逸脱した行為と言葉の裏側
もう11月だというのに突然降り出した雨に思わず叫んだ。

「ゲリラ豪雨って夏の間だけじゃないの!?」

雲行きが怪しいとは思っていたけど、まさか降るなんて思いもしなかった。バケツを引っくり返したという表現も生温いほどの土砂降りだ。滝のような雨というに相応しい。雨宿りが出来そうな、マンションのエントランスに駆け込んだ。

「止みそうもないな…」

真っ黒な雲に覆われた空を見上げながら一人ごちる。夜でもないのに辺りは日が暮れたように薄暗い。ずぶ濡れになった体に風が吹き付けて悪寒が走った。寒い、芯まで凍えそうだ。体を縮めていればいくらか温かいかと思ってしゃがみ込んだけど、そんなことは全くなかった。

このままだと完全に風邪をひく。父親が出張、母親は帰省していて家には誰もいない。万が一拗らせた場合のことを考えて、雨が小降りになったら食料をいくつか買って帰ろう。などと、悶々と考えていると頭上から声がかけられた。

「何やってんだお前」

この声は紛れもなく。顔を上げる。嫌な予感は的中していた。

「花宮」

滝のような雨が降る中、花宮はエントランスの前でしゃがみ込んでいる私を見下ろす。傘を持っていたらしく、ちっとも雨に濡れていない。用意周到な奴だ。今はそんな小さなことでさえ気に入らない。

「そっちこそ何やってんの」

「ここの6階、俺の家」

「はぁ?」

乱暴に傘の水を払うと、その飛沫が飛んできた。わざとやってるだろ。何食わぬ顔して嫌がらせをするなよ。憤る私を横目に花宮はオートロック解除のボタンを押している。ここが花宮の家だと判ったらさっさと離れたくなった。気持ちに後押しされて立ち上がる。

「しかし酷い有様だな、ずぶ濡れじゃねえか」

「どうぞお構いなく。走って帰るから」

何が悲しくて憎たらしい花宮の家の下で濡れ鼠よろしく震えていなければいけなのか。革靴ではそう速く走れない。更にずぶ濡れになるのを覚悟した。

「おい、さっさと来い」

「来いって、どこに」

「話の流れで考えろ、バアカ」

オートロックの解除された扉を開けたまま立っている花宮が視界に入って、走りだそうとしていたのを止めて思わず振り返る。心底不機嫌そうにこちらを見ている。ほんの数秒睨み合ったけど結局折れたのは私だった。ぐしょぐしょになってしまった制服が肌に纏わりつく不快感をどうにかしたかった。そして何より寒くて敵わない。

言われるがまま花宮の後ろをついていく。また言いなりになっているのが不服だった。髪を伝って雫が制服に滴り落ちる。ちょっと冷静になってみれば、この状態で再び雨の中を走るのは無茶だと分かることだった。どれだけ取り乱しているのだろう、私は。

「乾燥機、そこな」

部屋に上がったら、無理矢理タオルと替えの服を押し付けられて風呂場に押し込まれてしまった。強引過ぎる、と愚痴ったが心地悪さには勝てず制服を脱いだ。



半渇きの髪の上からタオルを被ったまま俺を侮蔑の目で見るのはやめろ。コーヒーの注がれたカップをなかなか受け取ろうとしない掛川に、風邪を引かれて俺のせいにされたら迷惑だからさっさと飲めと皮肉たっぷりに言うと、渋々と受け取った。

「………」

部屋の中は無音だ。未だに警戒している掛川はだんまりで、気を遣うつもりが一切ない俺は読みかけの本をテーブルの隅に平積みにした。湯気の立つカップに口をつける様子が頭からすっぽり被ったタオルの隙間から見えた。距離をとって座り込む掛川はサイズが合わない俺のシャツを着ている。怯える小動物よろしく体を小さく縮めている所為で体格差が際立つ。背丈は平均的で、無駄がないといえば聞こえは良いが、貧相な体に見える。掛川を眺めていると、襟から見える肩の後ろ側に赤い筋があった。

