃなくて前後不覚にさせる、という意味合い。花宮は行為中にこの言葉を使う。どう足掻いても、この行為の最中はコイツに敵わない。それなのに迫る花宮に抵抗すらしないで、当たり前のように脚を開くのはどういうことなんだろう。

「あ、― やめ 、」

奥の方でねちっこく動かれると勝手に腰が動く。お腹の中で動き回る花宮に翻弄されるがまま、それに合わせて動いてしまう。

「腰振って、そんなに気持ち良いかよ」

「ち、が  んっ 、ぁ」

「どの口がそれを言ってんだ」

「―っ!!」

一際大きな波が体の感覚を掻っ攫って行く。背中に手を回して必死にシャツを掴んで倒れないようにするだけで精一杯。シャツ越しに、ドクドクと脈打つ花宮の鼓動が聞こえる。

彼氏と彼女という関係ではあるけど、好きだとか恋しているだとか感情の類を胸に抱いているわけではない。ただ装っているだけ。それはお互いに言えることだ。人を寄せ付けない名目で一緒に居て、そしてたまたま一線を越えた。いくつかの偶然が重なってこういう関係になっているだけだ。

「、は なみや」

「っ、 ぅ」

「あ、 あっ」

みっともない声が出るのが恥ずかしくて堪らない。頭の中のどっか冷静な部分で、喘ぐ自分を誰かが見下ろして「淫乱な奴」と嘲っている。淫乱だと罵られようと罪悪感が沸こうと、それでも体を重ねる。いつ崩れてもおかしくないような、この関係に縋ってしまっている自分は、一体。花宮に何を求めているのか、惹かれているのか。いや、そんな感情を抱いていないのだから、この問答は無駄でしかない。

資料室の灯りが眩しい。足先の感覚なんてほとんどない。自立出来ているのが不思議なくらい。ただ体を支配する快感だけがこの時の全てであり、しかし互いを繋ぎとめる一つの材料にもならない。なんて、些末な。

「おい、悠、」

意識が霞んでいたせいで、耳元で囁かれたのに反応するのが随分遅れてしまった。もう一度名前を呼ばれ、はたと我に返ってようやく返事をする。

「な、に」

結合部分が、熱い。熱くて切ないのに、ただ一時の繋がり。花宮はしばらく黙っていた。

「…  やっぱ、いい」

何でもねえ、と呟いたきりまた無遠慮に動き出した。そして互いに言葉を交わすことなく、絶頂を迎えた。


それは紛れもなく不透明で
(指の間をいつも擦り抜ける)


改稿:20200506
訂正:20121126
初出:20120825
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