柔らかい部分に触れて
事の成り行きから不本意ながら花宮と“恋人”を装うことになってしまった。害虫駆除なんて好きにすればいい。その相手が、何故私だったのか。未だに釈然としないが、あの日から一週間経っても特別変わったことは起きていない。馴れ合うわけでないなら“そういう関係”でも構わないのではないか、と思ってしまった。これがまた不本意である。事態を肯定していることになる。

「掛川さん。花宮くんにこれ、渡しておいてくれる?」

懊悩している私に声をかけたのは女性教諭で、差し出されたのはプリントだった。何故私が、と反論しそうになったがクラスに一定数いる優等生として認識されている以上これは受け取らない訳にはいかない。指名された理由を勘繰った自分を恥ずかしく思う。

「どうしよう、これ」

机の中に突っ込んでおいて紛失なんてことになったら面倒くさい。かといって体育館まで足を運ぶというのは矜持が許さない。連絡するか、と思い立つものの連絡先を聞いていない。八方塞がりだ。

「あーら掛川さん、ご機嫌麗しゅう」

ダルそうにカバンを持って歩いてくる男子生徒がふざけた挨拶をしてくる。一体誰だとねめつければ、嫌でも目に入ってくる鬱陶しい前髪に風船ガム。原だ。鴨が葱を背負って来た。

「ちょうどいい。このプリント花宮に渡しといて」

「やだよ。頼まれたの俺じゃねえし」

「部活で顔合わせるでしょ」

「今日は休みなんだよなー。残念でしたあ」

「ちっ、使えないな。連絡先教えてくれる?」

風船ガムを膨らませながら原は首を傾げた。

「連絡先なら知ってるでしょ?」

「知らない」

「花宮は掛川ちゃんの連絡先を知ってるって言ってたけど」

「…は?」

「確認してみれば?」

何か嫌な予感がして慌てて携帯を取り出してSNSアプリを立ち上げた。深い意味はなく、原の自信満々に当たり前の事実を述べているかのような態度が気味悪く感じた。SNSの友達一覧をスクロールした指が止まる。

花宮真

見間違いではないかともう一度名前を読み直す。何度見ても“花宮真”であることに変わりはない。恐る恐る名前をタップすると初期設定のままのアイコンとプロフィール画像が表示された。

一体どうして。いつの間に。何故花宮のアカウントが追加されている?理解出来ない事態に頭が混乱して手がワナワナと震え、声も掠れる。

「あった?その様子だとあったよね」

「何で、私の携帯の中身を、把握してんだよ」

「把握してるわけじゃないんだけど」

花宮がそう言ってたから、と言い残して原は自分に火の粉が降りかかるより早くダッシュでその場を逃げ出していた。八つ当たりする相手をなくして私はしばしの間その場にうずくまって怒りをどうにか鎮めようと葛藤していた。

「いや時間の無駄!」

そう気が付いて腹の虫が収まらないまま高速で画面をタップしてメッセージを送信してやった。さっさと用を済ませて帰って勉強をして寝てしまえ。僅かでもいいから今しがた起きた出来事を消し去りたい一心だった。

“先生からプリントを預かってる。”

“どうやって登録した。”

覚えもないのに、勝手に登録されている花宮のアカウント。それを知っていた素振りを見せた原。怪しい。乗っ取りアプリでもインストールされたか?携帯を放置などしたことがあったか?ここ最近の自分の行動を思い返すが思い当たる節はなかった。1分もしないうちに返信があった。

“屋上”

簡素すぎる内容にまた腹が立った。来い、ということか。そして私の質問は無視する横柄ぶり。なにもかも、言動も態度も姿形も全てが癪に障る。どいつもこいつも人を馬鹿にしやがって、と悪態をつきながら屋上への階段を上る。途中で誰にも会わなかったのは不幸中の幸いだった。今の私は般若の如き表情を顔面に貼り付けている。人様に顔を合わせられる状態ではなかった。

少し建てつけが悪いドアを開けて、いつもの通り人気がほとんどない屋上に出る。頬を撫でる風が僅かに冷たい。貯水タンクの横に座り込んでいる花宮を見つけて、カバンの中を探りながら歩み寄った。

「花宮」

「ん」

風に煽られて少しひしゃげるプリントを受け取った花宮は、何も言わない。ふとどうしてこんな場所にいるのか疑問に思ったが、コイツとは必要最低限のやりとりしかしないと決めた。干渉もしないし踏み込んだりもしない。花宮がここで何をしていようと私には全く関係のないことだし、これ以上聞くことも言うこともありはしない。