「怪我でもしたか」

「え?」

「肩」

見るなと唸りながら襟ぐりを手繰り寄せて隠したが、やや間を置いたあと言った。

「昔、皿を叩きつけられた」

本当にまだ小さい時だった。厳しい教育に我慢出来ず友達ともっと遊びたいと訴えたところ、母親が逆上したらしい。遊んでいる暇があると思うのか。遊びに現を抜かして成績が下がったらどうする気だ。そう喚き散らしながら飛んできた皿は一枚や二枚じゃ済まなかったという。

「両親の不仲と家庭環境の悪化。これが決定的になったのはその頃だよ」

ぽつりと呟いて、コーヒーに手を伸ばす。が、カップの取っ手を指でいじるだけで、一向に飲む気配はない。

「子を気にするのは親の性分だろ」

いつだったか、屋上で身の上話をしてしまったことを思い返した。掛川の母親はコイツに対して「私の子供として恥ずかしくないようになれ」としつこく言い、部活であれ勉学であれ、結果が残せなければ詰る。子供は自分の作品だと勘違いしている。

「とはいえ押しつけるのはただのエゴだな」

「ふん、考えなしってわけじゃないんだ」

掛川は俺を嘲るような歪んだ笑みを浮かべる。

「気に掛けるのは性分。一見惨たらしい仕打ちも裏を返せば愛情なのだから受け入れるべきだ。そう言うのかと思ったけど」

コーヒーを一口含んだあとに紡がれる言葉は苦々しさを通り越し、怨嗟そのものだ。

「エゴに振り回される子供の身にもなってみろ。愛情だからしんどくても重くても受け入れろ、なんて言う人間は母親と同類よ。善人みたいに説法を説いて苦しみを増やす。そんな連中は一人残らず、私の敵」

掛川の瞳の中に宿る憤怒の色は激しく濃い。推察するに誰かしらに言われ、酷く心を掻き乱されたらしい。この人格を形成するまでには激しい紆余曲折があった。自分の意思が間違っているのか?母親の言うことが正しいのか?親の愛だと言われるそれを受け入れない自分がおかしいのか?

自問自答の末、笑顔を張り付けたまま愛を受け止める演技をする手段を選んだ。詳しくは知る由もなく推測の域を出ないが、恐らくそういうことがあったのだろう。

「お前のその頭抜けた憎しみには恐れ入るな」

「褒めてるなら怒るけど」

「連絡もなしに外泊くらいしてみろ。娘の反抗に驚いて考えを改めるかも知れねえぞ」

「前言撤回。アンタは何も分かってない」

子供の意思など尊重もしなければ汲み取ろうともしない。自分の意に沿わない言動は根元から断つか捻じ曲げるだけだ。懲罰式の教育を施す上に、外泊なんて破廉恥だと大真面目に言う思考の持ち主だ。その後どうなるか、など想像に容易い。なにもかもが逆効果。

全ての受け答えに諾と首を縦に振ることを強要される人生などもううんざりだ、と掛川は鬱屈した表情を浮かべる。

「もういい。どうでも、いい」

まるで張りのない弱々しい姿。手を伸ばして肌に触れると大袈裟に肩を竦ませて、その場から飛び退いた。さっきの意気消沈が嘘のような身のこなしだ。怒りと困惑の色がはっきりと見えた。

「触るな」

「悲しそうだから慰めてやろうと思ったのに」

「アンタは微塵もそんなこと考えてない」

誤魔化しは効かないか。そっとしておくつもりだったけど、気分が変わった。ふつり、と加虐心が沸き立って、掛川に詰め寄るが、意図を読み取って必死の形相で捲し立てた。

「来ないで」

「怖がるなよ。大したことじゃない」

「知らない、私には関係ないでしょ」

怯えも交じってか声が震えている。想像が現実のものとならないよう、場合によっては実力行使も辞さないだろうな。

「大いに関係ある」

そもそも誘いに乗った時点でこうなることくらい、分かっていたはずだよな。逃げる掛川の手首を掴んで、リビングの床にうつ伏せに押し倒した。生乾きの髪が散らばる。その隙間から睨み上げる鋭い目には、さっきより濃く深い怒りの色が浮かんだ。

「それにな、弱ってるところを叩かないでおくと思うか?」

狩りには絶好のタイミングだ。俺の真意に掛川は呪詛の言葉を吐く。軽々しく身の上を話したことも、自分を組み敷いている俺も、ほんの僅かでも気を許してしまったことも、全部ひっくるめて。

