実践稽古
基礎体力の向上のための修行は至って簡素だ。量を増やせばいい。今の行冥は本来やるべき修行の半分ほどしかできていない。
「というわけで明日から滝行の時間は倍に、丸太の数も増やすことにしたから頑張れよ」
「………、」
嫌がりも逃げもしないだろうが突きつけられた事実には硬直するだろうと予想はしてきた柊子は行冥の反応を見て笑った。
「な、なぜ笑うのです…」
「いやごめん…想像通りで…ふふ…」
堪えきれない笑いを漏らす柊子の後をついて廊下を歩く。連れて来られたのは板張りの道場で、行冥は何が始まるのかと周りの気配を探っている。
「今日から対人形式の稽古も始める。が、その前に自分に合った武器を見つけろ」
そう言うなり柊子が行冥に投げたのは木刀だった。しかし言葉が意味するところがいまいち分からない。
「自分に合った?使うのは日輪刀だと思っていたのですが」
「改めて聞くまでもないが…行冥、刀を振るったことはあるか」
「ありません」
「岩の呼吸は刀以外の武器を用いて使うのに適した呼吸なんだよ。歴代の岩柱は様々な形の日輪刀を使ってきたらしい。もちろん刀で戦う人もいたようだが…見たことはない」
気がつくと行冥の前に柊子が木刀を持って立っていた。
「鉈で鬼の首を絶つ人もいたし、出刃包丁のような大きい日輪刀を使ってた人もいた。異色なんだよ、君が会得しようとしている呼吸は」
「刀では呼吸を活かしきれないということですか」
「活きるか否かは、呼吸の特性と使用者と武器の相性次第だな。刀が体に馴染めばそのまま使えばいい。ただ歴代の岩柱がみな刀を使っていなかったからな。そういう選択肢もあるだけだ」
「そうですか…」
「とりあえず刀の扱い方を教えるからやってみろ」
膂力のお陰で扱いに苦心することはないだろうが、体の大きさに対して刀はだいぶ小さい。不釣り合いにも程がある。
小一時間ほど柊子に手解きを受けたが、行冥は刀を上手く扱えなかった。
「どうすればいいものか見当もつきません」
「やっぱり手に馴染まないか」
「はい…」
「そりゃ巨人が爪楊枝で戦うのは無理な話だよな」
身も蓋もない言いぶりに閉口する行冥を横目に柊子は刀を構えて一振りする。
「まあ、私も刀には不慣れなままだったよ」
「易々と扱っているように思えますが…」
「握り方が違うとよく注意された」
そもそも刀の扱いに苦心するなら日輪刀など持てるはずがないのでは。行冥は疑問を抱いた。刀の扱いに不慣れなのにどうやって鬼を狩っているのか。
「師匠はどのような日輪刀を使うのです」
「持ってみるか?」
手渡されなのは長い棒のようなものだった。行冥はズシリと重いそれの形を掌で探っていく。
「これが私の日輪刀。刀が使えなかった私に師匠が見繕ってくれたものだよ」
柊子の身の丈ほどの長さの柄の先に湾曲した刃がついていて、その根本からは鎖分銅がぶら下がっていた。
日輪刀と銘打っているが、想像とかけ離れた形に行冥は驚く。これは大鎖鎌だ。
「これで鬼の首を…?刀ではないのに一体どうやって…」
「どうもこうも、刀と同じように首を斬るだけだよ」
刀の概念から大きく外れていると溢した行冥に柊子は首を振る。
鬼を倒すには、日輪刀で首を切り離しさえすればいい。極論を言えば、猩々緋鉱石と猩々緋砂鉄から作られた武器であれば刀の形は問わないのだ。
「さっきも言ったろ。鉈や出刃包丁みたいな日輪刀を使う柱がいたんだぞ。槍や薙刀とか、他にも使えるものはあるはずだ」
「なるほど…」
「試しに色々と使ってみるといい」
柊子の修行場には木で作られた槍や薙刀、三節棍などが置かれていた。岩の呼吸を会得するための修行では刀を扱うことは稀だ。使い手に合わせて多種多様な武器がある。
「一番使いやすいのを選べよ。それで最終選別に行かせるからな」
「わかりました」