「じゃ、帰る」

「掛川」

「何」

振り返ると、花宮がブラックの缶コーヒーをこちらに差し出していた。意図するところがあると疑って花宮と缶を交互に見遣った。特別意味などないようなので手を伸ばしたら、指先が触れる寸前で缶が逃げた。花宮が手を引っ込めたからだ。馬鹿にされている。付き合った私がいけなかったと顔を背けようとすると缶が差し出されて手を伸ばす。そんなのを数回繰り返した。アンタは火に油を注ぐのが好きなようだな。

「何がしたいの!?」

「からかわれた程度で喚くなよ、座れ」

そう言って花宮は自分の隣を指で指しながら缶を地面に置いた。お前にくれてやる、とばかりに提示されているものを前に、完全に餌付けされていると自覚しつつ渋々座った。言いなりになって情けないと自責する私の横で、花宮はプリントを眺めてよく飽きもせずこんなつまんねえ問題出すな、と鼻で笑った。

「お前、授業出なくても良いんじゃねえの」

「そうかも知れないけどね。親が煩いんだよ」

「お勉強に熱心な親、ね」

「それだけならいくらか楽だった」

寛容な気性の父親と、打って変わって物事を白黒はっきりさせるきらいのある母親。今は仮面夫婦という言葉がぴったりな両親である。成績優秀であれば将来困らないし恥ずかしくないと母親は激しく主張し、おおらかに育てばいいという父親の望みをへし折った。

完璧主義だった母親に厳しく躾けられ、幼少の頃から習い事に塾にと毎日忙しく過ごしていた。年次が上がるにつれて、習い事での評価、塾での成績が上がれば上がるほど期待と「もっと頑張って賢くなれ」と圧力に拍車がかかった。

「思い通りにならないとヒステリックになるんだよね」

母は「私の娘として恥ずかしくないようになれ」としつこく言った。芳しくない結果を残せば怒られて、まるで鞭を打つように叱責を受け罰せられた。次第に母のヒステリーに父がついていけなくなって、外に女を作った。それに気づいた母も仕返しとばかりにやり返した。父の出張と、高齢の両親がいることを理由に母が田舎に帰省する回数がやたらと多いのは、それが理由だ。

いい歳をした両親が家の外で愛人を作って、汚らしい。子供の前でだけいい顔しようとしたところで、滲み出る雰囲気で分かる。こちらも勘付けないほど幼くもなく馬鹿でもない。

「自分らは外で遊んでいる癖に、習い事で結果が残せなければ怒られるし馬鹿でも詰られる。完璧主義なのは勝手だけど強要するのは納得できない」

はた、と我に返る。余計なことを喋っていた。今まで誰にも言わなかったことを、滾々こんこんと溢れる水のようにとめどなく話してしまった。花宮と関わるようになってから、調子を狂わされてばかりだ。

関われば関わるほどに乱されていく。動くほどに絡みついて離れない蜘蛛の巣みたい。巣にかかった蝶のようにそのうち身動きが取れなくなってしまう。さながら私は巣に絡め取られようとしている餌。直に食われてしまうのではないか。馬鹿馬鹿しい妄想に過ぎないのだけれど。

「親の都合に振り回されている点じゃ同じだな」

花宮は片親且つ転勤族で子供には金を与えてほったらかし、母親と親子らしいやりとりは数えるほどしか記憶になく今は一人暮らしだという。

「へえ」

「あちこち連れまわされて最終的に東京に放り出された」

放任されて育ち、今更になって物事の分別がつく年頃の息子にあれこれ口を出すこともない。年に数回程度、顔を合わせるか合わせないかの関係で、便りは自身の口座に毎月の生活費が振り込まれることだけだという。人として難があるが成績だけはずば抜けて優秀な点、自身の身の振りを考えて勉学に打ち込んだのだろう。親はなくとも子は育つ。全くの手放しで育ったのが、やや羨ましいとも感じた。

「…知りたくもないことを喋ってくれてどうも」

「お前もな」

暫しの沈黙に耐え切れなくて先に立ち上がったのは花宮だった。人を勝手に呼び出して座らせてそのまま放置する気だな。自分勝手な奴め。地面に置かれた缶コーヒーを手にして声を漏らした。こっちを振り返る花宮に訴えた。

「これ、冷めちゃったじゃん。どうしてくれるの」

「知るかよ」


改稿:20200506
初出:20120906
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