「然るべき方法で仕返ししてやる。後悔させてやる、泣いて詫びても許さない、絶対にお前を許さない」

この体勢になってもまだそれだけの啖呵を切れるのか。どこまでも強情な奴だな。だがそれが面白い。服の隙間から手を差し入れて直に肌に触れると、掛川は息を噛み殺して目をきつく閉じた。



体を這う花宮の手の熱さが気持ち悪い。背中をなぞる指先も、太ももを撫でる掌も、全部。それにいちいち反応を示す私の体も気持ち悪い。まるで自分のものではないように制御が出来ない。何度も手首の拘束を解こうと身を捩ったけど無意味だった。体重を乗せられたら逃げられるわけがなく、一層拘束がきつくなるだけだ。せめてもの抵抗は、声をもらさず反応を示さないこと。だというのに。

「っ、 う、」

ぬるりと下半身に滑り込む感覚に体が悲鳴を上げる。侵される。やだ、入ってくるな。逃げられない以上、ただ拳を握り締めてその感覚を紛らわすしかない。でも駄目だった。下の方で体温が蠢く度に肩が震えて、息が乱れる。足の爪先が床を擦る感触、床に押し付けた額から汗が流れる感触、背中に感じる花宮の体温。何もかもが汚らわしくて、また抵抗した。「いい加減諦めろ」と半ば呆れ、怒ったような声の後、花宮は体重をかけてきた。視界に突然現れた照明に目が眩む。

「っ、」

向かい合う姿勢になって、初めて目が合った。合って、しまった。それが忌々しくて、目を逸らしてぎゅっと閉じる。もう嫌だ。夢であればどんなに救われるか。現実逃避のそれは直ぐに頭の中から吹っ飛んで行った。下腹部に、違和感がある。違和感が、どんどん大きくなる。窮屈だ。痛くて痛くて、息もまともに出来ない。

ズキズキと痛むそこが、花宮と繋がっているのだと考えたら悔しくて憎たらしくて。しかしそれを凌駕するのは悲しみだった。怒りで埋め尽くされているはずの五臓六腑が、悲しみに震える。零れ出す涙を拭う術はなく、目をきつく閉じて息を殺して反応を示さないことでしか抵抗を示せない。自分の無力さを恨んだ。耐えろ。耐えるしか、ない。

「強情だな」

そう言って更に奥まで入り込んできて、痛みと熱さに堪えていると、花宮が行為中とは思えないような冷静な声で言った。

「そういう態度ならこっちもに考えがある」

「…―あ、っ!」

首に手がかけられて、殺されると思った。次の瞬間には、ぐるりと視界が揺らぎ出して、何で自分がここにいるのか、何で花宮とこんなことをしているのか、分からなくなった。助けを求めて声に出そうと思ったけど、代わりに出たのは自分のものとは到底思えない甲高いものだった。耳を塞ぎたかった。出たのは一瞬だけで、あれだけ汚いと思っていたのに、どういうわけだかそんなことどうでも良くなって。ただお腹の下の方が、熱くてどうしようもないことだけを覚えている。


逸脱した行為と言葉の裏側


「、 う、っあ…」

床と骨が当たる音が耳障りだったが、響く声に相殺されてそこまで気にならなかった。声の主はずっと目を閉じて、五感全てを遮断しようと眉間に皺を寄せて耐えている。この期に及んでも尚、徹底した拒絶の態度を崩さない様子の女は初めて見た。

「―、あっ 、うっ」

痛いと訴えていたのはどこのどいつだ。甘ったるい声あげやがって。打てば響くその反応に思わず口角が上がる。細い首に手をかけて体重をかけていくと、そこが断続的に締まり続けた。蹴るなりして逃げ出すかと思いきや、黙ってこっちを見上げている。焦りの色は見えたけど、どういうわけかコイツは抵抗しなかった。目尻から溢れる涙が床に落ちていく。掠れた息がどうにか吐き出せるような状態。そんな状態で突き上げられ続けて、とうとう糸が切れたみたいに悠は失神した。



改稿:20200506
初出:20120906
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