枷を外して制御せよ
柊子が日輪刀を振るうのを初めて見た。もちろん真剣ではなく木と竹で作られた模造品だが、纏う雰囲気は本物だった。太刀筋や踏み込みに全く迷いがない。
「全然当たらないぞ行冥!真面目にやれ!」
「わ、わかっています!」
既に一週間実践稽古をしているが、斧の刃が少しも届かない。服にも髪にさえ掠りもしない。
柊子の扱う大鎖鎌は攻撃の間合いが広い。間合いもだがそれ以上に鎖が厄介だった。鎌を躱してから距離を詰めようとすると鎖分銅が時間差で飛んでくる。鎌か分銅、片方を追えば片方を見失って攻撃の手が止まってしまう。
間合いに入れない!攻撃範囲が広すぎる!
攻撃を見切れないことには防御もままならない。反撃の機会も窺えない。
「考えすぎだ!止まるな!」
「っ!」
行冥の腕に鎖が絡まって柊子に胸倉を掴まれた、と思った瞬間には地面に引き倒されていた。首筋に当てられた鎌の刃の感触。馬乗りになった柊子は語気を強めた。
「止まるなと言っただろうに。足を止めたら死ぬ。そう覚えておけ」
「相手の手数が多くて、手も足も出なくてもですか?」
「そうだ。反撃の手段がないからって立ち止まってみろ。いい的になる」
動き続けなければ劣勢になる一方でますます付け入る隙がなくなる。柊子と相対して手合わせを繰り返すうちにそれはひしひしと感じていた。
それでも柊子の攻撃を前に行冥は攻めあぐねている。
「間合いが広いか?血鬼術を使う鬼の攻撃は常軌を逸している。私の鎌なんて優しいもんだよ」
「師匠の攻撃が、優しい?」
「そうとも。血鬼術はいとも容易く人を殺す。ずっと容赦がない」
倍近くはあろう行冥の体をあっという間に引き倒した柊子は未だに腹部の辺りに座っている。軽いわけではいが苦しくない。自分を投げ倒した柊子は二回りほど体が小さかった。
「鬼に対抗するにはまず呼吸と反復。まだ足りないぞ」
「意識がなくとも呼吸ができれば…飛躍的に体の機能が上がる」
「その通り」
何事も基礎だ。行冥が呼吸法を使いこなせねば柊子には一太刀入れることはおろかかすり傷を負わせることすら叶わない。
「立て。休んでいる暇はないぞ」
「師匠も継子の時はこのように稽古を?」
「もちろん。飽きるほど繰り返しやった」
「どうでしたか」
「相手は行冥くらいの大男。私に勝ち目があったと思うか?」
君の方がいくらか勝算はあるぞと自嘲気味に柊子は笑う。
行冥が立ち上がるなりすぐに稽古が再開された。振りかぶった鎌を避けたあと分銅を模した布袋が肩に当たる。ずしりと重い。
払い除ける間もなく柊子が距離を詰め、鎖と斧が絡まった一瞬の間をついてまた転がされた。行冥は一瞬にして反転した体を起こしながら解せぬ、と思った。
「ど、度し難いほどに強い…」
「強いわけがあるか。体格差では行冥が有利なのはわかるだろう」
「投げられ転がされているのに、そう言われても納得できません」
「まぁそうだよな」
体の小さい柊子に歯が立たない行冥からしてみれば仕掛けがわからない。
呼吸の会得に至って日が浅い。技が拙い。反復動作にまだ慣れていない。挙げられる理由はそれらしいものばかりだが、それでも成長しているはずだ。この体格差で勝ち目がないのは一体。
「行冥。君、怖いんだろう」
どきりと胸が脈打つ。柊子は続ける。
「女であり体格が劣る私を、自分が本気を出したら潰してしまうのではないか。そう思ってる」
手を拘束して捻じ伏せて首をへし折る。行冥の腕力なら出来うる。容易く行えてしまう。
「素手で鬼の頭を潰し続けた腕力。何より恐ろしいのは君自身だ。手に余る力をどう使えばいいかわからない。そうだろ」
自分の中に知らない力があって驚いたのは最初だけだった。それからは怖かった。
柊子は図星を突かれて反論できない行冥を見つめている。
「恐ろしいから見ようとしないし扱わない。扱わないからわからない。だから手を抜かざるを得ない」
「そんなつもりは…」
「そうだな。手を抜いているというのは語弊があるな」
柊子が行冥と同じような体格であっても結果は変わらないだろう。使わないのではなく使えないのだから。
「体が小さろうが女だろうが、鬼は君を殺すつもりで襲いかかるぞ。私が鬼なら君はとっくのとうに死んでいる」
引きずり倒され首に当てられた鎌の刃の感触が蘇る。急所を狙う柊子は手を一切抜かない。最早何度死んだかわからなかった。
「制限かけず圧倒的な力を使いこなせ。そうすれば戦える」
自分の持っている力を使わなければいけないのは承知している。それでも恐ろしいものは恐ろしい。