鬼が閉じ込められた藤襲山に体一つで分け入るのだから、自分の命を日輪刀に預けることになる。いくら修行や稽古をしても武術の心得のない行冥が武器の類を一丁前に扱えるようになるまでには途方もない時間がかかるが、慣れているものならばどうにかなる。
数ある武器の中で馴染み深いものを選んだ。
「薪割りはしていましたので…これなら使えます」
「斧か。うん、君の腕力なら手に余ることもないだろ。よし、行冥。私の前に立て」
広い道場の中央に向かい合わせで立つ。行冥の手には斧が握られているが、一方の柊子は何も持たずにいる。衣擦れの音で柊子が構えたのがわかった。
「私を鬼だと思って本気でかかってこい。一太刀入れられたら終わりだ」
「ほ、本気で…とは…」
「そのままの意味だ。私を殺すつもりでやれよ」
「しかし師匠が丸腰では…」
「何のためにそれを持たせたと思ってる」
使い手に合わせて、柊子の修行場には槍や薙刀、三節棍など刃物という刃物が並ぶ。どの種類の刃物でも、稽古に用いるための木製品がある。
それで稽古をするのは柊子の気遣いだ。扱い慣れてない斧を振り回して怪我をされては最終選別に間に合わなくなる。
「自分のことだけ考えろ。君が怪我するのは良くないが、私の怪我の心配はしなくていい」
「なぜです」
「君の攻撃、絶対当たらないからな」
自分の持っている武器を丸腰の人間に振り下ろすことに抵抗がないはずがない。例え鬼と戦うための修行であっても言われたままに刃物は向けられない。
怪我の心配はするな、と言われてそれを素直に聞き入れらるものか。それでもやれと言い取りつく島もない。柊子はまるで他人事のように構えている。
「早くしろ」
「い、いきます」
この人は恐怖を感じないのか。斬りかかるこちらは動悸は酷くなるばかりで冷や汗が出ているのに。怖くて堪らないというのに。
「相手は鬼だぞ。挨拶は要らん。さっさと斬れ」
意を決して行冥は斧を振り下ろした。
*
初めの一刻は斧を力任せに振り回し、残りの一刻は柊子に攻撃を受け流され転がされてばかりだった。結局、行冥は柊子に一太刀も浴びせることができずにいた。
「甘い。殺す気でやれと言っただろうに」
「無理…です、いきなり…殺すつもりでと言われて…できるはずが……」
滝のような汗を流して苦しそうに喘ぐ行冥とは正反対に柊子は涼しい顔をしていて、寧ろいい準備運動になったと言わんばかりに体を伸ばしている。
「手を抜いたら稽古の意味がないだろ」
体力を使い果たし道場の床に座り込む行冥を見て柊子は冷たく言う。実践稽古は本気で動いてこそ意味がある。
ところが行冥ときたら打ち込む前に躊躇したり途中で力を抜いたり当たりそうになると軌道をズラしたりする。それでは時間の無駄だ。
「中途半端な攻撃は命取りだ。太刀筋が読まれたら反撃される。やるなら徹底的にやれ」
「っ、わかり、ました……」
「とは言っても、慣れない稽古と初めて握った斧でこれだけ長い時間動き続けられたことは褒めてもいいな。よくやった」
「あ、ありがとう……ございます……」
行冥は突っ伏して肩で息をしながら返事をする。突いたらそのままくずおれてしまいそうなほど疲れ果てているが、柊子は無視をした。
「おい、いつまで休んでる気だ。滝行行ってこい」
「今からですか…」
「滝行の時間も丸太の数も今日から増やされたいか?」
「行きます」
これでは師匠に殺されかねない。
疲労困憊の体に鞭打って行冥は立ち上がった。そのままふらふらと覚束ない足取りで道場を出て行く行冥を見送りながら、柊子は壁に立てかけられた斧を両手で持つ。ずしりと重い。
「途中から片手で扱ってたな…」
無意識のうちにやったことだから行冥は気がついていない。常人なら両手で持つものを片手で扱い、それを振り下ろす。更には加減までする。並の腕力ではできない芸当だ。
やれる。
柊子は確信した。行冥は恐ろしいほど強くなる。
20201125