「君がいまこうして戦う術を身につけているのはなんのためだ。子供たちを失った原因はなんだ」
行冥は寺の夜のことを思い出していた。鬼の感触の気色悪さは地獄のようだった。肉を裂き骨を砕く感覚。生き物を殺すことはこんなにも不快極まりない。それを身に刻んだ夜だった。
「子供を殺したのは鬼だ。鬼さえいなければ君の生活が脅かされることなどなかったんだ」
全ての元凶は鬼。子供たちは殺されなかったし投獄されることもなかった。鬼が、この世にいなければ。
「君の力は鬼殺隊内随一のものになる。その武器を恐ろしくて使えないなどとは言わせない」
鬼を殺すにはどうすればいいのかどうするべきかをよく考えろ。
柊子の言葉が行冥の頭の中をぐるぐると駆け巡る。越えなければいけない壁が目の前にある。ひどく高く厚いからといって逃げても背を向けてもいけない。
鬼を殺すにはどうすればいいのか。行冥は明け方まで自問し続けた。
*
翌朝。任務帰りの柊子は床へ向かわず真っ直ぐ道場へ足を向けた。朝日が登って間もない少しばかりひんやりとした空気の中、道場の中央に行冥は座している。
「おはようございます師匠」
「おはよう。稽古するにしちゃあ早すぎないか」
「鬼は待ってはくれませんので」
柊子は任務終わりに道場に必ず立ち寄って、狩った鬼との戦いを反芻して一人稽古をする。行冥はそれを待っていた。意図を察した柊子は木製の鎖鎌を手に持って行冥の向かいに立つ。
「…顔つきがまるで別人だな」
上背はあるもののまだどこか頼りない雰囲気だった行冥はいない。正座で柊子を迎えた行冥は覚悟を決め腹を括った、戦うことを決めた者の面構えをしていた。
「考えました。問いました。私が鬼と戦い屠るためにどうすればいいのかを」
「斧を持て。答えを見せてもらおうか」
向かい合っている行冥は斧を構えている。昨日とは動きが違うはずだ。一息吐いて柊子も構える。
「丁寧に挨拶する必要はないぞ」
「そのつもりです」
油断はこれっぽっちもしていない。身構えていたのに、それでも見失った。行冥の一歩の幅は柊子の倍はある。一瞬の間に間合いを潰されて柊子は仰け反って斧の一振りを避けるのが精一杯だった。
耳元を斧が掠めて、髪が一束散った。
「…いい動きだ!」
「っ、!」
「反撃を想定しろ!」
無理な姿勢から一気に攻撃に転じて今度は行冥の鼻先を鎌が掠める。柊子の攻撃はやはり間合いが広い。細かい斬撃が飛んでくるようだ。
反撃の手段がないからと立ち止まってはいけない。
柊子が体勢を立て直すより先に行冥が動いた。刃を斧で受け止め、瞬くより早く後ろ手に捻じ伏せて柊子の頭部目掛けて斧を振り下ろしていた。
「師匠…」
「よくやった」
”私を鬼だと思って殺す気で来い。”
柊子の言いつけ通りに動いた結果だ。行冥の一撃はあと少し横に逸れていたら柊子の首を打ち怪我を負わせるに至っていた。
「素晴らしい立ち回りだ。申し分ない」
「あ、りがとう ございま…」
言葉尻が窄んでぐんにゃりと体が傾いで柊子にのしかかるように行冥が倒れ込む。道場に重々しい音が響いた。
「お、重…ッ!!」
「う、 ぐえ…」
「ま、待て待て待て待て!失神するなら退いてからにしろ!潰れる!」
どうにか這い出して、顔を真っ青にして蹲る行冥に手拭いと水を差し出しながら柊子は様子を伺う。冷や汗が額を流れていく。
「おい、大丈夫か」
「はい…恐らく…」
「ぶっ倒れるやつがあるか。全く…」
「すみません…」
未だに行冥はぐったりと床に転がったまま申し訳なさそうに呟いた。
「これは呼吸や、反復動作の 副作用ですか…」
「まさか。体がびっくりしただけだろうよ」
封じていた力を思いっきり使って体が追いついていない状態だ。薬じゃあるまいし副作用などない。そう笑う柊子は放り投げられている斧を手に持った。
「制限を外せたのはいい。次は制御だな。体に振り回されては使えない」
「…自分の意のままにこの力を扱わねば鬼には勝てない…」
「コツを早く掴めよ。毎回こうして倒れてちゃ意味がない」
怒りが鍵になると柊子の言った通りだった。子供たちの味わった恐怖、自身が鬼を殺した時の痛み。そして自分が被った仕打ち。それを思うと鬼がただただ憎かった。そしてそれと同時に自分の力を使えないことがもどかしかった。
「いつでもこれが使えるようになれば…」
「そうだ」
武器は多い方がいいからな。打てば響くとまではいかずとも、着実に成長している弟子を見下ろして柊子は言った。
20201215